決戦(ティサ・ユージュ)3
――あの日から、私は呪いを背負った。
燃え盛る故郷を背後に、断続的に響き渡る悲鳴を聞きながら――しかし私は耳を塞ぎながら、できるだけそこから離れようと、いつまでもいつまでも、脚が棒のようになっても吐瀉物をまき散らすほど体をすり減らしても歩き続けて。
やがて、逃げて逃げて別の国を渡るころ――擦り切れ服もぼろになったころ、道端に倒れ込んだ。
そこは、どこかの国の、どこかの路地。
体が動かなくなった。
目の前で……親しい人たちの死を見て。赤い炎の中で嘘のようにきらめく刀身を――レイオッド・ヴァークレインが操るレイピアが私の大事な人たちの命をひとつずつ刺し貫き喪失させていくのを遠目に見ながら、私は――私は、彼らのもとに駆け出すことができなかった。
恐怖……それもある。
その時の私は――目の前の現実が怖くて、それを直視することが怖くて、一刻も早くその場から離れたくて……同時に、私がたとえその男に立ち向かったところで犬死にになることが目に見えていて、私の大事な人たちはきっとそれを望みはしない、と勝手に彼らの意思を言い訳じみた思考で踏襲し、冷徹に冷静にあの場所から離れた自分がいて。
私は……自分が嫌いだった。憎かったのだ。たとえ蛮勇であっても、あの場であの子たちの、あの人たちのもとに駆け出せなかった自分を心底呪った。
だが、もう飲まず食わず、ただあそこから逃避し続けた私の体は動かない。このまま……このまま自分も死んでしまえばいいと思った。
もう目も耳も……見えない聞こえない。すべてが無になって何もかも、消えてしまえば、それでもう終わりだと思った。
「――……?」
そんな時……
最初は雑音だと思った。脳が淀んで、おかしくなっているのだと……
だが……音はどんどん大きくなり、それはいつしか私の耳に……いや違う、脳に、瞳に、感覚として感触として直接訴えかけてくるようで。
音は意味を伴っていって、それは、人の声で、人の考えている事だった。
……心の呪い。
その日、私は呪いを背負った。
他人の心を読むことができる。代償にいつしか私は己の自我を喪失する。その頻度は徐々に高まりを見せ、いつしかそれは制御ができなくなっていく。
「…………」
――呪いを得た私はもう一度立ち上がった。
己の首をくくるためではない。この呪いを戦いに活かすため。この呪いを完全に制すことはできなくとも。相手の心を読むことが出来るのならば、それをもしも、戦闘に応用することができれば。
あるいは、あの男の喉元に刃を近づけることが出来るかもしれない。
私は武器として剣を選ぶ。はなから凡夫の私には、かつて人並みに出来たことがこれしかなかったから。
それからは剣を振り続け――他者の心を読み、相手の動きに合わせるように己の体を動かす術を学んだ。
長い長い時間。旅を続ける。一人の男を殺すための旅路だ。
毎日、毎日剣を振り。男の情報を集める。
さして時間がかからず男が剣境――世界最強に近いところにいるということを知る。
あの日町を襲ったのが、帝国の意思ですらなく、あの男個人の意図であることを知る。
だんだん、だんだんと男がいる場所へと近づいていく。
時を経るごとに、怒りは色あせるどころか、はっきりとした形を伴って――私の中に巣くっていった。それは竜の舌のような……あの日の炎のような、赤黒い殺意――
「くっ…………!」
――だが。
「なるほど、確かに……あまりに勘がいいのかと思いましたが、僕の心を読んでいるのであれば――さきほどまでの動きにも得心がいく」
(読め、ない……!)
私は剣を振っている。
剣を薙いでいる。
剣を返し、剣を伸ばし、剣を――剣を剣を、これまで数千、数万回、数え切れないほどやってきたことから、正解を探すように、目の前の男の流麗な剣閃に食らいつくように、剣戟を続けている。
確かにこの男の表層は読める。しかし深層に近づけない。それはつまり、この男の動きの灰汁のようなところにしか私は対応できていないということ――
また何度か剣を交じあわせれば、レイオッドは容易に詰み筋を見つけ出し、一切の無駄と遊びがない動きで私を今度こそ殺すだろう。
それはもう遠くない未来――
「ねえ、変わりなさいよー」
「っ…………!?」
「?」
――そして、その時はやってきた。私は自分の口元が意図せず動いたことに一瞬驚愕し――そして、
「あなたじゃこの男に勝てない……でもわたしなら勝てるんだからー。こいつを殺してあげるわそのためにあなた頑張ってきたんじゃない頑張りましょうよあなたは私私はあなただからいいじゃないねえねえねえねえねえねえアハハハハハ……」
「だ、まれ…………!」
「…………」
剣の動きが不規則になる。通常私からはあり得ない挙動、突如として変化した立ち回りにレイオッドはその整った顔の片眉をかすかにひそめて――
「ああ、なるほど。それも呪いの影響ですか。いやあ、面白いなあ」
にへり、と。何事もないように適応したようだった――
「…………!」
これが剣境。今こうしている瞬間も、目にもとまらぬ速さで剣が交錯し、わずかな身のこなしの誤差で互いの体がいともたやすく貫かれ切り伏せられる状況にあって――この男は未だ無傷。どころか汗ひとつ掻かず、呼吸も乱れずにその微笑をさらに涼し気に――
「あなたが弱いのは分かってたわーでもね、ここまでとは思わなかった。ねえねえ、あなたはわたしなんだから早く代わらないと手遅れになっちゃうわよお? ねえねええねええ……」
「消えろ、ライコ……これは私の戦いだ! お前に邪魔されるために……私は……!」
「呪いに頼っておいてそんなこと言うんだー……?」
「…………っ!」
ふうん? ふうんふうん? と呟く自分の口元を止めることが出来ない。こいつのせいで呼吸のリズムが整わない! ただでさえ一呼吸も怪しいほどの時間を戦っているというのに――
「く、ぐ……」
レイオッドに対して。
……一方の私の傷は深い。さきほど肩から斜めに斬られた傷の血が止まらない、重要な血管に損傷はないが、こうも魔礎を遣い動き続け、体温も上昇し続けていればこうなるのは火を見るよりも明らかなこと――
『逆景(ぎゃっけい)』
「おっと……引き出しが多いですね」
……渾身の。剣を逆刃に持ち替えて。地面に振り下ろし避けられた剣を、そのまま地面にバウンドさせた反動で返す、最速の剣技。それを難なく、わずか半歩さがるほどで回避するレイオッドの、極限までリーチを伸ばすべく、両手ではなく片手で持たれたレイピアによる刺突を私は、
『風前(ふうぜん)』
剣の柄で受けて辛うじて回避する――魔礎をまとわせていなければ今ので私の首元まで貫かれていただろうそして二度同じ回避が通用する男ではない――
『遠底(えんてい)』
『鉄花(てっか)』
「面白い動きだ……そういえばライカさんの流派はなにです? まさか完全に我流というわけではないでしょう? 構えからして無形に近く見えますが、貴方の動きには繰り返し、歴史を通して取捨選択を続けた末に導かれる剣の型――基本として原型となるバックボーンがあるようにお見受けしますが」
「…………ッ」
「今の、わたしなら当てたわよー」
「ぐうう……」
「すべてが遅い。怪我のせい? そうやって言い訳しながらあなたは死んでくの? あの日逃げる時言い訳したように――ねえ?」
「うる……っさあああああああああああああああああああああああああああ」
「ふふっ」
――火花が散る。
猫線(びょうせん)
来絶(らいぜつ)、谷断(たにたち)、犬迎(けんげい)、葉走(はばしり)、転螺(てんら)、稲引(いなびき)、逆景(ぎゃっけい)、風前(ふうぜん)、灯影(とうえい)、遠底(えんてい)、鉄花(てっか)、牢山(ろうざん)
私の動きを形作る、あらゆる剣技が、あらゆる歩法が、あらゆる技と体を目の前の男にぶつけ離す――しかし、心をこの男に向けることだけは、私の呪いでさえも叶わない――
「…………」
徐々に、だんだんと。視界が狭まっていく――それはまぶたをゆっくりと閉じるようなものではなく、私の視界を四方から狭めていくような、意識と肉体が理不尽に乖離、引きはがされていくような類のもので――
私は。
わたしは。
「……ようやく眠ったみたいねー?」
「…………」
「……じゃあ、始めようかしら。わたしとあなたの戦いを。わたしはライカほど弱くはない――そしてあなたを殺してわたしがわたしになる。それできっと全部丸くおさまる、それでライカも満足して逝けるんじゃないかしらって嘘じゃない本心からそう思ってるわ――ねえ?」
「……あなたは……」
「ああ、わたし……わたしはライカじゃない。ライコ・アヤシキ……ええとこれって言っていいのかしら……あなたを殺すものってなるのだけど……」
「なるほど、呪いによる……もう一つの人格といったところですか?」
「まあ、そうかしらね。じゃあもう殺していいわね殺すわね――」
「おっと……」
(…………)
(これは…………)
――私は。私はどこか遠くから。四角い窓、外枠から彼女の言葉を聞いている。彼女がレイオッドと話しているのをまるで他人事のように聞いている、聞こえている――
(意識が……沈んでいる……?)
――こんな感覚は初めてだった。これまで私がライコにのっとられている時……私の意識はほとんど眠りに近い状態で、起きた……私が意識の主導権を取り戻した時、ほとんど覚えていることはない状態だったのに……今は、まるで現実と夢が同居しているように、ライコのいる現実と、この……私の心の中? そこに私の精神が漂う事が矛盾なく両立している……
「ライコ……くっ……」
が、私の声が奴に届いている様子はない。ライコは目の前のレイオッドと楽し気に、狂気の笑みを浮かべて戦闘を――私の体を遣って、到底私とは違う動きと剣技を持って、レイオッドと戦いを繰り広げている。
「こまったなあ……」
「なにがよなにもこまってないわよ早く早くもっともっと斬り合いましょうよははっはははははははははーねえ……」
「いえ……あなた、ライカさんより随分お強い。剣技……技術の方は若干劣りますが、しかし動きの精彩が段違いだ。膂力もかなり上がっていますね。魔礎というより呪い……魔物や魔獣を相手にしている感覚というか」
「アッハハハハはアハハ。楽しい楽しい楽しいわ」
「これは……嫌だなあ、このままでは僕の方が詰まされてしまう。それに、貴方との戦いは人間との戦いじゃないみたいであんまり楽しくない」
「知ったことかしら」
「どうか……ライカさんと交代していただけませんか? でないと僕は――」
「無理無理無理無理無理いいいいいいイイイイハフフハハハハハハッハー!」
「仕方ない……」
「…………!」
言って――レイオッドがその片手に眼帯の紐をかける。ゆっくりとそれを引っ張り、もったいぶるように外して――
(…………!)
隠された眼帯の下から現れたのは。
レイオッドの右目――もう片方のような赤く赫く紅い瞳ではなく、それは奴の頭髪のように――あるいは老人のように、あるいは波打ち際のあぶくのように、それとも、海の上を漂う雲海のように白々しいほどに白くどちらを向いているのかさえ分からない――
色彩なき瞳。
――
(盲……いや……)
見えていないわけではない。その瞳には確かに視力が宿っている。それを、わずかな視線の動きから私は垣間確認し――
『瘴気に触れよ、七歩下がって群青の肉片(ハイダラアン・クアラハシル)
「―――⁉」
直後のことだった。一言、たった一言の呪言をレイオッドが唱えたかと思うと、それは現象として現世に顕現、奴の周りにまるで空が落ちてきたのかと思うかのような無数の――灰色がかった煙のようなものが発生し、天空に上昇したかと思うと。
それは、寸分の間すら与えず形を――その実体を拡散、空を覆うように霧散していき――
「ッ……」
ぴかり、と。
一瞬風景を鮮烈に包み込むような閃光がほとばしり……
(落雷…………!)
その煙の高度は低いが、そこから放たれたのは疑いようもなく、天候現象――稲光、稲妻のようなものが地面に落ち、それを少し跳んで最小限の動きで回避するライコの姿を私は視界の端に捉えて――
「……あなたは強い。今のままでは決め手にかける……ということで、申し訳ないですが眼帯を外させて頂きます。僕が興味あるのは、ライカさんなので」
「あは……くふふふ、面白いじゃない、良いじゃないなんでも使わばいいわ、わたしもあなたの心を読むわね舐めるわねお互い様だものねーねねね」
「ありがとうございます」
やはりにっこりと男は笑って己の右目を指さし、
「ちなみにお教えいたしますと、これは魔眼です。一度見たものを完全に覚える魔眼。一度観たものをおおよそ使用することが出来る魔眼。疲れるからあんまり遣いたくないんですが……呪言なんかも例外ではないわけで」
「へえーえっへへへへへ?」
「ある日魔女さまにもらったんです、いいでしょう――」
「それは欲しいわねええええええええええええええええ」
(っ…………)
そうして、今度は――さっきまでとは比べ物にならない、更に激しい剣戟が展開されていく。レイオッド――剣境第三位の剣技と、天候をも形作る大出力の呪言の力。
対し、心眼と私とは近くて異なる剣術を遣う呪いのライコ。
両者の力量は一見して拮抗し――しかしそれは――
「僕は魔女さまに選ばれたんです。大断崖なんて興味はない。でも魔女さまがやれって言いますから。僕は僕の楽しみ方で攻略をやらせてもらってるだけです。何をするにしても、楽しくないとダメだと思うんですよ」
「あは、うふ、あはははー?」
(…………?)
――そうして。
(なんだ……彼女らの戦いが、どんどん私から……離れていく……)
また――ライコに意識を乗っ取られた時のように。
まるで泥にまとわりつかれたように、眠気に近いような意識の混濁が、私を……心の中に沈んでいる私を、まるで溺れかけている者の足を引っ張るように捕まえていき――
私は、ここではないどこかへと――
闇に溶けるように、意識を喪失した。
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