21

 「ねえ、本当にもう帰っちゃうの?」


 「仕方ないでしょ、弟のお迎え行かなきゃ」


 蒼城家の玄関で、証梨は靴を履いてこちらを振り返る。


 「証梨、弟さんがいるんだ」


 僕が言うと、なぜか菜乃葉が説明を加えた。


 「証梨んちは4人兄弟なの。証梨、1番上だから面倒見が良くて」


 「そろそろ行くから。じゃあね」


 彼女はそそくさと帰っていった。彼女がせっかちな理由も、なんとなく分かった。


 「じゃあ僕もそろそろ」


 「え、颯くんはまだ帰っちゃだめだよ」


 僕がかばんを手にお暇しようとすると、彼女がなぜか引き留めた。


 「……なんで?」


 「私1人家にいるのって寂しいじゃん?」


 「退屈しのぎ?」


 僕が言うと、彼女はバツの悪いような顔をした。けれど、結局僕も家に帰ったところで1人だった。父親は仕事、母親は友達とお茶だとか。今日は夕飯いらない、とも言ってしまった。仕方がないから、僕は彼女と一緒に過ごすことを選んだ。


 「しょうがない、付き合うよ」


 「ホント?やった!」


 「けれど、僕なんかと一緒にいて楽しいの?」


 「え……」


 失言したつもりはなかった。僕はかなり前からそんなことを胸の内に秘めていたし、それを彼女の目の前で言ったとて躊躇いも後悔もない。けれど彼女は、僕のそのセリフのどこが気に入らなかったのか、こう聞いてきたのだ。


 「何それ、どういう意味?」


 「どういうって、そのままの意味だよ。僕はそんなに面白い人間じゃないから、一緒にいて楽しいのかって意味」


 「なんでそんなこと言うの……?」


 びっくりした。彼女の目が、濡れていたからだ。彼女を泣かせるつもりなんて全くなかったし、なぜ泣いているのかも分からなかった。


 「な、なんで泣いてるの?」


 僕は最近、彼女の泣き顔をよく見る。これまで色んな顔を見てきた。笑った顔も、怒った顔も、そして泣いた顔も。けれど彼女の泣き顔は、どうしてこんなにも僕の胸をかき乱すのだろう。


 「楽しいよ!一緒にいて、すごく楽しい。そう思ってるのは私だけなの?颯くんは私と一緒にいて、つまんないって思ってるわけ⁉」


 「そ、そんなことないって!なんで急にそんな」


 「楽しいとか面白くないとか、私の颯くんに対する考えを勝手に決めつけないでよ。私は人形でもなんでもなくて、たった一人の人間なの。颯くんと同じように感情を持って生まれてきた、人間なの。だから、勝手に他人からの評価を決めて、納得するなんて絶対に許さないから!」


 ようやく、彼女はその目から透き通った雫を一粒落とした。僕はそれを見て、漠然と、きれいだと思った。


 「……ごめん」


 「あ…………ご、ごめん。なんで私、熱くなってんだろ。気にしないで」


 彼女は涙を拭うと、部屋の奥へ戻ろうとする。僕はなぜだか、それが嫌だと思った。


 「待って!」


 彼女の細い腕を、僕はつかんだ。彼女はびっくりして振り返る。


 「何かあったの?」


 「え…………?」


 彼女の顔に映る、驚愕と困惑。僕は何がしたいんだろう。


 「……好きだ」


 「そ、颯くん」


 間違えた。僕は間違えた。馬鹿なんじゃないのか、もう少しタイミングを選べなかったのか。何言ってんだ。


 「何言ってるの?」


 「僕は君が好きだ。いつからかも分からないくらい好きだ。ごめん、でも好きなんだ」


 彼女は黙った。僕も黙った。時間だけが過ぎていく。時間だけが、僕の間違いを責め続ける。


 「……冗、談」


 不意に彼女の口からこぼれたのは、それだけだった。


 「え?」


 「冗談、でしょう?」


 僕の目に映った彼女は、悲しげな顔で笑っていた。


 「冗談なんかじゃ」


 「そうだって言ってよ!」


 彼女の突然の大声に、僕は口をつぐんだ。


 「お願いだから、冗談だって言って?冗談だったって、笑ってよ……」


 彼女は深くうなだれる。その様子を、僕はただ見ていることしかできなかった。手を差し伸べることも、優しい言葉を投げかけることもできなかった。


 「ごめん、今日は帰る」


 「颯くん……!」


 僕は振り返らなかった。振り返ることができなかった。

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