序章 海
2話 「私は大嫌いだがね!」
「おっ、起きたかね!」
「―――!」
別に起きてなかったけど。ライカの威勢のいいおはようと、おいしそうな匂いに叩き起こされた。
「下手なりに作ってみたんだがね。スイナくんのお口に合うかどうか……確率は二分の一だ!」
「……」
初日の朝。なぜかいきなり、あたしの口にそのままスプーンを持ってくるライカ。恥ずかしいと身をよじったが、抵抗むなしく、何か温かいものがあたしの口に入り込んできて、
「むう……っ」
となってしまう。
このスープは……なんつうか……なんだ、緑のふわふわした磯っぽいものと、
すごく独特の……不味くはないけど食感重視っぽい貝……類? が入ったものだった。
塩味以外の調味料がない、天然のスープだけど……まずくはない。健康に良さそうな飲み物。
「どうやら気にいってくれたようだね。確かにこれは健康にいい。まあそれだけだが――」
「あたしの故郷なら、こういう汁に“ラソ”を混ぜたラソ汁っていうのがあるんだけどな。それほどじゃないが旨いヨ……ありがと」
「そうかい! どんどん飲んどきたまえ! 早く動けるようにならないとな!」
気恥ずかしさでモニョるあたしに気兼ねなく、どんどんスプーンが空を滑空する。
正直ラソ汁なんて飲んだことも見たこともない……父と母の故郷のものらしいから言ってみただけだ。ちょっとケチつけたくて言いたくなっただけだが、ライカはそんなこと軽く受け流してしまう。
……というか、さっき……あたし、『健康』って口に出していったっけ……?
ふとした違和感、それが形になる前にライカが踵を返し、自分はテーブルの上にある鍋のスープを……まるごとゴクゴク飲んでしまう。
「ぶ……はあああああ……はあ、はァ……」
「……飲み方豪快すぎる」
「見ていて気持ちいいだろう! とりあえず君が寝ている間に私は朝の素振りはしていたからね。今から休憩がてら、色々お話ししようか」
「お話……?」
「今後のことさ」
言って、ライカが移動、黒板の前にゆっくりと立つ。見ると、黒板のほうにはいつの間にか地図が書かれてある……といってもそれは大雑把なもので、一目みて地図だとわかったのは――
「ここが恐らく君が……君たちがいた帝国領内、大断崖付近の港だ」
「…………っ」
地形だ。ライカがチョークで指示したのは、地図の中で一際先端が突出した場所。
先っぽの方がカギ状になっていて特徴のある形だからわかる。ここにはたくさんの帝国の船が駐留していて……そしてあたし達もこの港にある収容所に連れてこられて。そして、その日が来たら、消失線まで出荷される予定だったんだ。
大断崖攻略――答えのない、命をいたずらに消費するふざけた道楽に。
「…………」
そして港の先にはあとはただ、海が広がっている。この先にはなにもない、ここから先は人類未踏領域……誰も立ち寄った事のない世界なのだから。
「……そして今我々はここにいる」
「あ……」
次にチョークが示したのは、地図の反対側。海沿いではあるが、帝国の領土から出て、『デンラル共和国』に入ってる……これって結構距離があるんじゃないだろうか――
「いや、さほど距離はない。丸一日も歩けば帝国との国境につく。そこから更に一日歩けば、君がいたであろう、『レイクエット港』にまでたどり着くだろう。この地図は縮約といってね、かなり拡大しているから、国内地図――世界地図ほどの距離感はないのさ」
「…………」
国内地図も世界地図も見たことがない。
「今度見せてあげ……あ、ないから私が描くよ。なーに、私に絵心はないが、地図くらいなら書けなくもない!」
「…………」
また声に出してないのに。先回りするみたいに答えられた。
「ここ、デンラル共和国は帝国と面している。が、侵略されずに共和国として成り立っているのは当然、ここが強国だから……なわけではない」
「…………」
「デンラルは帝国の衛星国家であり緩衝国家なのさ。実質帝国の支配下ではあるが……帝国内ほど監視の目は厳しくない。それに大断崖からも近いしね……ひとまず雲隠れするくらいには十分な場所というわけだ」
「かんしょう……えいせい……?」
「大国の間に挟まれて、互いの国が衝突するのを防ぐ……中立的でクッション的な役割を押し付けられている国を『緩衝国』という。一方、名目上独立してはいるが、常に周辺大国の影響下にさらされ、軍事的経済的外交的に追従せざるを得ない国を衛星国という……ここは両方の性格を持っているんだ」
「へえ?」
――そういえばライカは教師……元教師とかいってた。なんだか知らんが今の説明は分かりやすかった。
「ともあれ……問題は君がここまで来たのは海流の関係だろうということ。その海流も、大断崖付近では不安定極まりなく、時には地形の影響を受けない流れが生まれることもある。ゆえに……」
「み……見つけたいよ! みんなあたしの友達なんだぜ!」
「……安心したまえ」
思わず声が大きくなるあたしに、ライカは手の上でチョークを遊ばせながら微笑む。
「まずはこの辺りを探していく。そして徐々に捜索範囲を拡大していく。君が動けるようになったら一緒に探しに行こう……もちろん、帝国の連中の目に気をつけつつ、ね」
「…………っ」
ほ、とする。ライカはあたしとの約束を……とはいっても、ライカが言いだしてくれたことだけど。ちゃんとやってくれるつもりらしかった。自分には何の得もないのに……なんでこの人は、あたしを手伝ってくれるのか、それは分からなかったけど……
「…………」
ん……? そういえば……
「帝国の連中って……ライカも、帝国が嫌いなのか……?」
あたしが嫌いなのは当然として……ライカはなんで帝国を……というか、この人なんでこんなところにいるんだろう。帝国が嫌いなら、もっと遠くにでも行けばいいのに。ここでちゃんとした居を構えて生活してる、ってわけでもなさそうだし……
「帝国の人間以外で、帝国が好きな人間なんているかね? ああいやいるか……帝国に儲けさせてもらってる連中は好きかもしれないな」
あたしの質問に口元をかすかに歪めながら、
「私は大嫌いだがね!」
アッハッハー! と。顔を抑えて上を向いて大口を開けて、わざとらしく笑う彼女に、なんとなくあたしは……初めてこの人が自分の感情を隠そうとしてるのを見た……なんて、勝手にそんな気がした。
「……ま、ちょっとした用があるんだ、この国に……この国にいる『とある人間』に。だから私はまだここにいる……なに、勝手にいなくなったりしないから安心したまえ」
そうして、ぽん、と優しくあたしの頭に手を置くライカ。その表情は……最初に会った時と同じくらいにはやわらかかった。
「……感謝だぜ。でも……う、ううん……」
「無理はするな! きっと皆……大丈夫さ」
無理やり起き出そうとするけど、体に力が……入らない。くそっ、どうしたってんだあたしの体は……五体満足なのに、どうにも調子が悪い。まだ回復には時間がかかりそうだった。
「私が回復系の呪言を遣えれば、多少はマシだったのかもしれないがね……すまん、私は呪言の才能がまったくないんだ。下級の魔法を少しくらいしか出来ない。それも申し訳程度だ!」
パン、と手を合わせて謝ってくるライカ。謝られることなんて何もないけど……そうか、この人呪言が使えないのか……あたしも、たった一つしか使えないから偉そうなことは言えない。
それに……
「回復は……あたしの親友が……あ、眼鏡をかけた変な奴なんだけど、そいつが少し使えたな。切り傷とか、疲れをちょっと治すくらいだけど……あれはカッコよかった」
「なに⁉」
あたしの言葉にガバっと顔を上げるライカ。なにか変な事言ったかな……
「回復系の呪言を……スイナくんの友達って……同い年くらいの子だろう? その年でそれを使える子がいるのか⁉」
「え……そうだけど……」
ものすごい驚き方だ。目を見開いてる。
「それは……すごいな。回復魔法を使える人間は、そもそもそんなに多くない……呪言に適正のある人間の中でもかなりの少数派だ。複雑な感覚技能も必要、長年培った理論や技術もモノを言うから、きちんと怪我を治せる段階にまでいくのは大人の中でも一握りなんだが……」
「…………」
なんだかすごい感心してる。へー、それってそんなに凄いのか……あいつ、やるな。
帝国の連中に隠れて、他の仲間の怪我を治して回ってやってたのをあたしは知ってる。親友が認められると、なんか、嬉しいな……
「……」
その時、ずぐん……と、なにか胸に痛みのようなものが走った。くそ、やっぱり打ち身とか……目に見えないところがケガしてるのかも……
それも、あいつを見つけられればちょっと治してくれるかも……なんて
「……ま、いいだろう」
ふむ、と横に置いてある剣を撫でながら、ライカが一人うなずく。
「とりあえず今日は、もう少し今後について詰めてから……昼からまた捜索に出かけてくる。君はそれまで休んでいたまえ」
「あっ……」
鍋とあたしが使った食器を持って立ち上がるライカをあたしは手招きする。流石にこんなに至れり尽くせり、居心地が悪すぎるなんてもんじゃない。
「ライカ、ちょっとこっちきてくれ。それ、こっちに持ってきて……」
ライカの持っている鍋を指さして目の前に持ってこさせる。そして――
『弾ける跳ねる大小の羽虫(オオキュージュ)』
「!」
それを唱える――あたしが唯一使える、呪言らしい呪言。下級も下級の出力しかないけど、それでも、手の前からドボドボと勢いよく水が出てきて、あっという間に鍋の中を満たす。
「スイナくん、君も呪言が遣えたのか……!」
「まあ、ね……これだけだけど」
母親があたしに教えてくれた。それが、たまたまあたしと合った呪言だったからすぐ使えるようになった。
……ま、この呪言のおかげで飲み水には困らなかったし、喉が渇いたっていう仲間に水を浴びせてやることも出来たし、覚えておいてよかったと思ったんだけど。
それに今、ちょっと洗い物を手伝えたし。
「ありがとう!」
あたしがもういいよ、というとそれをキッチン……といっても、備え付けで、排水穴があるだけの所に持って行って、蛇口をひねるライカ。海水を引いてきているのだろうが、海水だけであらうよりは、少しはお鍋も綺麗になるだろう
「……ジュ……」
「……?」
ふと耳を澄ますと。
ライカがあたしに聞こえないくらいの声量でオオキュージュの練習をしていた。呪言の才能がないって自分で言ってたもんな……自分で遣いたくなったのかもしれない。
ともかく、こうして――あたしと彼女の最初の朝、一日目は始まったのだった。
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