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彼女はお手洗いに行きたいとかで、僕は花屋の前で彼女が来るのを待つことにした。
彼女は、何なんだろう。まるで、もうすぐ死ぬやつのセリフみたいだ。
僕は、いつかの記憶を呼び起こしていた。彼女——菜乃葉じゃなくて、もう1人の、僕が唯一友人と呼べた存在のこと。
『お前、またこんな隅っこで本読んでるのか?外で一緒にサッカーしようぜ!』
そいつだけだった。クラスの他の子がどれだけ僕を見ずとも、そいつだけが、僕のことを見た。
『外は暑いからイヤだ』
その頃の僕と言えば、貧弱で女子より頼りないような子供だっただろう。
『夏は暑いって言いながら汗を流すのがいいんだろ?ほら、早く行こうぜ。昼休み終わるぞ』
『君は好きにすればいい。僕は本を読む方が好きだ』
『お前なぁ……』
僕が本を持ち直していると、教室の外から彼を呼ぶクラスメイトの声が聞こえた。
『ほら、呼ばれてるよ』
僕が言ってやると、彼は不服そうな顔をして僕の顔を見る。そして、
『……明日こそ外に連れてくからな、覚悟しろよ』
と言うと、クラスメイトの方に走って行った。
「何でアイツなんか気にすんだよ」とそのクラスメイトが言っているのが聞こえた。そのあと、「アイツ、ああ見えて結構面白くていい奴だよ?」と彼の声も聞こえた。
あの時も、そして今も、思うんだ。何で、僕に構うのか、って。
「お待たせー!」
気づけば、彼女が隣に立って僕の顔を見ていた。
「ああ」
「颯くん、もしかして疲れてる?」
彼女が眉尻を下げて尋ねてきた。疲れてると言えばそうだろう。朝から彼女に振り回されたんだから。
「うん、まあ疲れてなくはないかな」
「君も体力ないなぁ。あっ、そうだこれ」
言いながら彼女は、僕に何かを差し出した。
「……これは?」
ほのかに、爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「ゼラニウム。今日のお礼に」
彼女が差し出した黄色のゼラニウム。ゼラニウムはたしか、色によって花言葉も種類があった……。
「黄色のゼラニウムの花言葉は、“予期せぬ出会い”」
彼女がそう言った。僕はそれを受け取った。
「今日はありがとう。これからも、仲良くしてね」
彼女はそう言うと、くるりと身を翻して僕に手を振った。僕もそれに倣い、振り返す。
「じゃあね、また月曜日に!」
菜の花みたいな笑顔は、彼女が去ってからも僕の脳裏に焼きついた。
黄色のゼラニウム。“予期せぬ出会い”。
確かに、僕と彼女の出会いは稀有なものだっただろう。だが、僕は……。
少なくとも、その出会いのことを、恨んでいたりはしないのだ。
***
「私がわがまま言ってるんだから、貸し借りは無しだと思うけど……。ん、でも分かった。君がそこまで言うなら、私からひとつ、お願いがあるんだけど……」
「お願い?」
「うん。約束してほしいの、……これからも、ずっと私と仲良くするって」
「……それだけ?」
「うん、それだけ、絶対に約束してほしい」
「仲良く、か。まぁ、分かったよ」
「ホント?言ったからね?」
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