決戦(ティサ・ユージュ)7


「大丈夫ですか? 今にも倒れてしまいそうです」

「…………」


 そう言う――そう心配そうに言うレイオッドの声に私が答えることはない。答えないのではない……答えられないのだ。

 私はもう、言葉を放つことも、ほとんど出来ない。まともに立つことも出来ない。ふらふらと、剣を杖の代わりにして立っている――鮮血を、体のあちこちから失禁のようにたらしながら、みじめに立っている……それだけの、かかしにも劣る状態だった。


「えーと……ここでまだやる、んですよね? 剣は……振れますか?」

「…………」


 そう笑うレイオッドは既に剣を抜いている。そして眼帯も外し――魔眼があらわになっている。例え相手が絶対弱者であろうと……最後まで楽しめるものなら全力で楽しむ、それがこの男の魂の矜持――これは、そういうことだろうか。

 相手が本気で来るのは少々誤算だが……それでも、私が出来ることは変わらない。あとはもう、もう一度……斬り合うだけだ。

 それだけしか、私にはもう出来ない。


「ああ、アアアア…………」


 ――声にならない声。それを上げながら私は一歩を踏み出す。剣を杖のように引きずりながら――決して速くはない、しかし確実に、レイオッドに近づいて――そして間合いに入った瞬間、剣を振り上げるつもりで――


「…………」


 対してレイオッド。

『紅き結い間のレイオッド』は――


「…………」


 ――これまでにない構え、だった。

 これまではゆるりとレイピアを持っていたのが、今はしっかりと指に力を籠めるようにそれを携えて――


「ライカさん……ライカ先生、あなたは……とても美しい。心の底から、改めてそう思いました――」

「―――!」


 言って。

 私が振り下げる剣に合わせるように――レイオッドはそのレイピアを一層、残像だけを残すような、手首が一瞬遅れて見えるほどに、繊細に最小限に最短の動きを持って――

 私の下ろした剣に重ね合わせるように、剣を下から振り上げて――


「――……さようなら」


 私の剣を、


 レイオッドの細き剣は、私の武骨な長剣を叩っ切るでもなく、まさしくその機能を踏襲するように切断し――その切断面はなめらかで、さきほどの再現……私の右腕が落とされた時のように、これまで長い時を共にした私の長剣は、その刀身の大部分を喪失し、空を舞っていき――


(……あ、)

「…………」

(あああ…………)


 レイオッドが私にとどめを刺そうと、ちゃきり、と今度はその剣を構え直して刺突の動作を取り、それで今度こそ、私の心臓を貫こうとする。

 奴の動きを視たのか。それとも心を読んだのか、私自身曖昧なまま、しかしはっきりとその結末を私は予感し――


、だ………………)


 ――だが、それでも。


 私は、私の中に残る最後の気力……潰えようとしている命の灯を無理やり掲げるように、残った左手を、柄を持ったその腕を上空に突き出しつつ――


「……!」


 そして、背後を振り向くように、剣戟ではない。を放つ――


 もはや後ろ回し蹴りではない、体力のほとんどを失っている私は水面蹴りのように低いところでしか、レイオッドに蹴りを放つことはできず、当然それは、片足でケンケンをするような、ふざけた動作で身を引くレイオッドに当てることも出来ず、私の蹴りは空振り、しかしそれでもバランスを崩した私は倒れずに、そのままレイオッドの方を見据えて――


「……なるほど」

「…………」


 そして残った、折られた剣の柄を――私はレイオッドに投げるように――同時、『遠打(とおうち)』――魔礎をその剣にまとわせ、本来刃の届かないところにまで刃を届かせるその技を重ねて――、柄を、レイオッドの胸にめがけて


 私の『遠打(とおうち)』と、そして柄に残った僅かな刃は――その鋭い刃は、レイオッドの心臓めがけて正確に飛んでいき――


「……当然、こうなりますが」


 ――当たり前のように、防がれる。

 レイピアを、恐らく剣技ですらない、基本となる防御の構えのみで、その柄を細い針のような剣の腹で受け止めるレイオッド。

 ここまでの攻防でレイオッドはわずかに後退したが――それだけだ。私の最後の立ち合い……一撃にすべてを賭けた攻撃は、あえなく、まったく通用せず、あとはレイオッドが私の心臓を意趣返しのように貫けば、この戦いは結末を迎える――

 そうしようとしていることを、また心を読んで認識した私は。


「…………?」

「あ」

 …………されど。

「ああああああああああ

「――」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 ――されど、


 なぜならこれが、本当に本当の、長い長い私の復讐の旅路の、その果てに見出した、唯一無二の光明だから。


 きっと――ここまでこれたのは、偶然の積み重ねなんかではない。ライコが……ライコが私の体を乗っ取って私以上の動きを持って、この男――剣境第三位と戦っていた、その事実が、これほどまでの可能性を導くとは。


「---」


 それははたして、必然か。

 あまりにも多くの命を奪い続けたレイオッド――それをもしも倒すことが出来るとしたら……底知れない力を持つこの男をもしも、この世から消し去る、そんなことが出来るとしたら……

 それは恐らく、剣士として戦った者ではない。

 当然、呪言遣いとして戦った者でもない。

 ただの、復讐者として、喰らいつこうとした者だけだ。

 ゆえに私は――それを、唱える。

 あと、半歩。

 退

 だから。


『弾ける跳ねる大小の羽虫(オオキュージュ)――』

「………………」


 私がこの戦いの最後に行うのは、剣撃ではない。呪言をたった一つ、唱えることだった。

 剣士としてでもなく、呪言遣いとしてでもなく、どちらも中途半端だったとしても。

 

 それだけを思った、たった一言――

 それを唱えた瞬間、私の指先からそれは顕現――、一筋の水分が。

 まるで無から有が生まれるかのように、しかし確かな目的と意思を伴って男の方へと直進する。

『弾ける跳ねる大小の羽虫(オオキュージュ)』は下位の魔法。

 しかし出力を絞れば……一点に集中させれば、呪言の才能のない私であっても、辛うじて、相手にかすり傷をつける程度の攻撃は出来る――


「―――」


 ――が。


 何度でも言おう、相手は剣境第三位 レイオッド・ヴァークレイン……『紅き結い間のレイオッド』――世界最強に限りなく近い場所にいる剣士。

 そんな攻撃すらも。レイオッドには届かない――防がれてしまうだろう。

 


「――!」


 同時、レイオッドがそれに気づいた。たった今宙を舞い、そして落下してきた、折れた剣が、私とレイオッドの間に落下しようとして、そして私の呪言……『弾ける跳ねる大小の羽虫(オオキュージュ)』をその刀身が受け止めるのを、極めて短い時間で、彼は瞠目する。

 私の呪言を受けた切っ先は、その方向と威力を正確無比に強めつつ、今度こそ、レイオッドの心臓にめがけて飛んでいき――そして。


「…………」


 それすらも、――


 ここは、さっきまで海があった場所。地面はぬかるんで、そしてこの場所は両横を崖のような切り立った地形に挟まれた特殊な地形――、一本道。

 しかし、たとえ足場が悪かろうと――レイオッドにはそんなことは関係ないとでもいうように、私の攻撃はただ無価値に無に帰して――


「…………?」


 ――そして。

 しかし、私の攻撃に、その攻防に、たたらを踏むように……不自然な姿勢で回避をし続けたレイオッドは……また半歩……そう半歩だけ、わずかに後退する――

 後ろ足で姿勢を整えるべく、たったの半歩だけその場から身を後ろへ逸らそうとして――


「…………!」


 ――刹那の時。彼の瞳孔が――魔眼が見開いていくのを、凝縮した時間の中で私は見逃さなかった。


 私とレイオッドの目が今一度あって――私は、きっと笑っている。それは憎しみでも嬉しみでもなく、ただ旅の終わりを予感した――そんな、首をゆっくりと振りたくなるような、ため息をつくような笑みだと――そう思う。


(これ、は……)

「…………」


 レイオッドの心の声が、聞こえてくる。

 剣士としての、レイオッドと私の戦いは、レイオッドの完全な勝利――そして私の完全敗北と言えるだろう。


 これほどまでに戦って。

 何度も何度も死線をくぐっていって。

 心の呪いでこの男の深層に近づいて。全ての動きを読み切って。

 そして剣の境の末席に触れかけて。

 ――それでも、私はこの男に、最後の最期の最後まで、己の切っ先を触れさせることは叶わなかった。

 私の刃はこの男の喉元どころか、皮膚一枚どころか、服すらも切り裂くことは叶わない。この男に私は、傷ひとつ付けることは叶わなかったのだ。

 ――だが。それでも


「レイオッド…………」


 私は、口を動かす。もう声は出ていない。だからどうか、読唇で、あるいはその魔眼で私の言葉が通じるように祈りながら、私はその言葉を紡ぐ。

 それは、出来の良すぎる生徒への、愚かで弱く情けない教師の、ただ彼は知らなくて私が知っていたことをたまたま自慢げに話すだけの、己の自尊心を満たすための無意味な行い。

 それくらいのことが、この勝負の結末には相応しい手向けだと思ったから。


「知っているかい?」


「…………」


「ここはね……かつてオルザウルザが竜と戦った場所なんだ」


「…………」


「そのあまりの破壊に……ここら辺の地形は狂っている。だから今私たちがいる場所のように……切り立った場所や異常に深い海深を持つ場所が辺りにいくつもあって……そしてね」


「…………」


「大断崖に近いこの場所では……ひとつだけ、気を付けなくてはいけないことがある」


「…………」


「オルザウルザの力……その痕跡がここには残っているから」


「…………」


「消失線……」


「…………」


「消失線が、この付近だけは、通常の位置と違うんだ。触れたらそれだけで消えてしまう……結界のような奇妙な現象」


「…………」


「竜滅ぼしの戦いから数百年経った今でも何も理解っていないものを……オルザウルザはその強さだけで狂わせてしまった」


「…………」


「君は……知らなかった? 大断崖攻略を指揮していたのに……そんなことには興味がなかった?」


「…………っ」


「たとえ」


「…………」


「ここから君がどう足掻こうと――君の呪言も、剣技も決して間に合わない」


「く…………」


「だから君はここまでだ」


「…………」


、レイオッド・ヴァークレイン――」


「―――」


 ――そう。

 私は己の心の声か。唇の動きか。刹那の狭間に言ってみたけれど、それがこの男に届いたのかどうかは分からない。

 あくまでこれは私の自己満足に過ぎない――そもそも復讐なんてものは、そういうものなのだから。

 ――そして。

 もう、どうやってもレイオッドはこの未来を避けられない。魔眼があろうと、剣の腕があろうと、どんな呪言を持っていようと、それはもう覆しようもなく決まっている。

 レイオッドは――消失線によって消える。

 この世界から追放される。

 それが確定した。

 だから。


 「――あ……」


 ゆっくりと。コマ送りのようにその場で後退していくレイオッド・ヴァークレインが。

 最期に残すのは、誰に向けた言葉か。

 私の方をゆっくりと見て――それからレイオッドは空を、その能面のような表情で見上げて。


…………」


 遺言を言い放ったのだった。







「…………」


 

 まるで最初からそこには誰も存在しなかったように、レイオッド・ヴァークレインは消失し……私はその場にゆっくりと崩れ落ちる。

 もう、体が動かない。

 体中から、全ての血液と共に、命そのものが流れ出ていくような感覚に、私はうっすらと口角を上げる。


「…………」


 レイ、オッド……。

 剣境第三位『紅き結い間のレイオッド』……レイオッド・ヴァーク、レイン……。

 あまりにも多くの死を生み出し、敵意の沼で子供の様に泥遊びをしていた、得体の知れなかった男が。

 最期に言い放ったのは、たった一言、感謝の言葉…………。


「……」


 それは、誰に向けたものだ……?

 それは、何を思って、言ったものだ……?


 自身を救ってくれたという、あの『魔女』か……、

 それとも、奴の言うところの楽しみを提供した、私……そしてこれまでの数多の復讐者に対して、か。


「…………」


 もしくは、あるいは……

 もし、奴が今際の際に……心の奥底で己の罪……それに近しい感情から、目を逸らす事が出来なくなったとしたら。

 だとしたら、生きていればこれからも悪を行っただろう、不幸を弄んだだろう、そんな自分を……今ここで打倒せしめた人間……この私への、純粋な感謝、なのか?


「今……そっちへ、行くよ……みん、な…………」


 すべては……今となっては海の中。

 奴の表情からは、それらは……奴の本心は断定できなかった。

 まるでわざとそんな顔をしたかのように、どうとでも取れる表情で、抑揚で、奴はそんな言葉をどこかに言い放って、自分勝手に、死んだ。

 本当の本当に、最後の最期まで、底が知れなかった男。


「…………」


 だったら。

 私が、その言葉を受けてするべきことは、ただ……一人の男を殺したという事実を背負って、あとはもう……己の命が潰えるのをこうして、待つだけ、か。


「…………」


 ――ふと。私のすぐ近くから、誰かが私を見下ろしている気配がする。

 もう、見なくても分かった。きっとそれは、私の呪い……ライコ・アヤシキだ。

 ライコ・アヤシキが、死にかけの私の傍に立って、私を見下ろしている。


「ざ、んねんだったな……私の体を乗っ取れなくて。私は、もう、死ぬ……死んでも、あの子たちのところには、行けないかもしれないが、ね……私は、人殺し、だから……」

「…………」

「さよなら、だ…………」

「…………」


 そう言うと。ざくざくと気配は遠ざかり――


「あっそう。残念ね」


 それだけを呪いは――心の呪い、ライコ・アヤシキは言い捨てて。濁流が――遣い手がいなくなったからだろう、通常の制御を取り戻した海流が、まるで遠くから高い壁のように、私をその海原に飲み込もうと、波が私をどこかへ連れ去ろうとやってきて――

 私は、私の意識は深い深い海の底のように静かな場所へと――



 暗幕が降りるかのように、ゆっくりと消えていった。



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