7話 「い、いや、急に変なネーミングがくるから……」


「はあ、よし……!」


 時刻は夜。

 ここに来て一週間くらいは経っただろうか。だいぶ体が動くようになってきた。

 今日の探索を終えたあたしたちは家に戻ってきて――各々がしたいことをやっていた。

 あたしはライカに教えられた通りに剣を振り振り。なんか、腕の筋肉とか、体の動かし方とか、色々良い感じに手慣れてきた感じがする……まだ基本の基本で、剣術という段階には全然入れなそうだけど。

 昨日の自分より今日の自分が、ちょっとずつ……力強くなっていけてる気がする。ライカの彫ってくれた木刀も……両手に馴染んできた。


「…………」


 正直焦る。

 時間がたてばたつほど、みんなと合流できる可能性が低くなっていく気がして……でも、今焦ってまた体を壊しても、どうしようもないことくらいはあたしにも分かる。

 だから、今はとにかく、落ち着いて……最善と思える手を取って行くしかねえ。

「…………」

 そして――、一方のライカといえば。さっきまで料理を作ってくれていたけど、夜しか取れない食材があるとか言って、急いで外に出て行った。あの、かっこいい剣を持って……もしかして、あれで狩猟とかしてるんだろうか……?

「……?」

 ふと振り返ると。

 ライカの手ぬぐいが置いてある。外に出る時は毎日持って行ってたもの……私は汗っかきだからとか言ってたが、忘れて行ったらしい。

「…………」

 あたしの今日のトレーニングも終わったし、持って行ってやろうか。どうせここにいても暇だし。



「ライカー?」

 たしか、こっちの方向に走っていったはず。

 あたしは森の中をそぞろ歩いていく。森って言っても、海に面してるからか、木はどれもこれも乾いていて……枯れてるように見えるけど、これでも生きている木らしい。そういう種類の木で……潮風がそうさせるんだ、ってライカが言ってた。

「……」

 ふと。

 そうして歩いていると一瞬、風がやんだ。動物の鳴き声とかもしない、遠くから波の音だけが規則的に響いてくる、本当の静寂――


「……?」


 ……ふと。

 その中に、雑音……いや違う、これは……会話だ。

 誰かの話し声が聞こえてくる。一人……二人。たった二人だけど、確かに――

(帝国……!?)

 あたしは身をかがめる。木の陰に身を寄せて息を殺して、もっともっと耳をそばだてる……声は……女だ、女が二人……片方は……苛立っているように聞こえて、もう片方は少し楽しそうな……

 くそ、何を話しているか、声色もよく分からないけど……もし帝国の哨戒兵とかなら、はやくライカを探して知らせなくちゃ――

 そう思って、せめて姿を一目見ようと、もっと近づこうとした時だった――

「…………!」


「だから早く変わってよ……そっちの方が話が早いじゃない? ねえねえ、ねえねえねえー……」

「うるさい……どこかに行け……さっさと消えろ」

「あなたじゃ無理だよ、絶対に勝てるわけない……あなたじゃ死ぬ運命だって……もう時間がないんだから……本当に勝ちたいなら、いらないものを捨てなくちゃ……」

「どこかに……消えてしまえ!」

「…………」


 な、ん……?

 今、……?

 自分で、自分の見ているものが信じられなかった。

 それは……例えるなら、甘いものを食べたと思っていたら、中身はまったく別の……塩辛いものだった時のような。白だと思ったら灰色だったような。うまく言い表せないけど、とにかく明らかにおかしな――


……?」


 思わず声がでる。あたしの声は上ずっている。声を出すつもりはなかったのに、なぜか喉を通ってそれは音として出ていた。

 そしてこちらを振り向く彼女の顔は――なぜか、困惑している。

「スイナ……くん……」

「……」

 ……たった今あたしが見た光景。


 。この場には彼女しかいないのに。まるで良く知る誰かと喧嘩するかのように、独りで二人を演じるように、確かに今さっき……

「……ちょうどいいじゃない。向こうから来てくれたわよー……」

「だまれ!」

「⁉」

 ライカが叫んだ。こんな彼女は見たことがない、だってライカはいつだって落ち着いて……大きな声で笑うけど、明るくて楽しい人だけど、なのに、いつもどこか物静かな雰囲気の……それがライカ・アヤシキって人だとあたしは……

「か、から、だ……借り……」

「っ逃げろ! スイナくん! 頼む……!」

「っ…………!」

 うずくまるライカに駆けよろうとしたあたしを右手で制してライカが叫んだ。

 立ち止まるあたしに、なおも叫び声をあげるライカ。

「はやく……私から離れろ!」

「…………っ」

 ――よく分からない。よく分からないけど、とにかくここから逃げなきゃ。そう思ったあたしは思いっきり走り出して――

「ッ……⁉」」

 すると、バランスを崩した。

 ここは――ここは、崖際だ。ライカを探していて海辺を上から見られるところをずっと歩いてきたから……切り立った場所がすぐあたしの後ろにあって、あたしはそれを忘れて――

「……!!」

「…………!」

 一秒……二秒。落下の衝撃に身構えるあたし。高さは結構あるけど……運がよければ助かるかもしれない。骨折で……すんでくれるかもしれ――

「……?」

 そうして。

 いつまで経っても体に衝撃はこなかった。

「はあ…すまない、もう大丈夫だ……」

「…………」

 見上げると。あたしの腕を掴んでいるいつもの彼女がいた。


 ライカはいつも通りに――いつも通りの含んだ微笑であたしを見ているのだった。



「……すまない、恥ずかしいところを見せたね」

「いや……大丈夫だけどさ」


 ――少し場所を移して。砂浜を歩きながらあたしたちはいつもみたいに話し始める。別に……いつもと変わらない雰囲気。

 そう思ってるのはあたしだけかもしれないけど……よくよく考えれば、あたしがライカのことをあれしきでビビるとかありえないし……ただ、今のが何なのかよく分からないのがもどかしかったから、あたしは説明を求めた。

 ライカは……別に隠すこともなく素直に話してくれるみたいだった。

「今のは呪いさ」

「呪い……心眼……心の呪い?」

「ああ、その呪いの一貫……というべきかな」

 ふう、とため息をつくライカ。

「私の心の呪いは……相手の心を読んだり感じたり……それが表層であれ深層であれ、本来形ないものを見通すことができる」

「…………」

「いや、できる、というより、しまう、という表現の方が正しいな。この呪いに私の意思が介在する余地はあまりないからね」

「けったいだよな」

「ああ……ろくなもんじゃないさ。そして一番ろくでもないのがさっきの――」

……?」

「……聡いな。そう、その通り……あれは、いつからか私の脳に巣喰うようになった……私とは別の人格なんだ。名は『ライコ』というんだが――」

「なんだよそれ!」

 ぶぼっ、と。

 思わず吹き出してしまう。

「え? なにか面白いことを言ったかい?」

「い、いや、急に変なネーミングがくるから……」

「え、ええ? でも本人が自分で名乗ったんだ! お前がライカなら私はライコだって」

「ぶっふぉごっ!」

 ……やばい、なぜかツボに入ったかもしれない! ライコて……くく……

 なんか間抜けだ。

「…………」

 腹を抑えて笑いをこらえるあたしに、アタフタしていたライカも思わず表情が緩む。

「ま、まあ確かにあいつは破廉恥な……恥ずかしい奴だよ。時折あんなふうに私の人格に割り込んできては、好き勝手言っていくんだ……体を明け渡せ、とかね」

「体を?」

「さっきは主導権を取られそうになってしまった。でも、もう大丈夫……またしばらくあいつは心の奥に引っ込むよ。今度危なくなったらまた知らせる」

「…………」

「思うに……あれは私が他人の心に触れ過ぎた結果醸成された……心のどこかでつくられてしまったキメラのような人格だと思っているんだがね……いずれにせよ、呪いの副作用のようなものさ。だから……本当にさっきはすまなかった!」

 頭を下げるライカ。

「いや……別に気にしてねえよ! 結果として無事だったし……ライカはライカじゃん。ライコじゃなくて……ぶふっ」

「ふ……」

 なぜか顔を見合わせて笑い合うあたし達。今夜は月明りがやけに綺麗だった。



「…………」

「…………」

 そうか……心の呪い……心を読めるってのは、最初に聞いたときは便利なものだなって一瞬思ったけど……全然そんなことはないのかもしれない。

 仮にも……呪い、だもんな。

「……?」

 この時なぜか、あたしの心臓の奥がちくり、と……変な痛みを覚えたような、そんな気がした。そして――

「……さあ! ところでアレを観たまえ!」

 呪いの話は辛気臭いからもう終わり。

 俯くあたしの前に出て、バッとライカが指さしたのは――何の変哲もない……海のほうで――

「って……え……?」

 思わずあたしの目が丸くなる。確かに、いつの間にかけっこう歩いて、こっちのほうの浜辺までは来たことなかったけど……

 こんな……何だこの景色は。


「海が…………?」


 視界の隅と隅。

 海の端っこは盛り上がって、普通の海抜に見えるのに――今、あたしが目にしている方向は、明らかに。ずーっと何キロも直線に、幅一キロ、距離不明な超長距離が、明らかに海がへこんで見える……まるでそこだけ、強大な重力で押しつぶされているかのような。

「スイナくんは……『星握のオルザウルザ』という人間を知っているか?」

「……?」

 せい、あく……? なんか、聞いたことがあるようなないような……

「……そいつはね、ここから遠いウェオン王国で生まれ、そしてこの地で死んだ、人類不倒の象徴……かの『ラログリッド・ユラバルデ』と並んで、一種の大英雄というやつなのさ」

「えーと……なにをした人……?」

「世界の敵――竜を倒した」

「りゅ……!?」

 ハッとする。

 ……思い出した。むかし、故郷の……皇都のお祭りで、芝居かなにかでやっていたような――

「りゅ、竜ってたしか……」

「史上最大の魔獣。竜が通ったところには生命は二度と孵らず、魔物や魔獣含め、あらゆる災禍が跋扈する……魔獣の王、とも呼ばれる化物だね!」

 なぜかハキハキした様子でライカが言う。目を細めている様子から見て、また歴史好きの血が騒ぎだしたのかもしれない……

「この『へこんでる海』は……オルザウルザが最後の最大攻撃を行い、竜を倒した跡の一部なんだ。竜滅ぼし……星をも握りつぶす攻撃……いったいどんな呪言を遣ったら、数百年経った今でも、海がへこんでる……なんてことが起きるんだろうね?」

 ふっ、と心底おかしいものを見たかのようにライカの口元が歪む。

「その大攻撃の影響か……ここらの水深は異常に深い。海流の流れもおかしなところがあるし……通常の消失線とは違う位置に消失線があるから、大いに気をつけたまえ」

「お、おう……」

 あたしは……生返事をしながらも、へこんだ海から目を逸らせない。数百年前、ここでオルザウルザと竜が戦った……? いったい、どんな戦いだったんだろう……歴史好きじゃなくても、見てみたい気もする。怖いけど……

「……ちなみに、オルザウルザは死んだって……竜にやられちまったのか?」

 相打ち? と首を傾げる私に、

「いや、竜を確実に斃したあと――消失線を超えてオルザウルザは死んだのさ。海の彼方に消え去った……世界でもっとも強くとも、大断崖の法則は絶対のようだ」

「…………」

「当時の優秀な観戦武官がね、詳細な記録を残しているんだよ」


 ――それだけ言って、またライカはニコリと笑った。





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