青のアスター

27

 「それでね、入院っていうのも退屈だから、何かいい案ないかなあと思って」


 「暇つぶしに何をするかって?」


 「そうそう。何がいいと思う?」


 「……何か、新しいことを覚えるとか」


 「円周率100桁的な?無理無理。私、忘れっぽいもん。あ、ていうかアルツハイマーなんだから忘れっぽいも何もないか。アハハ」


 「そこ笑うとこじゃなくない?」


 彼女は僕に重大な秘密を吐露したからか、ずいぶんと明け透けになっていた。物事を楽観視するように、いや、それはいつものことだけど。けれど、それに拍車がかかっていると僕は思うのだ。


 「そういうんじゃなくて、うーんそうだな……。何か資格を取ってみる、とか?」


 「それユーキャン?」


 白いベッドの上で、彼女はまた笑いこける。


 「もっと楽しいのがいいなぁ」


 「べんきょ」


 「もっと楽しいのがいいなぁ!」


 「…………僕に聞かないほうがいいんじゃない?」


 僕は考えることをあきらめた。彼女と僕とではセンスがまるで違うから、惹かれるものも真逆なのだ。


 「もう、簡単にあきらめないでよ!普段は面白くない颯くんでも、もしかしたら、万に一つでも、何か面白いアイデアが浮かんでくるかも」


 「…………僕に頼む気ある?」


 ことごとく僕を愚弄する彼女に腹が立って、僕はもう考えてやらないことにする。すると彼女は、急にしんと静まり返った。


 「どうした?」


 気になって、思わず僕のほうから尋ねる。彼女は、その重い唇を静かに開く。


 「未練ばっかり増えてく」


 「え?」


 「普通の人にはできることも、アルツハイマーの私にはできない。人生でやりたかったこと、その未練ばっかり増えてく」


 彼女はベッドの上で膝を抱えてそこに顔をうずめた。


 「颯くんにできること、私にはできない。やりたいことができないって、こんなにも窮屈なんだね」


 彼女の放つ冷たくて暗い声に、僕は背中を凍らせた。彼女からこんな声色が出るなんて、知らなかった。そう、だよな。それが当たり前なんだ。むしろ、自分がアルツハイマーを患っていることを知りながらあんなに笑っていられるほうがおかしかったのだ。本当なら、この状況に絶望していて何もおかしくはない。彼女だから、そのことに気づくのが遅くなったというだけで。


 「…………菜の花のくせに、何しおれてるんだよ」


 せめて僕が、彼女に水をやれたら。太陽には、なれなくても。


 「時間はあるんだから、やれるよ。菜乃葉のやりたいこと」


 「…………颯くんといると、心があったかくなる。何でかな」


 「僕が優しいからだな」


 「ううん」


 多分、太陽だから。と、彼女は続けて小さくつぶやいた。


 「太陽?」


 「何でもない。私、こんなにつまんない病院でも、颯くんがいれば楽しいからそれで大丈夫!夏休みの間も、こうしてたくさん来てくれるし。颯くんをいじるの面白いから、退屈しないよ」


 彼女は、腹を抱えてクックと笑い出した。


 「褒められた気がしないな」


 「別に褒めてないからね、」


 そう言って、彼女は笑った。菜の花は、生気を取り戻していた。

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