6

 「カルビ、ロース……あ、ミスジ食べたい」


 煙と炭の匂いが充満しているなか、彼女は何の躊躇いもなくタッチパネルで肉を注文していった。その手際を見る限り、彼女はこういう食べ放題の焼き肉に慣れているらしい。


 「ご飯は大盛りでいいよね?」


 「いや、普通盛りで」


 「男の子のくせに。食べないと身長おっきくならないよー?」


 余計なお世話だ、と僕は心の中で言った。何より彼女の言葉には信憑性の欠片もなかった。彼女の食事の量と身長は、比例関係になどない。


 「颯くんは?何食べたい?」


 「任せるよ」


 「じゃあ、韓国のり」


 「何でそうなるんだよ。まぁ、いいけど」


 「良いんかいっ!」


 彼女は楽しそうだった。上機嫌っぷりが分かりやすい。彼女はにこにこしながら、本当に韓国のりを頼んだらしい。

 彼女は相当食べるようで、大盛りのご飯に女子高校生が1人で食べるとは誰がどう見ても思えない量の肉を注文した。最初にウーロン茶が2つ運ばれてきた。これも彼女が選んだものだ。


 「やっぱ焼き肉はウーロン茶だよねー」


 彼女はグラスを手に取ると、上品、からは程遠い所作でウーロン茶を口に流し込む。喉を何回か鳴らしたあと、「ぷはっ」と中年の酔っ払いにでも間違われそうな空気を吐く。

 そういえば、焼き肉にウーロン茶、という彼女の好みは、珍しく僕のそれと一致した。だから僕は……迷ったあげく、足元に転がり落ちたボールを拾って投げ返すことにした。


 「焼き肉にウーロン茶っていうのは、僕も同意見かな。君は偏食だから、食べ合わせも奇怪なんじゃないかと危惧していたけど」


 「奇怪って」


 彼女は笑った。どうやら、僕の投げたボールはちゃんとキャッチできたみたいだ。だが僕は、思った。こんなに上手くいくはずがない。彼女とのキャッチボールが成功したためしは、残念ながら一度もない。


 「あ、ねぇ、そういえばさ」


 彼女はもう一度ウーロン茶で喉を鳴らしてから、言った。


 「颯くんって、好きな子とかいるの?」


 彼女の豪速球は、僕の顔面にクリーンヒットした。


 「……は?」


 「気になって。いつも人に興味なさそうな颯くん、誰かを好きなったこと、あるのかなーって」


 僕は、そう、面食らった。でも、なんとか体勢を立て直して、彼女の質問にどう答えようかと考えさせてもらった。


 「……いるよ、それなりに」


 「ホント⁉︎聞きたい!」


 思ったとおり、彼女は身を乗り出して目をキラキラと輝かせた。だが、残念。


 「じゃ、順番に言ってくよ」


 僕は、そんなに心優しい人間じゃない。


 「まず、僕を産んでくれたお母さん。それから夜遅くまで働いてくれるお父さん。姉さんは初めてのバイト代で僕に入学祝いを買ってくれたし、祖父母は帰省するたびにお小遣いをくれる。ほら、僕の好きな人はこんなにいる。まさか僕が、人を好きになれない可哀想なやつだと思ってたの?それは間違いだな。なんなら、まだ言えるよ。そうだな、」


 「もー、私が聞きたいのはそういう当たり前の好きじゃないんだけど」


 せっかちな彼女は、僕の話を遮ってしかめっ面をした。ああ、彼女がもう少し辛抱強ければ、僕が今一番気になっている女の子の話をしてあげようと思ったのに。


 「もっとこう、キュンキュンする感じの話が聞きたい!」


 僕は心が狭い。だから、次に僕の口から落ちた言葉は、さぞ彼女をガッカリさせたことだろう。


 「悪いけど、僕、乙女心をくすぐるようなネタは持ち合わせていないんだ。僕と恋バナをするのは諦めて」


 「何だ、つまんないなぁ」


 彼女は文字通り退屈そうにして、またウーロン茶を飲んだ。彼女のグラスに、ウーロン茶はもう3分の1も残っていない。どんだけ飲むんだよ。

 そのとき、彼女が注文していたお肉のフルコースとご飯の大盛り、そして言い訳程度に普通盛りのご飯が運ばれてきた。店員が持つお盆の上に、野菜が全くないのがまた恐ろしい。


 「あれ、野菜頼まなかったの?」


 「ん?あとであとで」


 絶対頼む気ないだろ。僕は彼女の偏食っぷりを痛いほど理解しているつもりだ。以前も学校帰りに強引にファミレスへ連行されたけど、彼女が食べたのはチーズINハンバーグと、フライドポテトと、食後のチョコレートパンケーキ。僕はその食べ合わせを悍ましい気持ちで受け止めながら、サラダとスープをいただいたものだ。

 僕の懸念を彼女は何も気にすることなく、網に肉を並べ始める。網の上に乗った肉たちが、じゅーっと、彼女の魔の手によって悲鳴を上げていく。


 「きゃー、美味しそー!」


 「……僕が野菜を頼もうか?」


 「君が食べる分だけ頼みなよ。私は自分で頼むからさっ」


 「嘘をつくのはやめてくれる?」


 僕は、本当に野菜もなしに焼き肉を食べるなんて胃に穴が空いてしまいそうなので、玉ねぎとかピーマンとか、そういう野菜を頼んだ。タッチパネルの操作には、少し疎かったけど。


 「焼けたよーお肉。はい、どーぞ」


 彼女は1番最初に焼けたお肉を、なぜか僕の取り皿の上に乗せてくれた。


 「君が食べなよ」


 「いーのいーの。なんせ食べ放題だからね。2人で存分に飲み食いしよーね!」


 「楽しそうだね」


 んふふ、と彼女は笑った。何がそんなに面白いんだ。


 僕は、野菜が来るまで待とうかとも思ったけど、冷めた焼き肉を頬張るほど嫌なものもないなと思い、お先にいただくことにした。


 「じゃあ、お先に」


 彼女はにこにこしながら頷く。……なんかムカつくな。


 口の中に入れたお肉は、それはとても美味しかった。彼女が最初に頼んだものは、“至高の逸品”とかいうタグがついた欄に載っていたお肉で、舌の上で溶ける、という定番の形容表現にも納得がいった。


 「どう、美味し?」


 「うん、まぁ、普通に」


 「ねえ、もうちょっと美味しそうに言ってくれないかなあ。食リポしてみて?」


 「……舌の上で溶ける」


 「あはっ、ありきたりぃ。下手くそだね」


 彼女はまたコロコロと笑う。笑いすぎて、顔まで赤くなっている。網が熱いからかな。


 「よぉし!私も食べよーっと」


 彼女は焼けた肉を今度こそ自分の取り皿に入れて、律儀に「いっただっきまぁす!」と言ってからパクりとお肉を口に放り込んだ。


 「んー!んまい‼︎」


 ……もうちょっとお行儀良く食べたらどうなんだろう。


 「超うまい!もう、最っ高にうまい!」


 「……君の食リポも小並感だね」


 「粉みかん?何それ、まずそう」


 「小学生並みの感想、ってことだよ」


 教えてあげると、彼女は難しくて分からない、というような顔をした。分からなければ、まあ分からないで良い。


 その後も僕たちは他愛無い会話をしながら、腹を膨らませていった。途中で僕が頼んだ野菜と、そして彼女が頼んだ韓国のりも忘れられることなく運ばれてきて、彼女はうははっと笑った。


 「君さぁ、もっと異性に興味持ちなよぉ」


 ここまでくると本当に酔ってるんじゃないかと思うんだけど、残念ながら彼女はシラフだ。


 「もう何回その話すれば気が済むの」


 「だってさ?だってさぁ、目の前にこんなに可愛い異性がいるのにだよ?君、何の反応も示さないんだもん。私は君の男の子としての本能を疑っちゃうよぉ」


 腹が立ったので、僕は彼女が頼んでくれたウーロン茶で何とか溜飲を下げる。


 「でも、でもね……私、良かった、って思ってるんだ」


 急に彼女の声に、哀愁みたいな、寂寥みたいな響きが含まれて、僕は少し驚き身構える。


 「…………何が?」


 「……君が私に、何の興味も示さないでくれて」


 独り言とか、呟きみたいな、そのぐらいの声量だった。でも、僕にははっきりと聞こえた。

 ……どういう、意味だろう。


 「………………なんて?」


 卑怯な僕は、彼女の意味深なセリフを耳から外へ放り出した。彼女は少しの間僕の顔をじっと見つめて、そのあと小さく笑った。


 「なんでもない」


 その表情が、なんとなく引っかかった。

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