12
「クレープ楽しみだなあ。どれがいいかなあ」
まだ店に着いてすらいないのに、彼女はご機嫌な様子で僕の少し先を歩いていた。彼女の後ろ姿を見ながら、僕はやっぱり、考えてしまうのだ。どうして彼女の口から、「自殺したい」なんて言葉が出たのだろう、と。彼女が死ぬなんて、言葉を交わしてたった数か月しかない僕だってそんなはずないと断言できるほどにありえないことなのだ。関わった日が浅い僕でさえそう思うのだから、彼女がいかに自殺から縁遠い人物なのかは誰がどう見ても理解できる。
「にしても、まさかいつもケチな颯くんがクレープを奢ってくれるなんてね、今まで生きてきた甲斐があったよ」
「いつもケチな、って何だよ。僕はいつも君に優しくしてるつもりだけどな」
「言ってなさい、鬼教官め」
鬼教官、って何だ。
……ほら。彼女とはこんなにも他愛ない軽口を交わせているのに。それなのに、なぜだか、僕は怖かった。いつか彼女が、何の前触れもなく僕の目の前から消えてしまうんじゃないかと。考えすぎだと、それこそ小説の読みすぎだと、誰かが僕の耳元で囁いてくれたのなら、まだ良かったかもしれない。でも、僕にはそんなことを言ってくれる存在は今のところ一人しかいない。それが彼女本人なのだから、僕にはどうにもできないのだ。
「あ、見えた。あそこだ!」
彼女は僕の憂いを気にする素振りも見せず、一目散にクレープ屋めがけて走っていった。
しばらく彼女が消えたりすることはないだろうと、僕はそう思うことにした。
「ほら早く、颯くん。何食べていいの?」
「どれでもいいよ、君が好きなのを選べばいい」
「やった!ドリンクとサイドもつけちゃおうっと」
…………どうやら彼女は「わきまえる」という言葉の意味を知らないらしい。結局彼女は”チョコレートバナナバニラホイップなんとか”みたいな訳のわからない名前のクレープにミルクティーとポテトのセットを注文した。これで1000円。
僕はソーセージとコロッケと野菜が入った、至って健全なクレープとアイスティーを頼んだ。
「好きなの?アイスティー」
「好きっていうか、ラインナップの中から一番マシなのを選んでるだけだよ」
「全く、好きなら好きって素直に言えばいいものを。ツンデレか」
「言葉の使いどころを完全に間違えてる気がするけど」
彼女はただ、楽しそうに「うふふ、」と笑う。本当に、何が面白くてそんなに笑っているのか教えてほしいくらいに。
目の前でクレープ生地が焼き上げられていくのを見て、彼女は興奮気味に目を輝かせた。次第にほんのり甘い香りが漂ってきた。
「美味しそー!」
「……そういえば君は、よく食べる人だよね」
「え、なに、急に。恥ずかしいな。うん、まあそうかな。食べることって大事だと思ってるよ。我慢して食べないなんて、私は耐えられないなあ。それ以前に、食べるのを差し置いて優先するべきことがないっていうのもあるけど。ダイエットとか?あれって結局体には悪いし。生涯健康でいるためにも、我慢しないで好きなもの好きなだけ食べるってすっごくいいことだと思う!」
「へえ、君にしては珍しくまともな意見だ」
「どういう意味で言ってるのかな、それ」
彼女が頬を膨らませていると、僕たちの会話がクレープ屋の女性の店員さんに聞こえてしまっていたらしく、クスリと笑われてしまった。僕は少し、彼女と距離をとった。彼女が気付かないぐらいにほんのわずかな距離。
「お待たせしました。スペシャルチョコバナナバニラホイップのセットとソーセージレタスコロッケのセットになります」
2人でそれぞれクレープを受け取り、店の奥側の席に向かい合って座る。正直駅前のクレープ屋ということで客層は女性が中心なんじゃないかと思っていたけど、そんなことはなくて、男性の客もそれなりにいたのでそれだけで僕はかなり救われた。僕は彼女に勉強を教えたがための喉の渇きをアイスティーで潤した。彼女はというと、何も考えていなさそうな顔でポテトをつまんだ。そこはクレープじゃないのかよ。
「颯くんはさ、進路とか考えてる?」
彼女のほうからまじめな会話が切り出されたことに驚きを隠せず、僕は危うくアイスティーを吹き出すところだった。むせる程度に抑えて、何とか呼吸を整えてから彼女に向き直る。
「ん、まあそれなりには考えてるよ。ていうか、どうしたの?今まで君って、急にまじめな会話切り出すような人間じゃ無かったよね?」
「颯くんは私のことをどんな人間だと思ってるわけ?……まあいいよ。それで、そう、じゃあ大学進学とか?そっち系?」
「……あの、これ、面談か何かなの?」
「いいから。で、どうなの」
いつも間抜けな顔をした彼女が、なぜか今は真剣な目で僕を、僕の顔を、僕の眼を見つめてくる。空気がピリッと震える。この感触は、何なんだろう。今までに味わったことがない空気の重みで、僕は少しだけ動揺した。
「……どちらかと言えば、大学かな。具体的には何も決めていないけど、四年制大学には、進学すると思う。家の経済的な事情とかで私立の大学には行けないし」
「……そうなんだ」
「で、これが何だって言うの?」
「ああいや、大した意味はないよ。ただ、私の進路の参考にしたかっただけだから」
……それならそうと、言ってくれたらよかったのに。変に緊張してしまった。なんで彼女は、僕の進路なんか気になったんだろう。特段面白いものではないはずなのに。
「もう、そんな考えこまないでよ!ほんとになんとなく聞いてみただけだから。ほら、クレープ食べよう?冷めちゃうよ」
「あぁ、うん」
気持ち悪い。僕の中で決して消化できない大きな塊が腹の中で膨れ上がって、喉を閉塞しているみたいな。そんな気持ち悪さがある。
なぁ、菜乃葉。僕はもう、君のことが気になって気になって、息苦しいくらいなんだ。教えてほしい、君が何を隠していて、何に怯えているのか。
「クレープおいしいね」
彼女は僕の詮索にも素知らぬ顔で笑っていた。
「…………うん」
それから僕らは互いに黙ってクレープを咀嚼した。おいしかったけど、味気なかった。
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