9

 彼女はお手洗いに行きたいとかで、僕は花屋の前で彼女が来るのを待つことにした。


 彼女は、何なんだろう。まるで、もうすぐ死ぬやつのセリフみたいだ。

 僕は、いつかの記憶を呼び起こしていた。彼女——菜乃葉じゃなくて、もう1人の、僕が唯一友人と呼べた存在のこと。


 『お前、またこんな隅っこで本読んでるのか?外で一緒にサッカーしようぜ!』


 そいつだけだった。クラスの他の子がどれだけ僕を見ずとも、そいつだけが、僕のことを見た。


 『外は暑いからイヤだ』


 その頃の僕と言えば、貧弱で女子より頼りないような子供だっただろう。


 『夏は暑いって言いながら汗を流すのがいいんだろ?ほら、早く行こうぜ。昼休み終わるぞ』


 『君は好きにすればいい。僕は本を読む方が好きだ』


 『お前なぁ……』


 僕が本を持ち直していると、教室の外から彼を呼ぶクラスメイトの声が聞こえた。


 『ほら、呼ばれてるよ』


 僕が言ってやると、彼は不服そうな顔をして僕の顔を見る。そして、


 『……明日こそ外に連れてくからな、覚悟しろよ』


 と言うと、クラスメイトの方に走って行った。


 「何でアイツなんか気にすんだよ」とそのクラスメイトが言っているのが聞こえた。そのあと、「アイツ、ああ見えて結構面白くていい奴だよ?」と彼の声も聞こえた。


 あの時も、そして今も、思うんだ。何で、僕に構うのか、って。


 「お待たせー!」


 気づけば、彼女が隣に立って僕の顔を見ていた。


 「ああ」


 「颯くん、もしかして疲れてる?」


 彼女が眉尻を下げて尋ねてきた。疲れてると言えばそうだろう。朝から彼女に振り回されたんだから。


 「うん、まあ疲れてなくはないかな」


 「君も体力ないなぁ。あっ、そうだこれ」

 

 言いながら彼女は、僕に何かを差し出した。


 「……これは?」


 ほのかに、爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 「ゼラニウム。今日のお礼に」


 彼女が差し出した黄色のゼラニウム。ゼラニウムはたしか、色によって花言葉も種類があった……。


 「黄色のゼラニウムの花言葉は、“予期せぬ出会い”」


 彼女がそう言った。僕はそれを受け取った。


 「今日はありがとう。これからも、仲良くしてね」


 彼女はそう言うと、くるりと身を翻して僕に手を振った。僕もそれに倣い、振り返す。


 「じゃあね、また月曜日に!」


 菜の花みたいな笑顔は、彼女が去ってからも僕の脳裏に焼きついた。


 黄色のゼラニウム。“予期せぬ出会い”。

 確かに、僕と彼女の出会いは稀有なものだっただろう。だが、僕は……。


 少なくとも、その出会いのことを、恨んでいたりはしないのだ。






 ***


 「私がわがまま言ってるんだから、貸し借りは無しだと思うけど……。ん、でも分かった。君がそこまで言うなら、私からひとつ、お願いがあるんだけど……」


 「お願い?」


 「うん。約束してほしいの、……これからも、ずっと私と仲良くするって」


 「……それだけ?」


 「うん、それだけ、絶対に約束してほしい」


 「仲良く、か。まぁ、分かったよ」


 「ホント?言ったからね?」

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