心の呪い 1


「……今日は転校生がやってくるぞ!」

「―――」


 わあああああああああ! と。教室を埋め尽くすほどの歓声が上がった。


「ライカせんせー! その子ってどんな子ー!?」

「男の子? 女の子?」

「何歳? 年上年下どっちどっちよー!」

「予想しようぜ、金かけよーぜえ!」

「ははは、こらこら。っていうかそれ今質問攻めにする必要あるかい。もうその子は教室の前で待っているんだから、すぐに答えはわかるよ!」


 そんなふうに鼻の頭をかく私に、

 チッチッチー、と生徒の一人……お調子者のプヲンくんが指を振って言った。


「もーう先生ってばわかってないなあ! こういうのはね、あれやこれやと予想するのが楽しいんだよ!」

「そうそう、どんな子でもね、わたし達の新しい友達だもん。これはね、通過儀礼よ!」

「君たち、あんまりプレッシャーを与えるもんじゃないぞ……」


 そう苦笑して、私は扉の方を振り返る。


「入って来なさい!」

「はーい」


 そう――声を掛けると、勢いよく扉は開いて、その子……一人の少女がずかずかと教室に入ってくる。


「あたし、スイナ・クルセっていうんだ。……よろしく!」

「…………」


 黒板の前に立って。

 堂々と、ニコッと笑うスイナの笑顔に、教室のみんなは一瞬で心を許したようだった。


「よろしくー!」

「女の子かー」

「外れたー男の子だと思ったのに!」

「まあいいや、よろしくなースイナ……クルセ? どっちで呼んだらいいんだー」

「んなもん、どっちでもいいぜ!」


 そう言ってスイナくんは歯をのぞかせて笑った。性格的に、けっこう活発な子らしい。この子ならすぐにみんなの輪に馴染むだろう。それはいいことだ。

 また一人新しい仲間が増えた教室は、しかしいつもと変わらない……よく見慣れた教室に見える。だけど、どこか懐かしさを感じて、私はちょっとだけ目を細めた。



 午前の授業も終わって、みんなでおしゃべりをしながらご飯を食べる。この学校に給食はない。だから各々がお弁当を持ち寄ってみんなで机をくっつけて楽しく食べるのがここのやり方だった。


「おかあさ……先生!」

「ん?」

「今日のお弁当、すごくおいしいよ!」

「それは良かった。あまり私は料理が得意な方じゃないんだがね……そういってくれると作った甲斐があるな」

「何言ってるの! お母さんのご飯はおいひい!」

「…………」


 ――そして。

 私の娘、レイサの御弁当は、当然私が作ったものだ。色とりどり……とは言えない、全体的に茶色が多めの、栄養価重視のラインナップだったが、この子は気に入ってくれたようだった。


「ねえねえ!」

「んー?」

「レイサちゃんの御弁当ちょっとちょうだい! 私と交換交換! おかず交換!」

「いいよー!」


 ――レイサの一番の親友、同い年で御年七歳のミカシくんがにへっと明るい笑顔を浮かべる。それに同調するようにレイサも笑った。

 はじめは不安がっていた娘も、こうしてあっという間に心を開いてしまって、それは私の生徒たちがみんな良い子だということの証左だ。

 まったくもって、誇らしい。


「なあ、ライカ先生」

「ん……?」


 私の横でご飯をつついていた転校生のスイナくんが言った。


「先生の御弁当と私の御弁当、ちょっと交換しよ!」

「……ああ、いいともさ!」


 私たちも笑い合った。

 実は私の御弁当は……持ってくるのを忘れてしまっていた。レイサのと一緒に作ったのに、自分は家に忘れてしまっていたのを……たまたま早帰りした夫が気づいて、ついさっき届けてくれたのだが……それは公然の秘密だ。

 君らしいね、とあの人は言って……あの人も笑っていた。少し気恥ずかしかった……





「帰りの会をはじめよう!」

「おー!」


 そしてあっという間に夕刻。今日の授業は全部終わり、今日のまとめをみんなで行う。帰りの会といってもそんなにかしこまったものではない、いつも通りの、なんてことはない日常の出来事や思ったこと、明日の予定などを確認する、それだけの時間が帰りの会だ。


「…………先生、今日はわたしたちから言いたいことがあるの」

「…………?」


 しかし――今日の様子はいつもと違っていた。いつも司会をやってくれる、真面目でしっかり者の委員長……サユナが一番に手を上げて、そしてみんなを見回して、最後に私の方を見て、そんなことを言った。


「? 言いたいこと……?」


 サユナの言葉に、みんなは待ってたよ、とでも言いたげにそれぞれ立ち上がって、教卓の前に立つ私のほうをまっすぐに見つめる。

 なんだろう。

 なにか私に言いたいことがあるのだろうか? それとも、何か質問でも……まだみんなでやる行事や学習旅行は先の話だし……


「ねえ先生」

「ん…………?」

「先生は私たちのことが好き?」

「……それ、は…………」


 当たり前じゃないか、そんなことは。

 みんな、かけがえのない……言葉では言い切れないくらい、大事で大切な、私の生徒たち……

 一人一人個性は違うけど、みんな優しい、友達思いで、こんな私を先生と慕ってくれる、将来が楽しみな子供たち……

 なんで、そんなことを今更……

「そう、良かった――」

 そう言って。サユナは皆の方を振り向いて、言葉を紡ぐ。それはずっと言いたかったけど言えなかった、そんな内に閉じ込めてきた言葉を伝えるような、そんな言い方。


「わたしも……わたしたちも、先生が好き。大好きだよ」

「…………」

「だから…………」

「…………」

「先生は、

「……?」


 欠席……何を、言ってるんだろうこの子は……私にはそれが、何も分からない。


「ああ、欠席だぜ」

「先生はここに来ちゃ駄目だよ」

「うん、俺たち、先生がいなくても頑張れるしな」

「今度会う時までにさ、もっと成長しとくから、その時まで待っててよねライカせんせ!」

「会いたくてもさ、うん、先生は欠席……それがいいよ……」

「……………………、…………?」


 何を……何を、この子たちは言っているんだろう。

 口々に、そんなことを言う生徒たちを前に……私は何一つも……訳が、わけが分からないはずなのに……


「っ…………」


 なんでか、どうしてか、目の端に熱いものがたまって――それが、頬を伝っていった。

 なんだ、これは。


「…………」


 ……そして。

 ずっとモジモジと下を向いていた私の娘――レイサも。

 やがて、覚悟を決めたように――真っすぐに私の方を向いて、私を突き放すように言い放った。


「おかあ……ライカ先生、さよならだよ! けっせき……わたしも、お母さんのことだいすきだから……じゃあね!」

「…………れい、さ……?」


 レイサの表情は――笑っているのか泣いているのか、私には分からない。でも、それはきっと生まれて初めて見る表情で――私がこれまで見たことがない彼女の新しい表情で。

 でも、私を心から思ってくれるのが伝わってくる……私は、それに…………なんて言葉を返せば……


「ああ…………」

「……?」


 そうやって。

 転校生の少女……スイナ・クルセくんも……こちらに向かって、口をきゅっと結んで……一歩ずつ、一歩ずつ、迷いのない歩みで近づいてくる。


「ライカ……」

「…………う…………」

「あんたは最高の先生だよ。そんでもって、みんなのお母さんでお姉さんだよ」

「…………」

「今日、ここで……ライカの授業を受けて、本当に超心の底からそう思った。ここにやってきて、みんなと出会えて……そんで、ライカともたくさん話せて、あたし、すげー楽しい……楽しかった」

「い……スイナ……くん…………」

「だから、さ」


 ――そうやって。私の前に立って、スイナくんは言う。まるでこれが、私と交わす最後の言葉と言わんばかりに、口を開いて――それを言うかどうか、ほんの……ほんの少しだけ逡巡してから。

 それでもやっぱり、言わなくては、と、そういった面持ちで。


「ライカは欠席だ。……だって、ライカにはきっと、たくさんやり残したことがある」

「…………」

「ライカのこれからを……もっと楽しいことで一杯にしなきゃ」

「…………」

「それを探してさ……また、いつかライカの話を聞かせてくれよ」

「………っ…………う…………」

「あたしたち……ずっと、待ってるからさ」

「う、ぐ……………………………………あっ…………」


 私は――嗚咽していた。声を抑えられない、喉の奥から何か熱いものがこみ上げる。なんで……この涙は……なんなんだろう。その答えが分からない、それがただ、もどかしくてしょうがなくて――


「せーの…………」


 そして。そんな私を、それでもやっぱり笑顔で――私の生徒たちは……私の娘は、スイナくんは……優しく包み込むように、あるいは心を温めてくれるかのように……みんなが集まって私の体に寄り添ってくれて……


「ライカ先生……がんばれ――!」

「先生のこと、大好き――!」

「みん、な…………」

「ライカ先生! またねっ!」


 そう、子供たちの声が重なるように響き渡った直後のことだった。



 ――




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