6話 「さて、ライカ先生の特別授業、記念すべき第一回を――」

「さて、ライカ先生の特別授業、記念すべき第一回を――」

「はじめまーす!」


 ……というわけで。翌日。ライカの授業がはじまった。場所は当然、家の中の黒板前。あたしは自分の椅子にちょこんと座って、ライカは黒板前でチョークと棒っきれみたいなのを両手に持って、なぜか眼鏡をクイ、とやる動作をして――そんで咳ばらいをする。

 眼鏡なんてしてないのに。

「というわけで……なにか興味のあることはあるかい? 科目でもなんでもいいが、私に教えられることならなんでもござれだ!」

「うーん……そうだなあ」

 あたしは首をひねる。あたしが興味があること……というと……



・この国について



「ここ……デンラル共和国は前にも言ったと思うが、緩衝国であり衛星国だ。独立国としての体裁を保っているが、実質的には帝国の支配下にあるといえるだろう」

「ここらもやっぱり……危険なのか?」

「いや、ここらは国境に面しているが、帝国の影響下にあるゆえに、国境警備の兵も配置されていない……そもそも大断崖間際にあるため、外部からの侵入はほとんど考えられないしな。ゆえに、安全と言えるだろう」

「そっか……」

 よかった。それなら、もしみんなを見つけても、しばらく落ち着くまではここにいれるかもしれない。それで体制を整えて……

「……でもここは帝国に近いよな? 皆を見つけた後、どうやってデンラルを抜けて、他の国に脱出すればいいのかな……」

「それは……いくつか手段がある」

 ライカがチョークで簡単な地図を書いて、矢印で経路図みたいなものを書き始めた。

「このルートとこのルート……つまり海路と陸路だな。私はここに来るまで海路を使って大断崖の消失線ぎりぎりを進んできたが……人数が、それも子供が多いとなると、陸路を使わなくてはいけないだろう。他の子たちが見つかったら、あらためて、詳しく説明しよう」

「……ありがとう!」

 やっぱりライカは頼りになる。ていうか、でも……

 そういえばライカは……なんでここに住んでるんだろう? どういう目的でここにいるのか気になった……

 旅をして、たまたまここにいるって話は前に聞いたけど、帝国が嫌いとも言ってたし……それなのにここは目と鼻の先だし。あ……えと、確か『誰か』に用があるとか言ってったけ――

「ああそれは……デンラルがいいところだからさ! ここの観光地や食べ物は中々のものでね」

「へーえ?」

 あたしの心の表層が見えたのか、ライカが答えてくれる。

「デンラル共和国と言えば水の国とも言われていてね。ひとつの都市がまるで宙に浮いてるみたいに見える、『水上都市ファンゲンバック』……」

「おおー」

「そしてこことは正反対、地理的に逆側だが、大戦期の英雄が祀られた『セオンガナ英雄墓地』があるのもこの国だ。知ってるかい? そこはね、3つの国の国境が重なる場所に建立された墓地で、しかも多国籍墓地……申請さえあれば、三カ国出身だろうがどこの国だろうが誰でも立ち寄ることができる。どんな人種や宗教も関係なく訪れられる、世界最大の土地面積を誇る墓地なのさ。不謹慎だが祀られた人間にまつわるグッズ……大戦期に成敗された魔物をかたどった饅頭や置物なんかもあそこは販売していてね。なんというか、歴史好きの人間にはたまらない場所だろうね……あれは!」

「へ、へー?」

 微妙にうっとりした表情でライカが言う。なんかテンションが上がってきてるけど、そういう早口オタクなんだろうかこのお姉さんは。

「それに食べ物もいい。ここの海の幸もいいが、内地のデンラル産のズドウを丹精込めて潰して発酵させて、それに砂糖小麦粉を混ぜて作る『ズドウ焼き』も茶菓子としてこれ以上なく申し分ない。甘くて酔えるぞ!」

「それは……!」

 あたしも食べたいかもしれない。別に甘いものは好きじゃないけど、最近食べてなかったし……そういうお菓子お菓子したものは。

「すべてが終わったら……食べようか」

「おっけー!」

 ふ、と笑うライカに賛同するあたしだった。



・大断崖について



「『人生で 一度は見れり 大断崖』……」

「あ、そのフレーズはあたしも聞いたな……どっかの偉い冒険家が言い出したんだろ? こっちは一度どころかもう見飽きちまったけどさ」

「だろうね」

 片眼を閉じて首を振るライカ。そういえば、ライカは帝国の――大断崖攻略についてどれくらい知ってるんだろう……

「そうだな……君が知りたいというなら。大断崖について話しておこうか。自分が……自分たちがなぜそんなことに巻き込まれてしまったのか。それを知ることは現状を知ることに繋がる。現状を知れば対策も、心構えも立てやすくなるだろう……大丈夫かい?」

「当然!」

 だいじょうぶに決まっている。大断崖の……帝国のやってきたことに今更ビビッて向き合えないなんてことはない。ビビってると逃げることもろくにできないしな。

「いい覚悟だ。そうだな……大断崖というのは、歴史からいえば、人類が文字を遣えるようになる……そのはるか前から、大断崖として存在していることになる。有史以前から、洞窟壁画などにも大断崖の不可思議、異常性について指し示す表現は見つかっているな……」

「……」

「ある一定のラインを超えると、……その性質に、古代の人々は神聖性を見出したのかもしれない」

「……けっ」

 神聖……ね。そんなにかわいいもんじゃないとあたしは思うけどな。

「大断崖の特徴……スイナ君はどのくらい知ってる?」

「そうだな……とにかく馬鹿でかくて……その消失線に至ると消えちまうってことくらいかな……」

「まあ……そう、それが基本、と言ってもいいんだがね。大断崖の特筆すべきは、その地理的意味にある。大断崖はこの世界を円状に囲んでいるヴェル・グラッド(偉大なる崖)なんだよ」

「ああ……世界の端っこであり、世界を囲う崖……だもんな。ほんと無茶苦茶な大きさだよな……」

「どの大陸においても、大断崖に面した国は大きな力を持つ傾向にある。なぜなら、あらゆるものを消してしまう場所が目の前にあるんだから」

「……?」

 つまり。

 ライカが言って、黒板にぐちゃぐちゃと何かを書き始めた……なんだこれ、ひどい絵だけど……

「ごみの絵だ」

「ごみ……?」

 またなんでそんなものを。

「人類が発展していく上で、大量生産大量消費……という過程が踏まれるが、その際に出た『いらないもの』は、場合によっては保管するだけで国費を圧迫するものもある。厄介な呪いがかかった道具だったり……その道具が強大な力を持っているほど、処理するのも面倒になるケースがある」

「ん……うん……?」

「そういった『いらないもの』を、どんどん海に……大断崖に捨ててしまえる。これは大きなメリットだ。国の負担が減り、『いらないもの』も何の後腐れもなく消えてくれる。これにより大量生産大量消費の後始末が簡単になり、人は産業にだけ注力していけるようになる。結果、国は潤いやすくなる……」

「なるほど……?」

 なんとなく、分かったような分からないような。つまり、大断崖に面した国は、面倒ごとを全部大断崖に押し付けて無かったことにできる、ってことか。

「聡いねスイナくん!」

 そういってチョークを親指ではじいて、もう片方の手で受け止めるライカ。よかった、理解あってた。

「大断崖に面した国は、それゆえに強大な力を持ちやすい傾向にある……他にも海路開拓における物流の観点からもメリットは上げられるが……分かりやすく言うと、それが第一ということさ」

「う……うん!」

 なるほど……あたしの国は大断崖に面してないから、これは意外というか、あたしにはなかった視点だ。

「そして……話は少し戻って大断崖の歴史についてだ。ある一定を超えると消えてしまう……これにより、大断崖は古くは流刑……つまるところ死刑に使われてきた記録がある」

「…………」

 それは……嫌な話だな。実感として、大断崖攻略をさせられてたあたしは、それの意味するところを知っている。あれは……怖い。だって本当に跡形もなく消えちまうんだから……ふっと、泡とか霧みたいに人がその場からいなくなる……あんなのは、二度と見たくないんだけどな……

「時代はくだり……世界の……つまり大断崖の内側、私たちの世界が地図に表されるくらいハッキリしてくると、人は大断崖の外に何があるのか、それに興味を持ち始めた。そして、志願者……それがいなくなれば、奴隷や罪人を遣って、彼らを船にくくり、大断崖の消失線……それがどのように張り巡らされているのかを探り、大断崖を突破しようと考えたわけだね」

「ああ……」

 それが、今帝国がやっていることだ。あたし達みたいな、奴隷や敗戦国の子供をどこかから連れてきて、ああやって……だから、あたしたちは逃げ出してきた。

「大断崖の先に何があるのか……それは誰にも分からない。海の向こうには新たなる世界(ソル・ラシル)があるなんて話もあるが……現状誰も到達して、こちらに帰って来たものがいないんだから、ただの眉唾だね」

 ふう、とため息をつきつつ、

「私はロマンチストじゃないんでね。大断崖の先に何があるのか……それに過度な期待も過度にこき下ろしたりもするつもりはない。大断崖について現状なにかを断言するということ――それはつまり……」


 死んだことがないのに死後が無だと言うくらい愚かなことだからね。とライカが言う。


「…………?」

 今、なんとなく変な感じがした。ライカのしゃべり方……それに何か違和感を感じたんだけど、あたしにはそれの意味するところは分からない。

「ひとつだけ言えることは、大断崖の消失線を超えて、こちらに帰ってきた人間はこれまでのところ……一人もいない、ということさ」

「そうだよな……」

 あたしはぎゅっと拳を握る。あたしの知り合いは……友達は……何人も、帝国の小舟に乗せられて、大断崖に突っ込まされた。

「自分の命を遣って冒険するというのなら応援もするが――帝国のそれは、他人の命を勝手に使って自分は楽しようとしているだけだ。それは……冒険ではなく、愚行というのさ」

「帝国は……なんで大断崖なんて今更……だって、攻略が盛んだったのってずっと昔の話だろ? 大戦以前とか……あたし、聞いたことあるんだけど」

「良く知ってるね。そう……きわめて前時代的な行動だと思わざるを得ないが……あるいは帝国というより、一部の人間の独断的なものなのか……」

「え……?」

 ぼそぼそと。ライカにしては珍しく歯切れが悪い言い方であたしにはよく聞き取れなかったけど。聞き返す前に、話が次にいってしまった。

「とにかく、消失線というのは結界のようなものさ。通ると人が消えてしまう結界……私のかつて住んでいた近くには、逆に人間が海から飛び出てくる場所もあったが……それとは逆だね」

「な……なんだよそれ!」

 急にライカが変な事を言い出すので気になってしまう。

「お、なんだい興味が湧いたかい?」

「いやだってそれ、意味わかんねえじゃん!」

「はは、なーに、本当にそのまま、人間がすごい勢いで裸で海から飛んでくるんだが――」

「なんだそれー!?」

 思わず叫んでしまうあたしだった。



 ・この家について



「そういやこの家って……」

「ん? 空き家だったので勝手に使わせてもらってるところだが……」

「やっぱり! いいのかよそれ! これ人の家じゃんか!」

「はは、まあまあ……」

 そう言いながら、ライカが辺りを見回して、

「家っていうのはね、誰かが住んでいないと腐っていくものなんだよ。この家の持ち主もまあ、文句はいわないはずさ!」

「はー……なんかなあ、おかしいと思ったんだよなあ……だってライカ、旅をしてるって言ったのにこんな立派な家……」

「恐らく、物好きな人物が建てたんだろう。そして恐らく、ここでの眺めに飽きたから、またどこかへと移り住んだんじゃないか……だから、ここに戻ってくることはないと思うがね」

「……ま、いいか」

 ライカの妙に自由なところは今に始まった事じゃなさそうだし。

「それに気兼ねするな。お金ならあるんだ!」

「あっ……」

 そう言ってライカが机の上に広げたのは、色んな形をした大小さまざまな……

「金貨……?」

「ああ、全部本物だ。家主が現れてなにか言ってきたら、家賃だと言って渡せば済むさ」

「……ライカ、もしかして悪いこととかしてないよな?」

「失礼な! これはちゃんとしたお金だ! 私が道中色々と稼いだお金だよ。これを使えば……逃走資金にもなるだろう?」

 ふふっと笑ってそんなことを言うライカだった。

 ここでの生活は基本は自給自足だからお金も使わないし……ライカはサバイバル能力が高そうだから、なるほど、あんまりお金を使わない生活をこれまでしていれば、これくらいは貯めることができるのかも。でも……

「いいのか? そんなことにお金を使って……?」

「ん……?

 何を言ってるんだ? という顔をするライカ

「だって、ライカのお金を……あたしたちのためにってなんか悪いっていうか……」

「はは! 何を言うかと思ったら!」

 また豪快に笑うライカ

「子供が遠慮なんてするんじゃない! それにまだ小さい君たちには大金かもしれんが、大人を舐めちゃいけない! 私にとって大したお金じゃないのさこんなもの!」

「…………」

 ライカはきっと、こんな時ばっかり子供扱いしてくる人なんだ。

 そしてあたしが大人として見て欲しい時にはきっと、大人として逃げずに正面から接してくれる、そんな人なんだ……と、あたしはなんとなく思った。


 ともかくこうして――ライカの特別授業一回は幕を閉じたんだ。


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