1話 「……お姉さん変態なの?」


「……………………」


「……………………」


「……………………」


「……………………」


「……………………」


「……………………」


「――君は……」

「――――――――――――ッ!」

 ――ふと気づくと。

 目の中に強烈な光が入ってきて、唐突にあたしの視界は真っ黄色に染まる。

 しかしそれも束の間の事――徐々に、徐々に目が慣れてきて、そして今自分がいる場所が、海の上なんかじゃない、かといって温かいベッドの上とかでもない、でも柔らかいところに横になっているのだけは分かる――、そんな所にあたしは……


「……?」

「………………」


 ふと。ふと横を見ると傍には女の人がいて……こっちをじっと見ている。黒みがかった長くてきれいな髪……黒髪なんだけど、明るい黒髪って感じの、不思議な雰囲気の人だった。顔立ちは整ってるけど、なんだか険しいような、それともやつれたみたいな……そんな知らない人がこっちを――って……

「あ、て、帝国っ……!!」

「!」

 あたしはあわてて立ち上がる。そうだ、あたしは海の上に投げ出されて……そっから……!

 ということはこの女は追手なのか、見つかってしまった捕ま――

「……!」

「……おっと」

 しかし立ち上がろうとして立ち上がれない。ぐらついたあたしをその人が優しく支えた……そんな気がした。

「はな……離せよおい……!」

「……落ち着きたまえ。私は君の敵ではない――味方……まあ、どちらかといえば味方に分類されると思う。そのはずだ……」

「……?」

 敵じゃない、と言ったその人にあたしはとりあえず暴れるのをやめる。

「じゃあ誰……お姉さん誰よ、あたしは――っていうか、みんな! みんなはどうなった!?」

 辺りを見回す。ここは海だ――海の近くの浜辺だ。

 少し離れたところに小高い丘があって、そこに小さな家が建っているのが見える。あとは真後ろに林……? の木がたくさん生い茂っていて、他に目立ったものはない。

 当然帝国の船団なんかが停まってもおらず、あたし達二人のほかに人の気配はなかった。

 見たこともない景色……暴風の中見た遠くの陸とはまた違う場所だったが、とにかくあたしは打ち上げられて無事だったらしい。命を拾った……でも


「あたしの他にも友達が何人もいるんだ! たっくさん……他のやつら見てない!? みんなあたしと同じ年くらいだよ……」

「…………」


 ――あたしの言葉にお姉さんはゆっくり首を振る。そして少しの間俯く。なんだその反応は……まさか、まさか……!

「――いやすまん、君以外の子は見ていないよ! 私はたまたまこの辺りを散歩していて君を見つけたんだ! あはははははは!」

「へっ……?」

 いやに明るい反応。というか出会い頭とキャラが変わっているような……

「君しかここにはいなかった。私はあそこの小さい家に住んでるんだがね……だから他の子がここにいたら気づくと思うよ」

 お姉さんが指さしたのは小高い丘にある家。あんなところに住んでるのか……この人世捨て人とか変わり者なんだろうか……って今はそれよりも……

「じゃ、じゃあ探さないと! 大変なんだ……! 帝国の連中が……」

 ここはどうやら帝国の国外らしい。お姉さんの言葉のイントネーションは帝国で聞くものとは明らかに違っている。でもここはそもそも帝国の領土の際の際。端っこにある大断崖付近だ。

 他のみんながあたしと同じように近くに打ち上げられてるなら……早く探さないと、帝国に捕まってしまうかも。

「う…………」

 ――立ち上がろうとする。だから動き出そうとするあたしだったが、その瞬間体中に鈍い痛みが走る。どこか怪我したか……と思って全身を見るけど、外傷はない。内出血とかどこか折れてるとか……

「まあ、そう焦らないで! 動けないのか? それならまずは療養しなくては。立てるかい?」

 お姉さんが手を差し出してくるのを無視して自分で立ち上がる。ダメだ、ふらつく……まともに歩けない。

「い、いかないと……あたしがみんなを……」

「……ふむ。君は……帝国に追われているのかい? まさかとは思うが……」

「……そうだよ。大断崖……知ってるだろ! あそこの消失線に突っ込まされて、攻略の手伝いさせられてるんだ。あたしの目の前でもう何人もきえちゃった……だから逃げてきたんだよ!」

 やけくそ気味で怒鳴る私に顎に手を当ててお姉さんは目をつむっている。もしこの人が敵……帝国に密告でもして小銭を稼ぐような人なら、この時点であたしは詰みだが……

「――なるほど。わかった。そんなに心配なら私が代わりにその子たちを探してやろう。そのほうが効率がいいしね」

「へ……?」

「その子たちの名前や特徴を教えてくれるかい?」 

「で、でも……」

「君は動けないじゃないか。体が治るまで私の家で休んでるといい。あそこなら暖もとれるしね」

「…………」

「とりあえず行こうか」

 くるりと背を向けて歩き出すお姉さんをあたしはぼーっと見る。なんだこの人、なんでそこまで……

「ふふ、小さな子供に目がないんだよ私は」

「……お姉さん変態なの?」

「あはは、違うそういう意味じゃない! もっと前向きな意味さ!」

「…………?」


訳の分からないことを言って笑うお姉さんに、とりあえずあたしは一歩進んでみる。どうにか前には進めるけど……その歩調は亀の歩みだ。

「大丈夫かい?」

「!」

 お姉さんはすぐに戻ってあたしに寄り添うように歩き始める。なんだこの人……変だけど、とりあえずは信用していいのか……とはいえ食い物も家もない現状、とりあえずついていくしかなさそうだ……みんなを探すにしても、とりあえず拠点がいる……

「私の名はライカ。ライカ・アヤシキ――これでも大昔は教職についていてね。君くらいの年の子を教えていた」

「あ……あたしはスイナ・クルセ……帝国に負けた敗戦国から連れてこられて……」

「ふむ……」

 あたしの歯切れの悪い言葉に、小さくうなずくお姉さん。続きを促すでもなく、話したくないなら話さなくていい、といった態度だった。

 でも、なるほど……小さい子がうんぬんってのは、この人教師だから、ってこと……か?

「しかし……お姉さんとはな」

「……?」

 くつくつと笑いだすお姉さん。なんだ変なこと言ったかな……

「あたしは君より二まわり……いや、それどころか三まわりは年上なんだがね。姉ではなく母と子の年齢差さ。でも若く見えたかい? 嬉しいな……あっははははははは!!」

 唐突にその場で空に顔向けて大爆笑……って、ええ!!?

「うそ……そんなに年上なの!? おね……せいぜい10歳上くらいかと……」

「ふふ……若作りに成功しているみたいでよかった。女性にとって年っていうのは中々気になるところだからね……君も――」

「?」

 そう言ってあたしの髪を撫でるように触ってくるおねえ……さん。

「かわいい顔をしているんだから俯いていてはもったいないよ」

「……からかわないでくれよ」

「からかってないさ!」

 アハハ! とまたお姉……さんは笑いつつ。

「しかし君のことをなんて呼べばいいかな。少女……なんて呼び方は芸が無いし。クルセ……ちょっとよそよそしいか。スイナくん、スイナちゃん……」

「……好きに呼んでくれていいぜ」

「じゃあスイナくんだ。よろしく! 私のことも好きに呼んでくれていいぞ!」


 ……すごく馴れ馴れしい!


「じゃあお姉……ライカさん……」

「呼び捨てでいいさ」

「……ライカ。なんていうかその――……」

 ありがとう、とあたしは頭を下げる。なんにせよ、見ず知らずのあたしにここまでしてくれている人間には、とりあえずこうしておくのが正しいと思った。この人、相当物好きだけど、たぶん気のいい人っぽいし……この人があたしを見つけてくれなかったら、あたしはあいつらを探す前から何にも出来ない、行動不能だし……

「いいさ、子供が気を使うものじゃない! さ、ここだ!」


――そうして。

 ライカがドアを開け離す。家はこじんまりした見た目の割に、中はちょっと広めの内装だった。とはいっても、暖炉とベッドと、ソファと……あとは黒板? そして何か海藻みたいなのとか食糧が並べられていて、ちょっと海の匂いがここでもするだけで、基本は殺風景といえば殺風景だけども……

 特に、全然なにがあるってわけでもないところ……

「! これは……」

 その中でひときわあたしの目を引くものがあった。

 むしろ、入った瞬間なんで気付かなかったのか。ベッドに立てかけられて薄く鈍色……かすかに銀色を見せているそれは――


……」

「ああ、やっぱり気になるかい? 子供は風の子元気の子というしね……ヤンチャにはもってこいの道具だ剣ってのは。子供はみんな剣が大好きな生き物だものな!」

「…………」


 ……それは普通に偏見入ってると思うけど。確かにこの剣はカッコよかった……シンプルでなにか特別な装飾が施されてるわけじゃないけど、なんというか……洗練されて程よく細く薄く長い刀身、

 でもペキン、と折れそうな危うさはなぜか感じない……頑強さをも感じさせる、なんていうか、何とも言えない迫力がある……

「ライカって……、剣士かなにかなのか? これ、振ったりするの?」

「ああ、振りまくるぞ! 剣士だなんてそんな大層なものじゃない。大義も糞もない真似事みたいなものだがね……毎日砂浜で馬鹿みたいに修練をするのが習慣になってるのさ。朝昼夕、素人の暇つぶし……みたいなものだ」

「……そうなのか」

 あさひるゆう……って一日中じゃないのか……?

「ちなみにこれはずいぶん昔にどこぞの名工が作ったものなんだがね。私はこれを他人から貰っただけで、この刀に名前があるのかも知らない。なにか好きに名付けてもいいよ?」

「いや別に――」

「む!」

 そう返そうとした途端、あたしはその場でふらついて、地面にへたり込んでしまう。そのまま、視界がどんどんと狭まってきて……眠気? 世界が暗く、現実からあたしを切り離そうとしていく感覚――

「疲れたか……今は休みたまえスイナくん。明日からよろしく」

「え、うん……」

 この人が……ライカがどんな表情でそんなことを言ってるのか。それはもう目を閉じたあたしには分からなかったけど、とりあえず舟を漕ぐみたいに……コクリと頷いておく。

 どちらにせよ……帝国のことで迷惑をかける前にこの家を出ていくつもりだけど、今は、体もろくに動かない……ライカの世話になるしかなさそうだった。

「よろしく」

 こうして急に。あまりにも唐突に。


 ――あたしと彼女、ライカ・アヤシキとの奇妙な共同生活が始まってしまったのだ。

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