17

 「えっと、話って?」


 空き教室に着いても彼女はしばらく黙っていた。だから、僕から切り出した。うん、と彼女は言って、僕と視線を交わす。何なんだろう、このは。


 「菜乃葉とフツウに接してほしい」


 彼女が言ったのは、それだけだった。


 「それって…………今の僕は、彼女とフツウじゃない関わり方をしてるってこと?」


 そういうことだろう。けれど僕には、心当たりも何もなかった。僕は知らぬ間に、彼女に何かしでかしてしまったんだろうか。


 「いや、なんていうか……」


 彼女も、迷っているようだった。


 「深入りするな、ってことだよ」


 「……深入り、」


 バカみたいに口の中で繰り返す。


 「菜乃葉アイツには、秘密があんだよ」


 知っている。その秘密が何なのかを話すには、僕という存在はまだ、足りない。


 「うん。何の秘密かは、知らないけど」


 証梨は、真剣な面持ちを保ったまま、ふうと長く息を吐いた。


 「……証梨は、その秘密を知ってるんだ」


 「……私たちが知り合ったきっかけが、それだったからね。その秘密を知ったから、友達になって、こうやって一緒に過ごしてる。……依存、しあってるんだ、多分。お互いに、お互いの秘密を知って、共有してる。けど、……あんたは、きっとその輪には加われない」


 ずっと、思っていた。菜乃葉と証梨は何か特別な関係で結ばれていて、それは、例えば僕と菜乃葉を結ぶ線とは系統の違う、要するに僕が手に入れることのできない線なんだと。けれど、それでも僕は、もう決めたんだ。


 「そうかもしれないけれど、僕はもう、選んだんだ。菜乃葉の秘密を知るに相応しい人間になることを」


 「後悔、するよ」


 やけに含みのある言い方をするなと思った。


 「その時は、その時だよ」


 「……ふーん。でも、これだけは約束してほしい。あの子が悲しかったり苦しかったりする顔をしたら、絶対に追い詰めないで。もともと、重荷を背負えるほどの体じゃないんだ」


 「もちろん、彼女を傷つけるようなことはしない」


 「……それじゃあ、藤崎。時間取らせて悪かった」


 そそくさと去る彼女に手を振って、僕はカバンの持ち手をきゅっと握りしめる。訳もなく。


 「…………帰るか」


 独りごちて教室の窓越しに空を眺めると、細く薄い雲がたなびいていた。


 ***


 「見て!ねぇ見てよ、颯くん!この点数」


 テストが無事終わって、そのテスト返し。数学のテストを手に、はしゃいでいる人物がいた。


 「こんな点数初めてとった、72点だよ⁉︎すごくない?」


 これが蒼城菜乃葉なんだから、驚きだ。そう、彼女がとった高得点というのは、仮にも彼女の先生である僕の点数を超えるぐらいには高得点だった。


 「僕は68点だった。すごいね、ホントに頑張ったんだね、数学」


 「えぇ、なんか君にそんな素直に褒められると照れるなぁ」


 僕はというと、集中できなかったからかケアレスミスによる減点が多く、結果彼女に4点差で負けることになってしまったのだった。


 「はぁ、テストも終わったしやっと夏休み!これで心置きなく遊べるね‼︎」


 涼しげな顔で彼女が言う。


 「そういえば颯くん、言ってなかったっけ」


 「何を?」


 「君に負けたら、夏休みは好きなところに出かけてあげる、って。言ってたよね?」


 ……忘れてた。


 「そうだっけ?君の記憶違いじゃない?」


 「ん?あ、そっか。記憶違いか。ごめんごめん」


 ……え?受け流された…………?


 「冗談のつもりで、言ったんだけど」


 僕は自分からふっかけた冗談なのに、なぜか彼女を擁護する形で言った。だって、驚いたから。彼女が僕の嘘にこんなにもあっさりと応じるなんて。変だと思ったから、つい。


 「えっ、冗、談……?…………もう、やめてよ颯くん。あんまり人を揶揄うのは」


 何なんだ、その表情。彼女はやたら傷心的な顔で笑った。無理やり笑ったみたいにぎこちなかった。いや、無理やり笑ってるんだ。


 「菜乃葉……、」


 言いかけた言葉は、すぐに喉の奥に引っ込んで出てこなくなった。先日の証梨の言葉を聞いたからだ。


 『菜乃葉あの子が悲しかったり苦しかったりする顔をしたら、絶対に追い詰めないで』


 僕は歯をギリリと噛み締めて、喉の奥から別の言葉を引っ張り出してきた。


 「……うん、君の記憶があってるよ。夏休みは、好きなところに行こう」


 「……ホント?やったあ!」


 僕は、手放しに喜ぶ彼女を見て、危なっかしさを感じた。

 今は、僕も彼女も危険な状態にある。そう感じた。

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