決戦(ティサ・ユージュ)1


 ――剣境けんきょう

 西方大陸全土を支配する『帝国』における、この称号の意味するところは――剣の果て。

『剣の境地に至りて、なお高きにおかれる者』を表す言葉だ。

 帝国内において、特に際立った戦功と武力を示した個人に与えられる最大の栄誉であり地位――

『剣境』を拝命した者は、帝国の最高戦力として王属直下に組み込まれ、王族に次ぐ権と富を得ることが出来る。

 その成り立ちから、かつては剣士のみが選ばれる慣例となっていたが、現在は呪言遣いなど、ごく稀に剣士以外が拝命されている例もあるようだが――

 現在の剣境は九人。第一位から第九位まで序列された彼らの中で。

 一際、奇妙な経歴を持つ男が一人。

 その男は、無名だった。

 その男を知る者はその時までいなかった。

 その男は――あまりにも殺し過ぎた。

 ある国ある戦場において。ある攻城戦があった。

 帝国の王族が、敵国の主力に囲われ、あと数刻で城は落ち、帝国の王族を捕虜に取れる――そんな時に、一人の帝国新兵が城の外に出た。

 停戦交渉ではない、降伏でもない、その一人の兵士は無造作に、慣れぬ手つきで己の剣を抜くと――たった一人で敵国の数千の兵士に切りかかり。

 そして、その四分の一を殺傷せしめた。

 戦況は反転。城を囲んでいた敵軍の将は――自害を選び、他は投降。

 ただ一人。それまで名もなき一兵卒だった男は、一晩にして戦場の英雄となる。

 あまりの血を流させて。

 深紅の血が地面をほとばしり繋がっていく。その合間にあって、薄く笑う男はいつしか、二つ名がつくことになる。

 剣境を拝命し、今もあまりの死を生み出し続ける男。

 男の名は、レイオッド。

 レイオッド・ヴァークレイン――『あかのレイオッド』

 帝国最上の剣境にあって――序列 第三位。

 それはおおよそ、世界最強に限りなく近い称号である。


「あ、ああああああああああああ!」

「―――」


『猫線(びょうせん)』


 26の初手を想定していたが。結局のところ私が最初に選んだのは――最速の突きだった。世界に満たされた魔礎、それを感じ取り、身に寄り添わせ、脚へと力を籠め、魔礎を偏らせる。肉体をばねのように収束させ――足元が爆発するかのような音と共に私の抜刀はすでに完了していた。

 対峙の状態、小細工はない。小手調べでもなく、これで終わるとも思ってない。そんな前提の上での攻撃だったが――


「へえ……」

「……!」


 刹那。

 濃縮された時間の中で私は確かに刮目した。私の剣先が男の赤々とした瞳の中にきらめいたと思った瞬間――男はわずかに半身をよじり。


(く、る……!)


 男の右手がゆらりと動き出す。それは当然、腰元の刀剣――鞘に納められた、細く鋭い、種類はレイピア――この男がもっとも好み、もっとも使用しているだろう刀剣の柄に触れたかと思うと。

 ――敵ながら。いやらしいほどに惚れ惚れとしてしまう。流麗で洗練された無駄のない仕草で――柄に触れ、身を抜き出し。私の剣先を奴のレイピアはその細い刀身で受け止め、まるで力の方向そのものが、変えられてしまう――小魚が大魚の起こす波に巻き込まれ水の中に出来た渦のように。

 ――

「…………!」

 そして。私は体ごと逸れてレイオッドに半身をさらす――が。

「っ…………!」

 ドン、と。逸らされた剣先で土をえぐり。両足と剣の三つの足に魔礎をはわせ、私は加速を図り――今一度、六歩程度の距離を取ることに、辛うじて成功する。


「はあ、はあ……!」


 全力――ノーモーションからの動きとはいえ、私は全力で突いた。それを、この男は――何の緊張もせず、ただ目の前にあるがまま、目の前に小石が転がっていたから蹴飛ばすかどうか一瞬迷って、結局避けた――その程度のアクションで、回避してみせた。

 今、この男が私に切りかかって来ていれば……私は果たして、対応できただろうか。

「…………ふん、ふん……」

「…………?」

 レイオッドは私の方を一瞥し、それから空を仰ぎ、それから己のレイピアを見て――なにか満足げな顔をしている。

 しかし……この男の剣、レイピアかと思ったが……ともすればスモールソードの方が近いかもしれない、それほど軽量に特化した、一見して装飾品かと疑いかねないような、とても戦闘に向いているとは思えない刀剣をこの男は使用している。刀身は真っすぐで、持ち手にも特徴はないが……良く見れば、刀身自体に小さな〝穴〟がいくつか空いているようなデザインだった。

 これは――こいつが刀匠に作らせたとしても、かなり奇抜に思えるもの。なぜならそれは……

「……珍しいですか? 僕の刀……」

「…………」

 私の視線に気づいたか。レイオッドはにこりと笑って、

「刀身に穴をあけると大分軽くなりますからね。僕は重いものはあまり持ちたくないんです。それは物に限らず、人生全てに言えることですがね。身軽な方が色々と生きやすい。僕の人生における一種の哲学……物事の見方です」

「……」

 ……たしかに。刀身に穴をあければかなりの軽量化――刀の取り回しは楽になるだろうが。

 それは逆に、刀自体の極度が指数関数的に落ちることを意味する。ともすればそれは、一度か二度、鍔迫り合いでもすれば、ぽきん、と音を立てて折れてしまいかねないほどに。

 それでも……この刀剣をこの男が使うという事は、これで仔細ない――レイオッド・ヴァークレインにとって、刀が折れるようなことは決して起こらず、このレイピアによって、こいつはあらゆる勝負に勝ってきた――そういう、剣境としての力量を意味している。


「――」


 今の一瞬でも十分にわかる。この男は強い、とてつもなく、剣の技量で言えば、私が及ぶべくもない遥か高みにこの男はいる。

 私の武骨な長剣に対して、あまりにも軽くしなやかな剣。刃渡りは50センチと少し……重量は恐らく私の剣の三分の二程度……

 しかし今の剣戟では、その重量差さえも感じられない――刹那の剣の接触で、それをこの男は……

「今、考えてたんです」

「…………?」

「あなたはとても強いと思います。さきほどの初撃――素晴らしい一閃でした。素早く、無駄がなく、剣先にぶれもなく、貴方の身のこなしは美しくさえあった。つまり、あなたより剣が上手い人はこの世にそれほどいない……それは僕が保証します」

「は……」

 何を言う。

 何を言うかと思えば……剣境が、そんな世迷言を大真面目な顔で言うとはな。この男、どこまでふざけて軽薄で……私を見下げて侮辱したいのか。

「んー……」

 でも、と今度は少年のような朗らかな笑顔で。

「これだけでは、あなたは次のやり取りで死んでしまいます。他になにか、あなたには武器はありますか?」

「…………」

 ぞくり、と。雰囲気が変わった気がした。わずかに細めたレイオッドの目の感情は、それだけでは読み取れない――

「一応、忠告しておきます。これで終わってしまうのは凄く残念ですから」

「それは……楽しみにさせて頂こうかな」

「では……次は僕から行きましょうか」

「…………」

 ふらりと脱力する男。私は今一度身構えて――


「――!」

「………………うん、いいですね」


 ――こ、いつ……この男、私がしたのと同じように――最速の突き。モーションも何もなく、足元に魔礎を集め、筋肉を収縮し、そして私の顔面を貫くように剣先を押し込んで――

「避けてくれてありがとうございます」

「っ…………⁉」

 ――そして、そのまま動きは攻撃に移行する。

 さきほどは私が半身を晒したために、この段階では回避の選択を取ったのだが――今度は、正真正銘初めての、こいつからの、意趣返しではないこいつの剣技――攻撃が来る。


「はあ……!」

「わあ、これも避けますか……やっぱり――」


「あなたは強い」

「はあ、はあ…………」


 三手。

 三手を躱し切ったところで、一度距離を取るように――私ではなく、レイオッドが自ら距離を取った。そしてまた、己のレイピアをちらりと見やり、そしてこちらを一瞥し、ふと遠くを眺めるように海を見つめて静止する――


(こ、この男は……)


 私は――この男の攻撃を、避けた……避けることにはよけたが。反撃の時間はなかった。全ての動作が、刀を振り、こちらに狙いをつけ、そして振り切る――そして切り返し、次の攻撃へとつないでいく。その一連の動作が、あまりにも――なんのタイムラグもなく、隙間がなく、私の剣が対処する時間は入り込めず、剣を交わせるどころか、ただ私はこの身ひとつでかわし続けるしか能がなかった――

 一方のレイオッドは、さきほどの動き、恐らく己の力のほんの上澄みほども披露してはいないだろう。汗ばみ息を荒げる私に対して、レイオッドの呼吸は乱れておらず――呼吸は極めて安定している。最初に遭遇した時と全く変わらない、フラットな様子でレイオッドは――、一人、新しい玩具の遊び方を見定めるように、ただその場に立っている。

「でも……もう少し余裕を取ったほうがいいです。避ける意識が常に半秒遅いというか……ああ、動きが悪いのではなくて思考の話ですが。このままじゃ、次の攻防で危ないと思います……なにか、他に武器はありますか?」

「…………」

 そうやって今一度、悪意のない……そういう風にさえ思ってしまう微笑みで、また一歩こちらに近づいてくる男に、私は剣を――短めに持ち換えて、より細かい動きに対応できるようにする。

 そう……私はこの程度のものだ。

 せいぜい、剣境のたわむれに、数撃堪える程度の技量……それが、才無き私の剣の限界。剣の境にはとても至れない、弱き者の落としどころ……

「…………」

 だが。

 しかしそれは、私が、だ。

 私ひとつではなるほど、この程度のものだろう。次の攻防でわたしは刺され切られ、敗れる程度のものだろう。

 しかし――私はゆっくりとほんの一瞬目を閉じて、そして近くではなく、遠いところを見るようにまぶたを開く。目の前にはやっぱり、変わらない様子でレイオッドがいる。

 しかし――


(斜めから、袈裟斬り……)


「…………」

 心眼――

 私には、まだ武器がある。それは本来、武器ではなく重りであり楔であるけれど。長い復讐の旅の果てに、私は己の呪いを、戦いに……この最期の戦いにいかすべく、それなりに覚悟を積んできた。

 ゆえに、心を読む。目の前のこの男――剣境第三位 レイオッド・ヴァークレインの心を読み、次にどのような動きでこちらに迫り、こちらにその凶刃を向けて、どう立ち回るのか――ここから先、ほんの一瞬たりとも私が己の呪いを解くことはない。全身全霊で、こいつのこころを読み、そして動きを凌駕、先行……私の刃が先に届くまで、命を削ってやろう。

 例え呪いにより私の人格が塗りつぶされることになっても。それが私の死を招くのだとしても、そのために私はやってきた――これはそれだけの、独りの女のわがまま……誰も知らない復讐譚なのだから。


「…………」


 ――構える私に何かを感じ取ったか。こちらに向かってくるレイオッドの歩みが少し緩やかになる。

 ああ、もう十分に思い知らされたさ。

 これが剣境……世界最強に限りなく近い場所にいる男。第三位……未だ底が見えない、遠く遠く剣の果て。

 対して私は――

「……ちなみにですね」

「……?」

「剣境の順位って、決して強さ順というわけではない……単純な戦力としての序列とは限らないんですよ」

「…………」

「僕は第三位ですけど……たぶん、僕より第四位の方のほうが強いんじゃないかなあ、と思います。他には……たとえば第六位の方だって、場合によっては……ある条件の下でなら、第二位の人と面白い勝負をしてくれるかもしれない」

「…………」

「ま、傾向はありますがね。おおよそ、強さの順ということではあるんですが……それまでの実績やら、剣境に推挙してくれるパトロン……どの王族の方が後ろについてくれるかで、順位というものは多少変動します。剣境というのは時代が移り役割も変わっていますから、帝国内部の政争と切っても切れない関係にあるわけです。王とそれを守る騎士の関係性に近いですか」

「……」

「これでも王属直下ですからね。多少のしがらみはあるわけで……」

「……」

「ま、だからあまり気負わないでください。あなただってお強いんですから」

「……」


ぞくり、と。

 ぞく、ぞくぞくと。


 この男――レイオッド・ヴァークレイン。……

 まるで私の心を見透かされているかのような。そんなタイミングと間で、言わなくてもいいことをこの男は言った。

 心を読む力を持っているわけでもあるまいに。まるで人の心を視ているかのように。

(…………)

 これが、だからこそ剣境……

 本当に、そこが知れない。ひたすらに不気味で、深い深い、深度不明の海の底を垣間見ているかのような――

「…………!」

 ――それは不運か幸運だったのか。

 だからこそ私は、それを感じ取ることができた。さきほど、レイオッドの心を読んだ時……そして、今、この男の心を読んだ時。

 さきほどと、たった今とで、考えていることが変わっている。

 それはつまり、

 斜めから袈裟斬りではなく。

 全く別の攻撃をこの男がしていようとしていることに。

 表層――それはこの男の気まぐれだったのか、あるいはわざと……猫がネズミをいたぶるように、狙ったものだったのか。

「…………⁉」

 直後に来た男の攻撃は――


 剣技ではなく呪言である。


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