決戦(ティサ・ユージュ)6
「ッ……………………!」
「――!」
――そうやって、私とレイオッドの剣が、数えて何度目になるかもわからない、高速でその刀身を削り合うように不協和音を奏でて――
「…………はあ、はあ……」
私の意識は、真に正しく、こちらの――私よりいくらか年下の、今現在の剣境、レイオッド・ヴァークレインと対峙する、そんな現実に立ち返る――
「今……」
「…………」
「もしかして、僕の心を……見てました?」
「…………」
レイオッドは――このレイオッドはの表情には、特に何の感情も見えない。薄く張り付けた笑みでもなく、ただ、ぼんやりとするようにこちらを見つめていて――
「レイオッド……お前は……」
私は――上がった息を落ち着けつつ、改めて、距離を取って、剣を構えて男を見据える。
「あの、魔女、は…………」
「……ああーそこも見られてしまいましたか。いや、別に構わないんですがね……」
こつり、とレイピアの柄で己の頬をこすりつつ、レイオッドは――仕方ないなあ、と呟く。
今こうやって――脳裏に思い浮かべるでもなく、私はさきほど見た光景を――ありありと、むざむざと思い出すことが出来る。
それは不条理な残酷と、そしてそれを行うに至ったこの男の性質と、そしてそれを行えるに足りるようになった、この男の力、魔眼の起源についてだ。
(この男……なにかある。嫌な予感がする――)
可能なら、じゃない。確実に……今この場所で私が打倒せしめなければ――もっとたくさんの人が……いや、もっともっと大きな何かが崩れ去るような、そんな危うさを、この男の心に私は感じる……
「――まあ、どちらにしろ結末は変わりません。あなたの旅はここで終わる。ここであなたは死ぬ」
「…………」
「とても楽しかったです。でも、そろそろ終わりにしましょうか」
「…………」
――明らかに、さきほどよりトーンダウンした様子でそう告げるレイオッドの感情は怒りではなく、まるで遊び疲れたかのような、あるいは散々使い倒した、もう見飽きてしまった玩具だとでも言わんばかりの、人を見る目ではない私に向けられる目――
「…………」
そして私は。
私は、一歩この男に――恐らく、生涯最上となるだろう、集中力と決意を持って、この男と剣を交え切るべく、接近する。
さらに己を次の段階へと進めるイメージだ。
才覚のない私が、呪いの補助を借りて、辛うじて足の指先だけ触れられる程度の場所。剣の境を私は超えることは決して出来ない。しかし、剣の境を視界の端に映す程度のことは――出来なくてはならない。
それを可能にする程度の鍛錬は、積んできたのだから。
「僕は僕を救ってくれたあの方の喜ぶことをしたいです。……と同時に、世界を面白くしてくれる人が好きです。でも、あたなはもう飽きてきました」
「そうか――暗合だね。私ももう、君の顔は見たくないのだが……出来の悪い生徒には居残ってもらわなくてはならない。それが例え放課後を過ぎてしまおうと」
「……あは……」
ライカさん――ライカ先生……やっぱりあなたは。
「いい先生です」
そう言ったのと、レイオッドが加速――魔礎を己の足元に集めて爆発的な動きを可能にしたのだろう、ノーモーションで一足跳びに私の間合いに入ってくるのを私は――
『動鯨(どうげい)』
――円を描くような軌道を描いてレイオッドの顔面を斜めに切るように剣を振り下ろす。
それをレイオッドは急停止して難なく、剣を盾にするでもなく回避し――
「斬り、切り、斬り、切り……」
『牢山(ろうざん)』『鉄花(てっか)』『閉遊(へいゆう)』『稲引(いなびき)』――
レイオッドのめくるめく。
目にもとまらぬ速度で繰り出される剣戟を、私は心の呪いをより進行、深行――させることで、辛うじて、辛うじて薄皮首の皮一枚回避しつつ、そして同時に己の技を合間合間に差し込むように押し付けようと――もがく。
もがいて……何度も何度も、目まぐるしく、『ロウギ』のように変わっていく戦局は、詰み筋をどちらがより早く見つけるか――相手の動きから綻びを見出し、あるいは一刻も早くそれを作り出す、息をつかせない、瞬きすらも許されない、そんな速度の中でのやり取りである。
「あなたは素晴らしい……」
「…………」
「僕がこれまで出会った中で……僕に会いに来てくれた人々の中で……これだけ長く戦ってこれだけ追い詰められたのは初めてで、恐らくこれが最後になるのでしょう」
「…………」
追い詰められたといいつつ。未だに私はこの男に、ほんのかすり傷すらも、付けられていないのだが――本心から、この男はそう思っているようだった。
「だからこそ、美しい死に方をしてほしいです」
「……」
「お願いしますね、ライカ先生」
「――」
――そうやって。私とレイオッドは互いの歩みを、走りを止めることなく、無数かと見紛うほどの剣のやり取りを継続しながら、砂浜から海辺へ、奥へ奥へと深い地形へと進んでいく――
「……!」
視界の端に光る微生物のある――洞窟が映った。今の時刻はまだ干潮に入っていないはず、なんで洞窟が姿を現している――それに、さっきから、足元がぬかるんで……
「――気づきました?」
「!」
「あの……あなたにそっくりな呪いの……ライコさん……ライコ・アヤシキさんとの戦いでね、実は僕、すごく消耗してるんですよ。大魔法を……ここらへん一体の海をある程度蒸発させる……他にも海を動かすくらいの攻撃をさせて頂きました。この雨も、多分、その影響なんじゃないでしょうか――」
「…………」
……まったく。なんて馬鹿げた力だ。海を蒸発……あるいは水流を操作してそれをライコにぶつけ離したというのか。
上位以上の魔法を扱える呪言遣いは、自然現象にも介入しうる、それほどの力を持つとは聞いたことはあるが……実際目の前にすると、本当にばかばかしい……なんて人の摂理に反した、身に余る力だ。私では……とても扱いきれないだろうな。私程度の女は、呪いを一つ抱えて、独りの人間を殺す。その程度で、めいいっぱいなんだから――
「戦いの場は広い方がいいでしょう? 喜んでくださいね――」
「―――」
そして、私たちはつい先程までは海水で溢れていたであろう場所に立ちいって、なおも剣で会話を、剣で対話を、剣を無量に突き、放ち、刺し、切り、撫でながら――
戦いを続けていく。
「…………ふうっ」
剣の境……あらゆる剣士の頂点。世界最強。
確かに私の動きは今、その末席に指が、小指の先が辛うじてかかる程度の場所に到達しつつある――その程度の段階にはここにきて、入門していたのだろう――が、しかし。
「……詰み、です」
――相手は剣境第三位 レイオッド・ヴァークレイン。
全てを覚えることのできる魔眼と、完璧に近い剣技と、己の魔力が続く限り、おおよその大魔法を容易に放つだろう、呪言遣いとしての側面を持つ、剣境上位の剣士だった。
相手がこの男でなければ、私はもう何度も殺していただろう。
しかし相手がこの男だから、私はもうじき殺されるのだ。
その程度……己の力量と相手の力量の差が生み出す結末くらいは、心の呪いを使わなくても読むことが出来る。
これはただ、それだけの話だ――
「ッツ…………!」
「今のは、深く入りましたね…………」
「…………はあ、はあ……」
深く。入ったところではない。今の攻撃、レイオッドの剣閃で私の、右手の親指が切り落とされた。これでは、剣を両手で握ることはできない
「次は、こういうのはどうでしょう――」
そして、剣を構えた手と逆の手――すなわち、たった今親指を切り落とされた……今は宙ぶらりんにしていた右腕が、ひじの先から吹き飛ぶように――レイオッドがその細いレイピアを横なぎにすると、くるくると私の右腕は中空をさまよったかと思うと――そのままぽとりと背後に落ちた。
「…………」
鮮血が。男の目よりも赤い私の血が、とめどなく流れて、流れて――それはもう止まることが無いように思える。
「あとはこれで……いいでしょうか」
――そして。剣境 レイオッド・ヴァークレインはもう素早ささえも必要ない。
そう言わんばかりに、ゆっくりとした動きで――その細い剣の剣先を、私の胴体に刺しこんで――引き抜いた。
今度は、私の腹部の辺りから……赤くはない、黒々とした血がにじみ出て。どろどろとはみ出てくる。
「肝臓を貫きました……残念ながら致命傷です。あなたはどう足掻いても終わりです」
「…………ぶふ」
――私の口から、鼻からとろりと赤いものが流れ出てくる。なるほど、また心を読むまでもなく――実感する。これは急所だ。どうやっても助からない、今私はそんな攻撃をこの男から受けた――
「……ありがとうございました。楽しかったですよ!」
「…………」
そうして。片膝をつき、呼吸がどんどん荒くなる私を一目見て。人懐っこい笑顔でそれだけ言うと、男は――レイピアを腰に納め、ゆっくりと……ゆっくりとこの場を離れようとする。
あとは、海の水がここに戻ってくれば。埋葬もいらない、ここが私の墓場と言わんばかりに、海の藻屑だとそう言わんばかりに――もう私に興味をなくしたというように、その場を離れていくレイオッド。
「…………」
――確認しろ。
私は……私の体を確認しろ。
体はまだ動くか……心は、まだ動くか。
脳が混濁し、舌が徐々に回らなくなってくる……急激に低下する血圧が、私の体を地面に縫い留めようとしてくる……体の擦過傷は百や二百じゃ効かないだろう。骨も……ライコが戦っていた時どころじゃない、更に十数本……何より問題は。私の右腕が、ひじから先がもはや欠損してしまっていること……私が出来るのは。
私がここからできるのは、片腕でこの剣を操って、剣境第三位を倒すこと……万全に等しいこの男の喉元に食らいつくこと。
「…………」
そんなもの。
出来るわけがない。生まれてたての赤ん坊すらも、そんなことを聞けば愚かな事をと腹を抱え、馬鹿な女だとあざけり笑ってくるだろう。
「…………」
だが、仕方がないじゃないか。
まだ、それでもまだ……私の両足は動くんだ。それなら……きっと、立ち上がらないと嘘じゃないか。
「…………」
……たくさんの雑音が。私の周りを通り過ぎるような感覚。
呪い……呪いというものは。
その呪いの宿主たる者が死んでしまうと、呪いごと消えさるという。
ならば、この雑音は……今流れ、私の体にまとわりつく無数の音はきっと、これまで見てきた聞いてきた感じてきた心の声。その軌跡。
これは、呪いの走馬灯か……様々な人間の感情が、私の心を覆いつくし侵食しようとする――そんな、感覚。
「…………」
……それでも私は。そんな走馬灯を振り払い、もう一度立ち上がる。それもこれもすべて、目の前から遠ざかる男を呼び止め、この場にとどまらせ、もう一度戦うためだ。
「レイ、オッド……ご、ぼ…………」
「!」
振り返る男。白髪の、眼帯の男。
男は再び付け直そうとしていた眼帯を、いま一度外しながら――
「……驚いたな。まだ立ち上がれるとは……」
驚いていない顔でそんなことを言った。
しかし私にはわかる。私の心の呪いは、この男の本心……実のところ、驚愕に近い感情を立ち上がる私の姿に垣間見ているということを、教えてくれる。
そうか……そんなに驚かれるほど、満身創痍に見えたのか。それは、都合がいいのかな。
弱弱しく見えてくれる方が、望みをつなげる。
手負いの獣の攻撃を、この男に通す――そんな男の剣よりも細い、針ほどの道筋を、よりつけられやすい――その程度のことを私は考えて。
「来な、よ…………」
「…………」
私は振り向いて、一歩ずつ、一歩ずつ、その場所へと歩みを進める。
そこは――海底の地形が他とは少し違う、両脇が深く崖のようになっており、一本道のように切り立っている――そんな、本来は海の中に隠れていて見えない、そんな私が戦う、最期の場所におあつらえ向きの……ロケーションだった。
「面白いなあ……」
そんなことを言いながら――レイオッドは、私のあとについてくる。先程まで終わったと、半ば興味を失っていたのが、今は私の死にざまを見るために、私が画策しているだろう、最終最後の攻撃を、その攻防に期待して、私の後ろをざくざくと歩くレイオッド。
私のゆっくりとした歩みに合わせるように――その視線は、細められ、微かに孤を描いて楽しそうにこちらを見ているのが、背中から感じ取れた。
「…………が、ほ……」
私に残された命はあと少し――そしてこれが正真正銘。
最期の攻撃だ。
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