7

 店を出た頃には、午後1時を回っていた。


 「ねぇ、やっぱり僕の分は……」


 「いいんだよ、私が誘ったんだし。いつも私のわがままに付き合ってくれるお礼」


 僕は彼女に奢られてしまったことに、納得がいかなかった。でも、わがままに付き合わされてるっていうのは、納得できる。


 「お父さんが夜遅くまで働いてくれるんでしょう?その大事なお小遣いは、もっと別のことに使ってよ」


 彼女にしてはもっともらしい意見だけど、それでも、


 「僕にとって、君に借りを作らないことも大事なことだ」


 僕はそう思っている。もともと貸し借りが嫌いな性分だというのもある。


 「私がわがまま言ってるんだから、貸し借りは無しだと思うけど……。ん、でもわかった。君がそこまで言うなら、私からひとつお願いがあるんだけど」


 「……お願い?」


 「うん。約束してほしいの、…………」


 ***


 彼女が「本屋に行きたい」と言うので、僕らの次の目的地はそこになった。


 「それにしても、君が本を読むなんて意外だな。僕はどんなに頑張っても、君が落ち着いて座っているところを想像できない」


 「失礼な、私だって本くらい読むよ!……まあ、好きな作家の本だけだけどね」


 彼女曰く、その作家の新作が発売されたから欲しいのだとか。彼女は綺麗に陳列された本たちを目で追い、お目当ての作品を探している。


 「気になるな、君が唯一好きな作家。有名な人?」


 「ん、有名だとは思うよ。映画化もされてるし。あ、でも颯くんはあまり見てないかも、恋愛モノだから。……あ、あった」


 言いながら、彼女はお目当ての作品を見つけたらしかった。彼女の目線と指の先、一冊の本のタイトルは、——「君の愛に酔う」。


 「……藤の花言葉だ」


 僕はそう呟いた。

 藤は、美しく優雅な雰囲気の女性を思わせる。花言葉も、「優しさ」とか「決して離れない」、「恋に酔う」といった女性色が強めのものだ。


 「お、君も知ってるの?私も藤の花言葉、大好きなんだ。この作家さんね、いつも花言葉にちなんだタイトルの本を出してて。それで、私もいろいろ花言葉を調べるようになったんだあ。ま、自分の名前が菜の花に似てたからっていうのもあるけどね」


 言えば、それが彼女の「ルーツ」なのだろう。彼女がやたら花言葉に敏感なのは、この作家のおかげというわけか。


 「……ふふっ」


 急に彼女が笑い出したので、僕は彼女の頭がとうとうおかしくなってしまったんじゃないかと憂いた。


 「あぁ、ごめんごめん。藤の花言葉を思い出してたら」


 「何か面白いものでも?」


 彼女の話なんて8割はくだらないけど、僕は僕なりの最大限の慈しみをもってして彼女にそう聞いてあげることにした。


 「“忠実”っていう意味もあるの。そういえば君も、忠実だなぁって。ほら、“藤”崎くんでしょ?」


 彼女はうまいこと言ったな、みたいな顔でしめしめと笑った。要するに、僕の性格が忠実で、それが名前にも合ってるね、大体そんなことが言いたいのだろう。


 「僕って、忠実なの?」


 自分で思うところがなかったので、僕は彼女に聞いてみた。


 「かなりね。ふつう、めんどくさいなとか嫌だなとか思ったら、相手の誘いなんて断るでしょ?でも君は今日、私の誘いを断らなかった。これって、忠実だと思わない?」


 なるほどとも思ったけど、でも、言葉の使い方としては……。


 「……当たらずとも遠からず、かな」


 「なんだって?」


 彼女は間抜けな顔して首を傾げた。僕は何も言わないことにする。


 ***


 結局僕は何も本を買わなかった。彼女は例の「君の愛に酔う」を買った。タイトルから、恋愛ものなのだろうということしか想像できない。どんな物語だろう。少し気になるけど、買おうとは思わなかった。


 そんな中、彼女はなぜか本屋の店先にあったガチャガチャを回していた。


 「えっ、すっごい。見て見て!これ超レアなやつ!すごくない?ねぇ」


 彼女が興奮気味に話す隣で、僕は背を向けて道行く車の往来なんかを見ていた。


 「すごいんじゃない」


 「せめてこっちを見て言ってよ!」


 彼女は結局自分から僕の視界に回り込んで、その“レアなやつ”とやらを見せつけてきた。


 正直に言うと、それはかなり気味悪い見た目だった。なんていうか、ゾンビと妖怪を足したような、そんな見た目だった。その旨を彼女に伝えると、


 「ゾンビと妖怪のちがい分かって言ってるの?」


 と言われた。言われてみると、確かに……そうなのかもしれない。類似した物の定義なんて、区分がはっきりしているように見えて、実際はファジーなものなのかも。彼女はときどき、——こうやって、物事の核心をつくようなことを言う。


 「……どうしたの?難しい顔して」

 

 彼女はいつもの間抜けな顔に戻って、そう聞いてきた。僕は「いや」と言ってから、


 「そういえば、次はどこに行くの?」


 と彼女に尋ねる。


 「うーん。私はもう行きたいとこ行ったし……次は、颯くんの行きたいところに行こうよ!」


 彼女は満面の笑みでそう言った。けど、僕に行きたい場所なんて……あるんだろうか。


 「……別に、僕はどこでもいい」


 言いながら彼女の顔を見ると、なぜか彼女は眉間に皺を寄せていた。


 「もう、今回ばかりはそうはいかないよ!いっつもいっつも『君に任せる』、『僕はどこでもいい』、『なんでもいい』って。私はね、君の興味を知りたい」


 なんで……。


 なんで、そんな悲しそうな顔をする……?


 「……さ、颯くんの行きたいところを教えて」


 刺すような口調に、僕はたじろいだ。でも、そうだな。


 「それじゃ、あそこの花屋」


 目を逸らした僕の視界にちょうど映り込んだオシャレな雰囲気の花屋を指さして、僕は言った。


 「……お花屋さん?」


 これには彼女も意表を突かれたようでキョトンとしたけど、すぐに笑顔を取り戻した。


 「分かった、それじゃ行こっか!」

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