決戦(ティサ・ユージュ)5
「―――――!」
目が、覚める。
「が、はあ、はあ、はああ…………っ!」
――せき込む。そして、辺りを見回す。
(ここ、は……)
――さっきまでと場所が……いや違う、場所は同じだ。ただ一瞬景色が変わってしまったと錯覚したのは、それは空を覆う雲が……呪言によってつくられたものではない、本物の暗雲から落ちてくる雨粒が、小さいものから大きいものへと変わっていく、その過程だったからか――
それとも、今私がこうやって……仰向けで寝転がっていた場所が、さきほどまで戦っていた場所とは思えないほどの破壊痕を残し、そして目の前のこの男が――その盲いた瞳と紅の瞳が、こちらを……かすかな驚きと共に見つめていたからか。
さっきとは、戦況が――いや、戦況は変わっていなくとも。状況は大きく変わっている。
「雰囲気が……変わりましたね?」
「…………」
「あなたはライコさんではない……ライカさんだ。予感ですが、そんな気がします」
レイオッド……レイオッド・ヴァークレインが、また、薄く口元を歪めて――こちらに微笑みかけてくる。
私……私はゆっくりと身を起こし……瞬間、己の全身に激痛が走る。
「…………」
見ると――私の体には更に更に切り傷が、打撲傷が、いくつもいくつも刻まれていて……しかし、その傷のどれもが致命傷にはなりえていない、骨は一本か二本折れているようだが……体の一部がするどい痛みと熱を発し続けていたが、いずれにしてもそれは私の動きを……剣の冴えを妨げるものではない。
行動不能からは程遠い――、問題なしとはいかなくとも、私はまだ戦える。剣境を相手に、まだ立ち上がれる。
「…………」
一方の――第三位の男は、何をするでもなく、こちらをただ静かに見つめる。呼吸は……私が覚醒した直後はわずかに上がっていたようだが……それも今は収まって、極めてニュートラルに近い状態に返り戻っている。そして笑えることに――男の負傷の具合は皆無。長い剣撃を経て未だ、無傷――かすり傷すらも、僅か剣先の端すらも、まだこの男には届かない――私の培ってきたあらゆるものは、まだこの男に近づけてすらもいない。
これが世界の高み、剣の境に至りて――なお高きにおかれる者の、力。
「…………――」
だが。
それがどうしたっていうんだろう。決めたじゃないか。呪いだろうがなんだろうが、私の持つあらゆる全てを用いて――己の全てを賭けて、この男を打倒すると。
諦めるには、早すぎる――
「では、ライカさん……再開しましょうか! 気勢よしに見えますしね」
「ふふ……」
「?」
――なぜだか分からないが。能面に張り付けたような男の笑みが面白おかしく思えて、私は吐息をもらすように失笑してしまう。
どうも……頭がはっきりしていた。心の呪いを持ってから……片時も、ほんの一瞬も途絶えることのなかった鈍い……脳にへばりつくような頭痛も、今は消えていて。
すっきりしていた――世界が少しだけ、鮮明に映っていた。息が上がりズタボロで……なのに、今ならこの世の全てが分かるような、奇妙な全能感。
「…………」
私は――ほんの一瞬にも満たないわずかな時間瞼を閉じる。私が己の心にもぐっていた間起こっていたこと……ライコとレイオッドの戦い、その激しさが、なぜか、直接見てもいないのに、もう一度繰り返されるかのように、私はそれを改めて、もう一度体感するかのような、己の心を映像として再度味わうかのような感覚を経て――
これまでの両者の戦闘、その経緯をおおよそ自覚する。
辺りの無茶苦茶な破壊は、レイオッドの放つ大魔法の結果によるもの。それをくぐり、回避し、ライコ・アヤシキは剣境にひっ迫するほどの動きを見せ――くらいついていた。
レイオッドの魔眼――、一度見たものは決して忘れない。一度観たことを再び実行できる。それが呪言であれ、剣技であれ……己の資質に関係なく、それを行い、再現することができる力……
「…………」
強い。
魔眼は呪いとも違うようだが……、まったく別の成り立ちからこの男に宿った力のようだが……私の心の呪い、相手の心を覗き見る力に匹敵……否、使い方によっては遥か凌駕するほどの能力だ。
この男がもし――歴史に名を残すような呪言・武器遣いの力をその眼で見れば、この男は……どこまでも強くなるのだろう。あまりに危険な力。
「……とはいえですね」
「…………」
「呪言を放つには魔力が必要です。同じことが出来ると言っても、無から有を生み出すものでないので……それにこの目を使うとかなり疲れてしまうので、あまり使いたくはないんです」
「…………」
そう言って。レイオッドはまた、無害な少年のようなあどけなさを演出し、笑った。
「でも、今のあなたには使う必要があるようだ」
「…………」
この男は……
私の思考を見ているわけではない、ただこの男の魔眼の力の影響か……こいつは、人をよく見て、あまりによく見れるがあまり……相手が何を考えているかを正確に察せられるだけだ。
臆するな、この男に私の心は覗けない。
私の大事なものも――この男には侵されない。
そして私は、この男の全てを暴ける。
この男をもしも私が倒せるのだとしたら――それは、その覚悟の先にしかありえない。
雨粒が、いよいよ大きくなっていく。
雨音があたりに響き渡り、近づいてくるレイオッドの足音を消していく。
私は――私も、もう一度この男に向けて、しっかりとした足取りで近づいていく。
互いにあと数歩で、再び私たちは相まみえる。
「私は……器が小さくてね」
「……?」
「これまで人を一人も殺したことがない……」
「そうですか。僕はもう……数えきれないくらい殺してしまったなあ。あなたの故郷でも……かなりの数を稼いでしまいました」
レイオッドの言葉は――私の激情を煽りはしない。私は落ち着いている。
この男の言葉は……もはや心に響かない。
「でもね……」
「…………」
「でも、たった一人、一人の人間を殺すだけなら、それはつり合いがとれているだろう?」
「…………」
「一人分の命なら、私の業の器に収まるはずだ。だからさ――」
「…………」
「改めて君を殺すよ」
「あなたはやはり……いい」
数度交えた言葉も終えて。私とレイオッドは互いの剣が互いの首をはねられるであろう位置までとうとう接近し――
『心の呪い』
「―――!」
レイオッドがそのレイピアを居合のように抜刀したのと――私が改めて、奴の心に触れたのは全くの同時だった――今度は。
(…………!)
暗闇ではない。
はっきりと見える。
レイオッドの心の表層ではない、深層、奥の奥へと私は――おそらく、時を分割し続けて、最小の時間の隙間に身を滑り込ませる程の刹那に、侵入する――
「――!」
ふと気づいたら。
私は……私は、町の片隅に立っていた。
「ここは……」
そうつぶやいた直後、私の横をたくさんの子供たちが駆け抜けていく……知らない、見たこともない少年少女たち……
異国の風景。
知らない町の知らない場所で、知らない子供たちがにぎやかな声を上げている。
「…………」
そして目の前には――
教会があった。これは……恐らく建築の形式からして、レサニア教徒の……
「――レイくん! こんなところにいたの!」
「!」
立ち止まる私が見えないように……そこに存在しないように、一人の年老いた修道女が私の体をすり抜けて、にぎやかに騒ぐ子供たちとは違う、たった一人、壁に背をあずけて、ぼんやりとしていた少年のほうに駆け寄った。
「……なんですか、シスター」
「ふふ、なんでじゃないのよ。またこんなところで静かにしちゃって。……まだここでの生活には慣れませんか?
「…………」
――少年。レイくんと呼ばれた少年は困ったようにぎこちない笑みを浮かべる……白髪に、両の赤い瞳が特徴的な……これは、もしかしてあの男か。
「レイオッド……」
レイオッドの、幼い頃の姿を、私は追体験している――心を深く読むことによって、私自身が……
「……すみませんシスター」
「あ……もう、まったく!」
そう思ったのもつかの間、少年は困った顔をしたまま、その場を逃げるように立ち去る。
「大丈夫ですよ、私たちが付いていますからね……」
その姿を見送って――老いた修道女は優しい笑みを浮かべる。この場所は慈愛の家……レサニア教が運営している、孤児院と学校が併設された施設のようだった。
この場所がどこなのかは分からないが……恐らく街並みの様子を見るに、レサニア教が国教として定められている北方国家のどこか――帝国とはそれほど離れていない……
「……?」
そうして。ただ佇んで、移動もしていないはずだった私は、いつの間にか別の場所にいる。ここは……さっきの教会にほど近い。孤児院の中、か……?
「なあ、レイ! 閉じこもってないであそぼーぜ!
「そうそう! 知ってる? 太陽に当たらないとね、骨がもろくなっちゃうんだよ!
「ぼくたち、これからみんなで裏の草原までハイキングにいくんだ!
「おいしいお弁当もあるよー」
「…………」
子供たちが……さっき楽しそうに走っていた子供たちが、白髪の少年をかこんで、口々になにか遊びに誘っているようだった。でも……
「……」
ただ……彼は、少年は困ったような顔をしているだけで。やがて……一人、また一人と彼の傍からは人がいなくなった。
そうして、静かになった通路で、少年は一人ため息をついて……自身の寝床だろうか、部屋に戻って……ベッドに横になる。
(世界はつまらない)
「…………?」
(シスターもみんなも、なんであんなに楽しそうなんだろう?)
「…………」
(なにがあの人たちを、あんな笑顔にさせるんだろう)
「…………これは……」
そうやって。何をしたわけでもない、ぼんやりと少年の――規則正しく呼吸をして上下をする背中を見つめているうちに。
私の頭の中に、声が響いてくる。
これは、これまで何度も何度も体験してきた……心の声だ。
まるで、少年の心の奥底を克明にするように……これまでになく、はっきりとした実体を伴って、少年の声が……私の頭蓋に響き渡る。
「…………」
ここが……レイオッドの心の中ならば。私は、こいつの過去の記憶の中で、幼い頃のこいつの心を読み取っている、ということか……
こんな感覚は、疑いようもなく初めてだ。これまで何人も……数えきれない程多くの人間の心を視てきた私でも。
恐らくここまで深く内心に入り込んだことはなかった。
(別に辛くなんかない)
「…………」
(パパやママがあの事故で死んだときも……なんとも思わなかった)
「…………」
(嬉しくも、哀しくもなかった。ただ、話し相手がいなくなったから退屈になったかも……)
「…………」
(この場所に引き取られた時は……だから、また話し相手がたくさん出来て、暇つぶしになるかなあ、って思ってたけど……)
「…………」
(なんだか、やっぱり、つまらないんだよなあ。面白くない……うーん……)
少年は――今度は仰向けになって、何もない天井を、ただ無為に見つめている。
(なんか……飽きちゃったなあ。世界って……すごくつまらない)
「……」
もう、死んじゃおうかな……
「―――!」
――そう。
……そう、少年が……幼きレイオッド・ヴァークレインが呟いた……それは心の声だったのか、実際に彼が言葉として発したのか定かではない。ただ間違いなく本心から発したその言葉が世界を震わした刹那の……瞬間だった。
「な……」
それは突然、この部屋に現れた。
(こ、れは…………)
黒い塊。
黒い靄のようなものが――孤児院の自室でただ一人いるレイオッドの前に現れて――そして、彼の前に、ぽつんと佇んだ。
「なんだ、これは…………」
黒い塊。それは煙のような不定形のようなものに……最初形あるものには見えなかったが。
「わ、うわ…………」
それは、徐々に徐々に、それを鮮明なものへと――変えていき、それはやがて、独りの女性の姿を形どったように……私の眼にはそう見えた。
もっとも鮮明とは言っても――しかし、それでもその女の輪郭はくっきりとしたものとは程遠く、まるで焦点があっておらず……つまるところ、その存在に現実感がない。強烈な異物感と……これは、嫌悪感、か……得も言われぬ、得体の知れない感情が、それを見た私の胸中を覆いつくそうとする。
初めて見るものなのに、ずっと見られていたかのような気持ち悪さ。
「わああ…………」
――しかし、対してレイオッドは。その女が出てくるなり目を輝かせて起き上がって……彼女の前に降り立った。
私とレイオッドではこの黒い女に抱く感情がまったく正反対に異なるようだった。それは――大人と子供の感性の違いという話では恐らくないだろう。
「…………」
レイオッドの心の中にして、しかし女の姿がはっきりとしないのは、レイオッド自身も、この女の姿かたちをはっきりと捉えられていないから……とそう、推測を付けて、私は、この奇妙な現象を……今はただ、見つめる。
「あ、あなたは……誰ですか?」
「…………」
緊張した様子の……しかしここに来て初めて見るような、レイオッドの高揚した感情。それにこたえるように、黒い女は静かに笑みを返した――少なくとも私にはそう見えた。
「……え……」
そして女は――レイオッドの右目にゆっくりと触れる。
数秒か、数十秒か……どれだけの時間がたったのか分からない。しばらくそうしていたかと思うと――
「――!」
「……あ……」
――いつの間にか。黒い女は消えていて、後にはうずくまってかすかに震えるレイオッドがそこにはいるだけで。
他にはなにもなく。
まるで何事も起こっていなかったかのように、窓からは少年少女の遊び声が、まるで思い出したかのように響いてきて。
「なんだったんだ、あれは……」
呟いても、答えは分からない。しかし――
「魔女、さま…………」
「…………?」
そうつぶやいて、ゆっくりと立ち上がったレイオッドの表情はこれまでにないほど、少年らしく、ともすれば活発にみえるほど、生気に満ち溢れていて――そして。
レイオッドの赤い両の瞳、その片方は、まるで盲いたように、白く濁っていた。
「…………!」
ここは……
ここは……また場所が――さきほどまでいた孤児院から、今度は教会へと変わっている。だが、何かがおかしかった。
「…………」
今現在、日は登っていて……最初にここに来た時と変わらない、町は活気が出始め、多くの人々が往来を行き来している、今はそんな時刻にもかかわらず。
(静か、すぎる…………)
――、一歩。そうやって私は教会の中に入る。
教会は、多くの宗教的な装飾が施され、礼拝のための設備も、祭壇も、聖歌を奏でるためだろう、楽器がいくつか置かれていて、何の変哲もない――私もかつては何度か立ち入ったことがある、そんな、一般的なレサニア教の教会に見える。
心の呪いを受けてからは、宗教的なものが私への毒となるので……立ち入ることはなかったが、ここは現実ではない、かつてあった過去を再現している、記憶の残滓のような場所……それゆえに私は問題なく、ここに入ることが出来たが――
「…………」
誰もいない。いや、独りだけいた。
正面の――多くの長椅子が立ち並び、そして祭壇の正面に位置する場所。ステンドグラスから漏れいる光がその一点を特にこうこうと照らし、教会のもっとも目立つ場所に、その少年――レイオッドは立っていて。
(な…………)
――そして。彼の足元には彼の瞳の色ような。
おびただしい広がりを見せる深紅の液体が、あるいはまるでワインのように、床をゆったりと濡らしていて――
「…………」
彼は何も言わない。足元に転がる、何人もの……子供たちの死体を前に、何も言わない。
ただその手に持ったナイフを使いづらそうに握り直し――
「ふふ」
――つい漏らしたというように、ため息のように失笑して。それは私がこの男と対峙して、何度も見た、今の――剣境、レイオッド・ヴァークレインに繋がる、そんな横顔でしかなかった。
「…………」
レイオッドが、殺した。何人もの子供たちを……ただ無意味に無価値に――
「ふ、うん?」
そう言ってまじまじと辺りを少年は見回して。
「すごい、すごいな……どんな呪言も、剣もこの目なら、覚えられる。すこし、世界が面白くなったかも……ありがとう……僕はあなたのために頑張ります……」
「…………」
何事か。誰に向けたのか分からない、そんな独り言をつぶやいて。
彼の一番近いところに転がる、老いた修道女――その旨に、彼はナイフをとさりと落とし、突き立てるでもなく、それが修道女の胸に深々と刺さっているのを確認して。
こちらを――振り向く。
「っ……!」
私が……立っている方を、ゆっくりと振り向いて――
「……僕を見ているのは、誰?」
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