14
「わざわざいいのに」
彼は困ったような顔でそう言うと、そのあと「ありがとう」と僕からそれを受け取った。日曜日の昼間。窓の外から夏にしては珍しく控えめな日差しが彼の横顔を淡く照らす。
「こんなにきれいな花持ってくるなんて。お前も女々しい奴だな」
呆れたように彼は笑う。僕は今のところ、笑うとえくぼができる人物を一人しか知らない。
「女々しくなんかないよ。お見舞いに花って、普通じゃない?」
僕は彼の左腕に何本も通された透明な管を見ながら言った。彼の目線もそこにあった。
「普通だけど……なんか、男子に花を持ってこられるって、気持ち悪いだろ?」
「理不尽だな」
二人して、笑いあった。すると、彼が咳込んだ。
「大丈夫?」
「……あぁ、いつものことだから」
”いつものこと”か。そう、彼にとっては、これがいつもなのだ。彼は、ある病気を患って中学の頃からこの大学病院に入院している。
”急性リンパ性白血病”。それが、彼の日常とともにある病気だ。
彼が骨髄バンクに登録してから、もう2年が経とうしていた。白いベッドの上で彼が待っているのは、“生”なのだろうか。それとも、“死”なのだろうか。
「そういえば藤崎、お前二年になってから友達できたのかよ」
だいぶ落ち着いたらしい彼が何を言うかと思えば、こんなことだ。僕は笑いながら答える。
「できてない、と言えば噓になるよ、多分」
思った通り、彼は驚いたような顔をして身を乗り出した。
「え、マジで?お前が?スゲーじゃん!どんな奴なの?」
「明るくて、快活で、クラスの人気者。僕とは正反対の人だ」
彼女の顔を思い浮かべながら言うと、彼は興味津々、というような顔で僕を見る。もっと聞かせろ、と言わんばかりに。
「それで?そいつはイケメンなの?クラスの人気者なんだから、まぁそうだろ。男女に人気があるような奴なんだろ?女子からキャーキャー言われるような奴?」
「ちょっと違うな。綺麗な顔だ、とは思うけど。それに、彼女は男子からの人気のほうが圧倒的に大きい気がする」
「へぇ、そうなのか……。は、今”彼女”って言った?」
彼は怪訝な顔で僕を見つめる。
「え、もしかして、お前の言ってる友達って、女?」
僕は意表を突かれた彼を尻目に、大きく頷いて見せた。そうとも。
「あぁ。僕が今通っている高校で、唯一話す人が彼女だ。まぁ、彼女の親友さんとも少し話したけど」
多少自慢気に言ってやると、彼は信じられないというような顔で僕の右肩に手をのせる。
「マジか……お前、いつの間に女子と話せるまで成長したんだよ。名前なんて言うの?」
「菜乃葉だよ。蒼城菜乃葉」
「え?」
急に彼の顔が引き攣って、僕まで「え?」と言いそうになる。
「吉田?どうしたんだよ」
僕が不思議に思って尋ねると、彼は少し間をおいて古い記憶の糸口を探り出すように言った。「菜乃葉?」
「うん、蒼城菜乃葉。同じクラスの。彼女がどうかした?」
彼は「いいや」とぎこちなく首を振ると、またいつもの明るい顔に戻って、そして、わざとらしく話題を変えた。
「そういや、お前のお母さんは?元気にしてる?」
まるで、久しぶりに会った親戚とでも話しているかのようだった。少なくとも、病に臥せったかつての友人とするような会話では、ないと思った。
「あぁ、元気だよ」
彼は「そうか」とだけ呟いて、その整った形の唇を閉じた。そのタイミングで、看護師さんが病室にやってきて、これから検査なので、と言った。僕は、まるで彼が看護師さんを呼び寄せたようだなと思った。
「ごめんな、せっかく来てくれたのに」
「いや。久しぶりに会えてよかったよ」
積もる話も、もちろんあったけど。それはまた、今度会ったときにすればいい。
彼の入院している病院から出て、空を見あげる。7月初旬といえど立っているだけで汗ばむくらいには気温も高く、僕は冷房の効いたどこかに避難することを選んだ。この選択を、僕は恨むことになるんだけど。
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