26
「ん、また来たのかよ、お前」
「失礼だな、お前も相変わらず」
彼の個室は、菜乃葉の病室とさほど離れていなかった。彼に桃を手渡すと、「去年の同じ時期にも貰ったな」と笑った。
「なあ、具合はどうなんだ?」
僕が彼に問うと、彼は笑って答える。
「今のところ、良くも悪くもないな。新薬を試してるんだけど、効果は期待できないって。まぁ、すぐに死ぬなんてことはないよ、多分」
「……死ぬとか、縁起でもないこと言うなよ」
本来”死ぬ”なんて、人間の口からは出てはいけない言葉なんだ、きっと。
「……俺が死んで悲しむの、お前くらいだろうな」
一真はそう、柄にもないことを言った。
「俺が悲しむって、勝手に決めつけるなよ」
「失礼なのはお前も変わらないな」
彼はまた、笑った。
「……誰か、来てた?」
僕はふと、テーブルの上に近所のケーキ屋の箱がおいてあるのが目に入った。保存がきくものではないから、僕が来る直前に別の誰かが彼の見舞いに来ていたのかもしれないと思ったのだ。
「あぁ、古い友人」
「なんか、お前の口から”古い友人”とかいう言葉聞くの、変だわ」
「どういうことだよ」
テーブルの、ケーキの奥には、青い花が花瓶に挿してあった。
「その花もその人から貰ったの?」
「アイリス、だって」
彼はその青い花を目でなぞるように見つめ、そしてこうも言った。「花言葉は、”友情”だって言ってた」。
「いい友達だよ」
僕は知らぬ間にそう呟いていた。
「ん?」
彼はその花から視線をそらさずに、声だけで僕の言葉の真意を伺う。
「その、友人さん。その人は、お前がいなくなったら泣いてくれると思うよ」
「そうかな、結構ガサツでヤバいやつなんだよ」
見舞いにケーキと花を持ってくるくらいだから、勝手に女性なんだと思っていたけど、「ガサツ」と聞くあたり男性なんだろうか。けれど彼に、花を持ってくるような男友達が僕以外にいるとも思えない。彼は爽やかなスポーツマンだったから、知り合いもそんな類の人間なはずだ。
「そんなにヤバいやつなの?」
「そうなんだよ、口悪いし、すぐ手出すし、そんでもってせっかちだし」
僕はそれとなく、さっき病院の廊下ですれ違った友達の顔を思い出していた。
「そんな人、僕の周りにもいるなぁ」
「え、そうなの?あんなヤバいやつはなかなかいないぞ」
「ヤバいって、具体的に何がそんなにヤバいんだよ」
僕が聞くと、彼はその眉をひそめ、声をひそめ、言った。
「そいつ、中学の時この病院に入院してて。俺がここに入った時、そいつが同じ部屋だったんだけど。そしたらさ、初日からいきなり『私、夜いびきかく奴とか無理だから、いびき聞こえたら絞め殺す。うるさくしないでね』とか言われたんだよ!ヤバくね⁉」
それは……なんとも末恐ろしい。
「そんで、消灯時間になって、でも俺、入院とか初めてだったからなかなか寝付けなかったんだよ。そしたら、急にいびきが聞こえてきて。すっげえバカでかいいびきなんだけどさ、全然止まらなくて。ヤバい、あいつが起きたらいびきかいてるやつ絞め殺されるぞって思って、めっちゃひやひやしてたんだよ。けど、よく考えてみたら、そのいびきはそのヤバいやつのほうから聞こえてきて、確認してみたら、ホントにそいつがいびきかいてたんだよ!」
そう言い終わって、彼は腹を抱えて笑い出した。それにしても、そんな理不尽でおもしろい人がこの世の中にいるとは。
「まぁ、結局そいつとは結構気が合って、いろいろ話すようになったんだけどさ。普通にいい奴だし。そいつが退院してからも、ちょくちょくお見舞い来てくれててさ」
「……そういえばその人、女の人なんだね」
彼の話の中にその友人の一人称が「私」である内容が見られたので、僕はそう言った。
「そうなんだよ。女に突然絞め殺すって言われたことある⁉俺、マジでビビったわ」
彼の顔色が青白いのを見る限り、それも誇張ではないのだろう。それはそれで恐ろしい話だが。
すると、僕は卓上の時計が午後4時をさしていることに気づいた。僕はいつの間にか、彼と1時間近く話し込んでいたらしい。
「あ。ごめん、もう行かなきゃ」
「あぁ、そっか。そんじゃな」
「また来るよ」
笑顔で手を振る彼に僕も手をひらりと振って、病室を後にする。やはり、彼の話していた友人が証梨にそっくりだと思って、思い出し笑いをせずにはいられなかった。
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