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「で、君バイト経験は?」
「いえ、ないです」
オシャレで現代風の制服に身を包んだオーナーを名乗る女性は、「ふん……」と言ってメガネを軽く押し上げ、僕の顔と履歴書とを交互に見比べた。
「高校2年のこの時期って、そろそろ大学受験意識し始めるころなんじゃない?バイトしてくれるのはありがたいけど、いざ始まって、勉強忙しいのでシフト入れません、じゃ困るのね」
オーナーは20代くらいのきれいな顔をした人だ。化粧っけは全くなくて、眼差しはとても威圧的。僕は、神経がちりちりと焼かれるような刺激を味わう。
「普通に進学校だしねえ……。バイト経験ゼロでいきなり激務って、学業との両立も大変だと思うのよ。すぐに辞めてもらっても困るから、断るなら今のうちよ」
「いえ、やらせてください。勉強のほうも大丈夫です」
僕が意気込んで即答すると、終始真顔だったオーナーはここでふっと頬を緩めた。
「オッケー、採用よ。早速明日から来れる?」
「分かりました、ありがとうございます!」
「にしても藤崎くん、何でバイト始めようと思ったの?彼女にプレゼントでも買ってあげたいとか?」
「まさか。相手がいませんし」
「そう?あなたみたいな優良物件、近くにいる女の子が狙ってるかもしれないわよ?」
「優良物件だなんて……買いかぶりすぎですよ」
つい先日フラれたばかりの僕が優良物件だとすれば、この世の9割の男は一等地にそびえたつ超高級住宅だろう。
「ずいぶん謙遜するのね。まぁいいわ。とにかく明日、朝10時から夕方5時までシフト入ってくれる?」
スタッフルームの壁に配置されたシフトボードを眺めながら、オーナーは言った。時間帯にして7人。ホールは僕を入れて3人。ランチを挟むことを考えれば、初日から忙しいことは間違いないだろう。
「了解です」
「うん。制服は明日までに用意しとくから。それじゃあ、今日はもういいわよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
***
店を出ると、夏の日差しはすでに天頂にあった。すれ違いで店の中に入っていく女子高生2人組の、「ここのカフェ、パンケーキがすっごいおいしいって話題でさぁ」という会話を耳にする。
僕がバイトの面接をしていた店、それが”パンケーキがすっごいおいしいって話題”のカフェだ。
なぜ僕がこんなしゃれたカフェでバイトすることになったのか。その理由と言えばもう、彼女しかいない。
「あー、おいしそうだなぁ」
「何見てるの?」
数日前。菜乃葉は例によりベッドの上でスマホの画面を見ながら唸っていた。
「これ。SNSで話題のパンケーキ。すっごいおいしいらしいんだよね。おいしさのあまり、1日数量限定ですぐ売り切れちゃうんだって。幻のパンケーキって言われてるの。食べてみたいんだけど、こんなだし、行列に並べるわけでもないからさ。颯くんに買ってきてって頼むの、さすがに悪いじゃん?ああ、このカフェでバイトとかできれば、このパンケーキも食べ放題なんだろうなあ」
とのことだった。バイトしてこい、と直接言われたわけでもないけれど、なんとなく彼女がきっかけでやってみようかなと思った。幻のパンケーキは僕も気になるし、ベッドの上から動けない彼女にパンケーキを食べさせてあげたいという思いも勿論。そういうわけで僕は、生まれて初めてバイトを経験するのだ。
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