10話 「……大丈夫です?」


「……大丈夫です?」

「はっ……」


 ――目覚めた。

 いつの間にか眠っていたみたいだ……。ここは……?

「船の中ですよ。でも……」

「!?」

 直後、ガゴンという衝撃。その……船が接岸したらしい。それと同時にあたしは今自分がどこにいるのか思い出す。

 なんでだろう……たった今まで誰かと楽しくしゃべっていた気がするのに……ここは、暗くて……狭くて……人がたくさんいる

 みんな、あたしと同じくらいの子供だ……


「大丈夫です? ワタシたち、帝国にここまで運ばれてきたんです……あっ。ちょっと擦り傷が出来てますね! 待ってくださいっ!」

「……?」

 目の前の――似合わない眼鏡をかけた少女があたしの腕を掴む。そして――


『耳を閉じ輪転せよ(グリエルタ)』

「…………⁉」


 そう、小声で――彼女が口を動かした直後だった。ほんの一瞬わずかに空気が揺らめいたかと思うと――

 さっきからズキズキと痛んでいた傷が……傷口がふさがっていく。見れば、もうすでに跡形もなく……腕をこすってみれば、血がついているだけで、傷跡なんて欠片もなくなっていて……

「こ、れは……」

「ワタシ、回復魔法が使えるんです。とはいえ、まだまだ大きな怪我は治せませんけど……あ、帝国の人には秘密にしてくださいっ」

「す、すっげー…………」

「…………」

 これが……眼鏡の少女……あたしの親友との出会いだった。

 あたし達は……帝国に捕まって……どんな酷いことをされた時でも……いつも一緒にいた。いや、あいつと一緒にいようとしたんだ、あたしが……



「ううう、ぐ……いたい、いたいよおおお……」

「だ、大丈夫か!? くそ、あいつら……」

「……だ、だめ……スイナ……帝国の兵に逆らったら……見たでしょ! 奴ら、あたしたちを殺すことなんてなんとも思ってない……あんな小さな男の子を……よってたかって、殴って……蹴り殺して……あいつら、笑ってたじゃない!」

「で……でも……!」


 ……今日のあたし達はそこらの野良犬と戦わされていた……兵士たちの暇つぶしってことだった……適当に選ばれた子たちが、こうやって見世物みたいにされて……自分と同じくらいか、それよりも大きい……でも飢えた犬と戦わされる……

 負けると、兵士が戦いを止めるけど……間に合わなくて、噛み傷が深い子たちが何人も……


「おいふざけんな、負けてんじゃねーよお!」

「てめえらに賭けてたのに……死ねっ!」

「く…………」


 怪我をした子を連れていくあたし達に……容赦のないヤジが飛ばされる。こいつら……絶対に許さない……あたしが……

「う……」

「……おい、平気かっ!」

 隣でうなされているような吐息をもらす女の子。くそ、血が止まらない……なんで……なんでこんなことに……

「でも……あいつら、わたくしたちをこれ以上殺すつもりはなさそうですわ。最初の子は……恐らく見せしめに、わたくし達を委縮させるために殺した……だから……」

「そんな……本当にそうだと言えるかよ! それに、そうだったとしても、こんな胸糞悪いことずっとさせられるなら……死んだ方が……!」

「……ごめんなさいですわ」

 反対側で、怪我した子を一緒に運んでいた……そいつが申し訳なさそうな顔をした。あたしはそのツラを見て、自分が恥ずかしくなった。きっとこいつは、ビビってるあたしを少しでも落ち着かせようと言ってくれただけなのに……あたしは、自分の弱さが……大嫌いだ。


「……こっちに連れてきてくださいっ!」

「……お、おう!」

「はいですわ!」


 親友が――あたし達を手招きする。あたし達は急いで、犬闘をさせられた場所から離れて、近場の物陰に移動した。そして――


『来訪する円錐形の土塊(サドリア・ロサニエルテ)』

「うう……」


 そう……親友が呪言を唱えた。すると――彼女の傷口から何か灰色の液体のようなものがあふれ出て……噛み跡にうっすらと、粘膜のようなものが張られて――

「は、あ……」

 怪我をした子は意識を失った。でも、その顔はさっきの苦悶にあふれたものではなく、安らかなものになっている

「傷口が、深くて……一度には治せませんでした! だけど……何回か魔法をかければ、傷も塞がって目立たなくなるはずですっ」

「ナイス……」

「やりますわねえ!」

 ――呪言を遣う者。呪言遣い……あたしの故郷にも何人かそれを遣える人はいたけど……回復魔法を遣える奴を見たのは、親友が初めてだった。

 あたしの故郷の呪言遣いも言っていた、回復系の呪言は習得が難しい……才能によるところが大きく、また修練も大変なものだと。

 それを……あたしと変わらない年でやるこいつは、本当にすごい……

「…………ちょっと」

「……?」

 そう感嘆するあたしに、手招きをしてくるそいつ。怪我を看護する親友と距離を取って。

「……なんだ?」

「恐らく、彼女が回復魔法を遣えることを、帝国にバレないようにしているのは……」

「…………」

「帝国にばれると、ここから外されてしまうからですわ」

「……?」

「回復魔法を遣える……しかもあの年で、となると、その希少価値は計り知れません……今後の成長もありえるでしょうし……今のような待遇ではなく、帝国の子飼いにされて、帝国の兵士……呪言遣いを養成する機関などに彼女は輸送になるのではないでしょうか」

「な……⁉」

「わたくし、昔は大きな家に住んでまして、ちょっとお金持ちでしたの。回復魔法を遣えることの戦術的価値を戦争学の家庭教師に教えてもらいましたわ。かつての大戦では、それで戦局が左右されるほどであったと……」

「ま、まてよ、じゃあ……」

「わたくし、彼女だけでもこの地獄から解放してあげたい……でも、恐らく彼女は、わたくしたちと心中するつもりですわ」

「…………っ」

「……考えませんか? 彼女をここに残すか。わたくし達が密告して……彼女をここから逃がすか」

「…………」

 結局……密告を選んだあたし達だったけど……親友はそれを直前で見抜いて、あたし達に……初めてといえるくらいの泣き顔で、怒りやがったんだ。

 あたし達は……あいつの覚悟を踏みにじろうとした。あの時は本当にきつかった……だから、人生で一番ってくらいの反省だったな……

 ……でも。

 そのすぐあとだった。親友が……脱出しよう、そのために計画を練ろうって目を輝かせてきたのは。



「大断崖……攻略……?」

「う……そでしょ……」

「信じられませんわね……」

 ――1か月だった。あたし達がこの、帝国軍が駐留する港に連れてこられて……色んな酷い目にあって。

 そしてそれは、脱出の計画を練り始めて二週間がたったころだった。


「お前と……お前と……お前」

「いや、いやあ…………!

「離せ……離してよおおおおおおお!

「ぐっ…………」


 あたし達の目の前で、何人かの子たちが無作為に選ばれて……そして、小舟の方へ連れていかれた。今から舟は港に出て……大断崖の攻略に、彼女たちは使われるという

「だ、大断崖って確か……」

「触れたら消えちゃう……結界みたいなのがあるんだよね……世界の端……」

「これは帝国剣境――第三位様の命令である! 逆らう事は許されない!」

「あ……あああ……」

 おおきな声であたし達を威圧するように叫ぶ兵士。あたし達は……どうすることも……今この場で動くことはできない、動けば……あたし達も船に乗せられてしまうだけだ。

「そんな……く……こんな……どうしようも、ありませんわ……」

「で、でも……!」

 わなわなと震えるあたしを、今にも飛び出すんじゃないかと不安に思ったのか。あたしの腕を掴むそいつだったが……

 あたしは、あたしは心の奥底で……今日を生き延びられたことを、安心していた……それだけだったのかもしれない。

「……?」

 そして……バギン、と。おかしな音があたしの後ろでした――振り返ると、親友が顔をうつぶせていて……歯が……一本、砕けて、彼女の口から血がしたたっていて……

 親友は、今日助けられなかった子を……目の前で見せられて、あたしとは違う……本当に悔しくて、他人のために後悔していたのかもしれない。

 


「……脱出しましょう! 明日すぐに!」

「……マジ。かよ……」

「でも……賛成、ですわ……」

 ――その晩。あたし達は集まって……寝床の陰で手はずを整えていた。これまでのこの場所でのクソッタレな毎日で……情報は少しずつ、少しずつ、集めていた。

 みんなで協力して、それは最初、大きな大きなパズルの切れ端にすぎなかったけど……今は具体的な形を伴って、この地獄から逃げ出すための絵図を描くまでになっていた。

 ただ……今日大断崖脱出に使われた子たちは……間に合わなかった。


「いいです? この時間にここで待機。そのあと順番で――」

 親友が具体的な計画を説明する。

「待ってください。ここは人数が少ない編成で移動した方がいいですわ!」

「となると、あたしがそっちを見回っといたほうがいいな」

「うん……行けそうな気がしてきた!」

「みんな……体調は大丈夫です? 気分が悪かったら言ってください! 呪言をかけますのでっ!」

「…………」


 あたし達は……親友を中心に、車座になって、小さな子供ばかりにしては……かなり、まともな計画を作れたと思う。

 だって、帝国の船を奪って、海に繰り出すまでのことには成功したんだから。

 ……本当に、あたしの親友は凄い奴だと思った。



「追いかけてきますわ!」

「くっそがあああああああああああああ!!」

 ……そうして。

 ――すべてを飲み込む大嵐。地震みたいに荒れ狂う大海原。空は限りなく黒い灰色で、はるか後方から凸凹に盛り上がって見えるのは隊列を組んだ奴らの船団……。

「ッ……!」

 奴らの……帝国の船団。夜に紛れるように黒く保護色されてるけど……もしかしたら、まだ遠くに見えるけどもうあたしらの目の前まで来やがってるのかもしれない。

「ざけんな、あいつらああっ!!!」

 そして、それらを全部塗りつぶす大声が辺りに響き渡る。

 ――やけくそになりそうなあたしの怒声だ。


「…………」


 そうだ。

 これは……あたしの記憶。心の中の……ずっと忘れていた、曖昧な部分。

「追いつかれちゃう! どうしようどうしましょう!?」

 眼鏡をずりさげたまま、あたしの親友が叫んだ。

「…………」

 いや……違う。これは……親友が叫んだ言葉じゃなかった。


『追いつかれちまう! どうすれば……どうすれば!?』


 確か……こうだ……これがだった……あたしが……あたしの心が、勝手にあいつの言葉を変えて、真実を曲げちまっていた。

 ちょっとずつ、思い出してきた。

 ……あの日に、あったことを。


「どうもこうもないですよ! もう陸は見えてます……ぎりぎり間に合うはず……きっと逃げきれます!」

 親友が言いながら――辺りを見回す。あたし達が乗っているのは帝国の中型船。大人なら十数人くらいが定員だけど、子供のあたし達なら数十人乗れる――それも少し定員オーバーしているみたいだったけど。

『みんなで逃げ切らねえと……そのために凄く凄く頑張ったんだから!』

「……」

 こうあたしは……この時のあたしは、本当にちゃんと思えていただろうか?


「でも……海で追いつかれちゃったら陸についても、すぐに捕まっちゃう!」

「もっと引き離さないと……」

「でも、この船が沈没しちゃうよ!」

「回り道は出来ないよ、もうこのまま行くしか……!」


 口々に少年少女たちが叫ぶ。みんなあたしと同じ、帝国の〝大断崖攻略〟のために世界中から集められた身寄りのない子供たち……敗戦国の子供や奴隷、身寄りのない孤児たちばかり……

 つまり今この世から消えていなくなっても誰も知らない困らない、そんな子たちしかこの場にはいない。

 だけど――


「このまま終われますか、死ねるかってんですよおおおおお!」


 みんなあたしの友達で仲間だ。

 今ここで死んだら、帝国にぼろきれみたいにされて、いいように使い捨てられて殺された子たちに申し訳が立たない。意地でも、絶対にこの場を生き抜かなきゃ……でも、どうやって――

『あ、あれは……』

 歯を食いしばって……ふと視界の端に映った……船の横を指さすあたし。

 そこには横付けされた、哨戒用、あるいは緊急脱出用の小さなボートが1、2、3……両端に3つずつの合計6つある。

「嘘……うそうそうそ……」

「あれに乗るのは無理だって! 海に降りた瞬間に死んじまう!」

「藻屑どころじゃねえ! 跡形も残らねえぞ!」

 他のみんなが口々に叫ぶ。あたしの意図は親友にもすぐに伝わったようだった。これに乗って、みんなでバラバラに散って……帝国を分散してあわよくばみんなで逃げられるようにする。でもこれは、分の悪すぎる賭け――

「なっ……!?」

 直後。どでかい衝撃が船を揺らす。稲妻でも落ちたってくらいの振動。一瞬船が横倒しになったのかと思ったけど――

「なに、あれ……」

 見ると。船の後部にはなにかが突き刺さっていた。緑色の……植物の根みたいな、なんだあれは……

「呪言ですわ! 帝国の呪言遣いがやりましたの!」

「……!」

 よく見ると。その植物の根みたいなものは、はるか後方、帝国の船団の方まで続いている。あまりにも見通しが悪くて一目では分からないけど、まるで馬の手綱みたいに、あたしたちの船は帝国に拘束されている。

「うっ……」

 そして。

 見るからに、体感として分かるほど船の速度が緩まった。このままではいずれ停止して、帝国に追いつかれてしまう。そうなったら――もう二度と脱出なんて真似はできない。

 今度こそ攻略に使われて、命を使い捨てられて、あたしらは死ぬ。

 いやそれもまだいい方で、なんなら見せしめに拷問で殺されるかもしれない。流石にそれなら――

「行くしかないね」

「!」

 そうしてあたしが逡巡してると。

 仲間の一人がやれやれと首を振って横付けされたボートに乗り込んだ


「ううう……こわいよお……」

「確実に訪れる死と、あるいは掴めるかもしれない生。これで後者を取らないのは大バカ者ですわ!」

「あの植物みたいな呪言……精度は多分高くない。小さなボートまでは正確に捕まえられないはずだよ!」

「お、おまえら……」


 それを皮切りに、みんながドンドン船に乗り込んでいく。マジかよ、まだ覚悟が出来ていないのは言いだしっぺのあたしだけかよ……!

「またな、生きて会おうぜい!」

「ここまで逃げ切れたのがもう奇跡だもん、もう一回くらい奇跡起こるでしょ!」

「じゃあなー」

 みんなが口々にお別れを言って、どんどんボートが降ろされて、今までずっと一緒だった奴らが夜の闇に溶けていこうとする。

 あたし、あたしは……

「確かに怖いけど、いきましょうっ!」

「っ……!」

 いつの間にか船にはあたし達しかいない。もう親友とあたしだけ。

 そしてボートも残り一つだけ。

「…………」

 ああ……ここらへんの記憶は……正確なんだな。ぼやけていた景色が、徐々に徐々に輪郭を伴って……なんの気遣いも容赦もなく、そこにあたしを連れて行こうとするのがわかる。

「大丈夫、ワタシたちなら出来ますっ。ほら、はやく――」

 そのまま手を引かれて、あたしはボートのヘリに足をかけて……覚悟を決めようとぎゅっと思いっきり目をつぶって――そして。


「なっ…………!」


 直後、爆発音。なにか光線のようなものが船体のど真ん中を通り抜けていった。植物みたいなのが船を拘束したのとは比べ物にならない大衝撃。轟音。

 あいつら……あたしらが散っていくのを見て。

 どうせなら沈めちまおうと、やりやがった……!

 光線の出所は、当然帝国の船団の方だ。だが今はそれよりも――

「おい……!」

「な、ないすきゃっちです……」

 親友が。今のでバランスを崩した親友が船から生身のまま海に落ちかけた。ボートのままでもやばいのに生身なんて即死だ。あたしはなんとか親友の手首を掴んで危機一髪、引き上げようとする

「やっぱりワタシたち、いいコンビ――」

「は、はやく……あ、が……!」

 そう言った時だった。ぶちん、と音がする。ボートを支えていたロープが二本切れた。そしてあと二本も徐々に千切れかかっている。

 もう時間がない。早く乗らないとボートが落ちる。そうなったら逃げ切れなくなる。

「……」

「て、手が滑って……上がらない……持ち上げられない!」

「っ……」

 焦る私の想いに反して。親友の体を持ち上げようにも、力が入らない。こうしてる間にも帝国はどんどん近づいてくるタイムリミットは迫ってくる――

 そして――

「あ……」

 親友の手とあたしの手が離れるのと刹那の間。さらに大きな衝撃が船を襲って――


「…………」


 ああ……思い出した。思い出したよ。あたしは……この時……

 あたしの腕にすがりつく親友を見て……

 これまでの時間を……こいつとの時間を逡巡した上で。

 あたしは……親友を助けるんじゃなくて……

 自分を……自分を助けるために、親友の手を振り切って……海に落ちていく親友を冷たい目で一瞥して……


 


 これが……あたしが、ずっと忘れていた……違う、忘れていたフリをした記憶……誰よりも卑怯で、情けなくて、弱弱しいあたしが……ずっと目を逸らしていた、何か。

 そうして、あの……ライカがいる浜に流れ着いて。馬鹿みたいに、ライカの優しさに甘えて……日常を享受している間も、ずっとあたしの脳裏を焦がし続けていた、記憶。

「…………」

 なにが……他のみんなを探す。だ……

 他のみんなが、まだ生きていたとして……あたしは、みんなと合わす顔なんて、持ってないじゃないか。

 誰よりもみんなを助けてくれた……誰よりもみんなのために頑張った、親友を……見殺しに……違う、あたしが殺しちまったんだから。

 親友……いや、親友なんて呼べるわけがない。

 赤の他人……ですらもない。あたしは、もう、帝国兵と何も変わらない……みんなの、敵だ。

 あたし……

 あたしは……


「---」


 そうして。

 視界が真っ黒か真っ白か分からないくらいに無茶苦茶に染まって――

 たぶん、一人ボートで逃げようとしたあたしに天罰が下ったんだと思う。

 また帝国の攻撃が来たのか……ちゃんと海に降りれなかったあたしは……

 たぶんあたしは海に落ちた。

 そのまま青と黒の濁流に吸い込まれて。

 意識なんてとっくにどこかに行っちまったみたいに――

「…………」

 ああ、そうか……はは、馬鹿みたいだな、あたし――

 あたし……ちゃんと……本当に全部、思い出した。

 あの日……あたしは――



「…………」

「……目が覚めたかい?」

「…………」


 もう一度目を開けると。

 ここは、もうすっかり見慣れてしまった丘の上の小さな家……殺風景だけど温かくて、すごく居心地のいいいつも通りの場所だった。

「…………」

 あたしの横にはいつも通り、ライカがいてくれて……その表情は微笑んでいるけど、あたしにはそれが、すごく……本当にすごく、遠いものに感じられてしまって。

 あたし……あたしは……

「うん……全部、ちゃんと思い出したよ、ライカ……」

「そうか……」

 ライカは目を伏せて、ゆっくりと息を吐く。そして静かに――続く、あたしの言葉を急かすでもなく、ただ待ってくれているようだった。

「…………」

 ライカの持つ呪い……心眼……『心の呪い』は。

 あくまでライカが、あたしの心の表層であれ深層であれ、それを視覚、触覚、その他感覚的に……感じ取ることができる、というもの。

 でも、今のは……まるであたしが、自分の心に入り込んで、そのすべてを追体験するみたいに、実際にあったことを目の前でもう一度……余すことなく解き明かすような、ライカの力があたしに乗り移ったような感じだった。

 でも、違う。

 ライカの『心の呪い』をあたしが使ったんじゃない。あたしは……あたしが、、たった今、あんなことが出来たんだ。

「…………」

 あたしは……もう一度、改めて、部屋の中を見回す。

 ライカと一緒に、キッチンに立って……調理をしていた時に落として壊してしまったお皿……それは、壊れていない。ヒビ一つなく、そのまま食器棚においてある。

 ライカが作ってくれた……木刀も、あんなに何度も何度も振りかぶったのに……今は、傷ひとつなく、新品同然のまま、ただライカの剣の横にそれは立てかけてあって……

 そういえば、この前来た帝国の兵士も……あたしの言葉なんて無視して……あたしの声なんてまるで聞こえないように……この場を去って行った。

「……なにも」

 あたしがライカの部屋に来てから、模様替えをしたり、あたしが拾ってきたはずの綺麗な貝殻なんかも、この場所からは、その痕跡はなくなっていて……

 ここは、あたしが、初めてここに来た時から何も変わっていない。

 ただ、あるがままにあるだけ。

 ライカは初めから……ずっとここに一人で、あたしがここに来てからも、ライカはずっと一人ぼっちだった。

 一人で――ただ一人で、孤独に剣を振り続けていたんだ。

「そんなことはない。私は……君と……」

 あたしの心の表層を読んだのか。そう言ってくれるライカのほうを振り返らずに――あたしは、ようやく、本当にようやく、その言葉を……口に出したんだ。

「ライカ……あたしは……」

「…………っ」


「もう死んでるんだろ」




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