青春のメタ認知

麦本素

にゃんこかぶり

 どこにだっているんじゃないだろうか、優等生キャラというものは。優等生であろうとする人間と言い換えてもいい。学年トップの成績をとって、きゃんきゃん男子をいさめて、さかしらに先生と議論を交わして、なにごとにも真剣でちょっとうざいけど憎めないやつ。


 俺は横目でかすめるように、初恋の女を見た。

 学習能力が高い分、身なりにもうまく気を遣うのは昔からだ。もともと小づくりながらも品のある容姿をしている。アイデンティティのように光る金色の丸眼鏡はコンタクトにしなかったらしい。薄い瞼でうっすら発光するパールのアイシャドウを眺めていると目が合った。

「アイシャドウって光ってるのになんでシャドウっていうんだろうな」

「知らん」

 慌てて後ろにいた当時の悪友に聞く。首を捻った。辛い。

「みおりちゃん、二重整形したの!?」

「かなぴ、酒太り?」

 中学の吹奏楽部の同窓会だ。女子が多く姦しい。男子三日会わざれば刮目してみよ、というが、女の方が分からない。正直容姿が変わりすぎて名前を当てられはしないので曖昧にうなずいておく。

「部長は変わらんよね」

 悪友は先ほどのパスを華麗に無視したくせにこういうところで彼女に絡む。

「えぇ、かわいくなったと言ってよ」

 少し眉をしかめて反駁する彼女。

「いやでも性格は丸くなったね~、昔だったら、こんなこと言われたら分厚い本で一閃!だったでしょ」

「覚えてませーん」

おどけて肩をすくめている。柿色のシフォンワンピースが楽しげに揺れた。俺の胃は底冷えするような嫌な揺れ方をしたというのに。


 特筆するような初恋ではない。そう前置きしつつ筆をとってしまう弱さを許してほしい。いねむりばかりしていたチューバパートの俺と、同じパートにいた、部を成り立たせようと躍起になっていた部長の女のたわいない話だ。中学時代の、しかも弱小吹奏楽部の経験なんてコンクールなんかより普段の練習のだるだるとした空気の方が大事なものだった。ふたりきりだった練習で、普段はりつめている女が弱音をこぼしたり、それでもまた駆けだしたりするのをからかっていた、ただそれだけ。


「かわいくなったって言ってやってくださいよ相棒さん」

最悪のパスだ。全然、全然俺は……

「そういうの蒸し返すの気まずいからやめてちょうだいよ、いま私彼氏いるし」

あっけらかんと相手にいなされて、拍子抜けしてしまった。そしてまた嫌な揺れ。

おまえそんなに人間関係器用になったんだな。いいけど。

「彼氏いるらしいよ、残念だったな」

「今更狙ってねぇよ」


 かわいいと思った。俺だけのという優越感もあった。まっすぐさに憧れもした。「なんかイイ感じ」な俺らが噂になるのは別に不思議なことではなかったし、まもなく彼女も俺のことが好きになった。公然の秘密として見られていた俺らはけれども、引退まで付き合うことはなかった。自分が折れるのはお互い癪だったから。


「昔両片思いしてたよね、なんで付き合わなかったの!?」

 もう名前も覚えていない、厚化粧の女たちが群がってくる。

「おまえらのそういうからかいがうざかったからだよ」

「うっわー、昔と変わらずひねくれてんね」

「彼女できたことないでしょ」

「あるわ」

「それは女が見る目ない」

 告白されて断る理由もないからと付き合ったら、つまんない男だと一週間で振られた、といったら面白がられそうだったが、そこまでネタを提供する義理もなかろう。


 引退する時、彼女が周りの女に引っ立てられて俺に告白させられようとすることがあった。みんな見守ってて、ああ、めんどくせぇなと。その感情の翳りを敏感に察した彼女は結局何も言わないままうやむやになった。


 それで終わったらよかったのかもしれない。


 彼女はまだ子供らしい正義感に苛まれていて、どうしても気持ちに区切りをつけたかったらしい。卒業式の後、会えないかと打診され、良いよと返した。

いつ会える、どこに行く、というLINEが来て、俺はそれを無視した。

 飼い犬に捨てられた犬みたいにしきりに話しかけてくる彼女に、徐々に嫌気がさして。その状態を友人越しに聞いた彼女は俺を諦めたのだという。

 半ば俺が振ったような形で初恋は終わったのに、今更どうこうという気はない。彼女のまっすぐさから逃げ出したのは俺だ。彼女が重いのではなく寧ろ、俺が軽かっただけだと今では理解できているけど。

 自分と異なる存在に憧れて、自分のものになろうとした瞬間手放した。それは自分の弱さに向き合うことを恐れたから他ならない。その結果彼女を否定したのだから本当に救いようがない。


「感傷にひたっているわけ?」

 ぶっきらぼうな声がして慌てて焦点を合わせると、柿色の靄が彼女の像を結んだ。

「うるさ」

「今日やけに語彙が少ないな、昔はもっと嬉々として私の痛いとこついてきたのに」

 ああ、どちらかというと君は私に「付き合ってくれていた」だけかもしれないけど、と小首をかしげると、つややかな髪がこぼれおちた。

「俺のこと恨んでる?」

「まさか、恨まれてるのかと思ってるけど」

 彼女に「重い女」のレッテルをはったことを否応なしに意識する。

「恨まれてるから謝罪でもしに来たわけ?」

「まさか、今更でしょう」

 ほっとした。これだから、俺はずるい。けれども、やっぱりどこか拍子抜けだ。

「なんでも区切りをつけたがるほど子供じゃないんだよね、もう」


 優等生であろうとする人間は、必ずしも頭がいいわけじゃない。ただし頑張れてしまうのだ。そういう人種は、動機を他人に置いて、他人に認められるために頑張る。彼女は頑張れる人だった。そして頭も悪くなかった。自分のまっすぐさが俺を遠ざけたのだと悟っただろうし、その強度を弱めようとしただろう。猫かぶりが猫をアップデートさせただけ。かつての彼女にはない物腰の柔らかさはしかし、かつてのきらめきを損ねていた。


「なんて、言う資格はないけど」


 自分で手放しただけじゃない、自分で損ねたのだと気づかされると痛い。いっそ昔のようにしつこく恨んで怒って平手打ちをしてこのまま自分の前に顔を見せないでいてくれた方がよかったかもしれない。



 二十歳になりたての酒に対する耐性なんてさほどない。まもなく、卓に伏すもの、絡みだすもの、さまざま阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 意識がはっきりしているのはほぼおらず、隣の卓では彼女が女友達に絡まれていた。

「彼氏との体の相性が悪くてぇ……部長ちゃんどうすればいいかなぁ」

 なんて話してるんだ、と酒を鼻から噴きそうになった。が、猥談に嬉々として混ざれる胆力はしていないのでとにかく聞いてないふりを、

「明らかに相談の人選間違えているだろ、こいついきなり胸もまれても真顔で諭してきそうな、下ネタを全く解さない女だぞ」

 悪友が茶々を入れていて再度酒を噴きそうになる。……悪い友と書いて悪友、最悪の男だなこいつ。

「そのくらいの社交性はあるよ」

 皮肉げに唇を吊り上げる。

「胸揉まれて喘ぐことを社交性とのたまうな」

 耐え切れず突っ込みを入れると、素知らぬ顔で反撃してくる。

「あら、男女のあれこれなんて所詮、いかに相手を気持ちよくするかでしょう。相手の自尊心を満たすという点でも」

 悪友と女がひきつった笑みを浮かべていた。

「部長ちゃん、そういうキャラだっけぇ…」

「髪も染めずに眼鏡であいかわらずいい子だと思ってたのに…」

「んー、今のオフレコで……そういうことに疎い方が男受け良いらしいから」

 目を細め、諦めたように吐き捨てる彼女に、罪悪感だけではなく、今までにない甘やかな疼きを感じたような気がするのは断じて―――断じて気のせいだ。


 演技しているうちにそういう気持ちになってくるよ、という史上最悪のアドバイスを施し、しれっと酒を追加する彼女を見て、なんだかしてやられたような気になった。さっきまでの落ち込みは無性な苛立ちに転換されてしまったらしい。

 俺の苛立ちを感知したわけではあるまいが、女は彼氏に電話を掛けに行き、悪友は寝始めた。


「おまえ、髪染めてないのは嘘だろ、若干、なんというか、紺っぽい」

「よくわかったね」

 目をぱちくりさせているのを見て少し胸がすいた。

「髪色を明るくする子が多いから、地毛が明るい私は色を暗くしてみたのだけれども、なかなか人に気づかれないんだよね」

 さてはおぬし、私のことずっと見てたな?と悪戯っぽく笑う。

「うるせえ、昔のおまえなら言えねぇだろそれ」

「未だに昔の私にとらわれちゃってるんですか?」

「うるさいって何度言えばわかるわけ」


 眼鏡を奪い、抱きすくめ、唇を奪う。中学の頃より小さい背中、違う俺が大きくなったのか。抱き寄せた冷たい肩に反して、鼻孔をくすぐる甘い体臭に、熱がぶわりと広がった。

「なんっで……」

 眼鏡をはずしたら美少女なんてそんなの夢物語だから、とかたくなに見せてくれなかった五年ごしの素顔。酒のせいで上気した頬。潤む瞳。負けじと艶やかな光を放つ唇をわななかせ、呆け面で問うてくる。

「かわいい顔してるけど、それが、昔の思い人にキスされたときの社交的な振る舞いなんだな」

 うまいねーと口先で言ってもう一度だきしめる。

「ふざけんな、もう好きじゃないし、彼氏いるし、」

「培った社交性で釣れた男がそんなに大事?」

「おまえだって私のこと好きじゃないだろ…!」

 背中に爪が立てられる。シンプルな装いの中で唯一華美な、金色のネイルが施された細い指が、慟哭の代わりに突き刺さる。

「直情径行な私が重いからって私を遠ざけたくせに、自分の欲望を抑えるようになったら馬鹿にしてくるし、昔の私も今の私も好きじゃないだろ、、」

 それとも

「嫌いだから、ちゅーするの…?」


「どうだかね」



 みんなの意識が戻り始めたので、煙に巻いて帰ろうとしたが、持ち前のしつこさは損なわれていなかったらしく、コンビニに連行された。

「ちゅー奪った代」

 ハーゲンダッツをずい、と突き出される。

「おまえの唇、249円で買えるんだ」

「許してねぇよ」

 しばらく会わない間にチャラくなってんじゃねぇよ、と吐き捨てられた。

「さっきからキスのことちゅーって言ってて幼いね」

「うるさい」

「物事になんでも”お”をつけるしな」

「習字はお習字だし魚はお魚だろ!」

 何か吹っ切れたように猫をかなぐり捨てて途端に幼くなっている。

「やっぱこの方がいいな」

「なにが?」

 答えずに会計に進む。俺は雪見大福でいいや…


 公園でアイスを黙々と食べていると、羞恥心が周回遅れでやってきた。黙っていると、あちらはフリーズから溶けてきたらしい。

「君は結局私のことをどう思ってるんだよ」

 好きって言ってほしいのか、否定してほしいのか、よくわからなかったから素直に答えた。

「俺に対して猫被ろうだなんて生意気なんだよ、とイライラしました」

 別にこいつは変わっちゃいなくて、昔も今も相変わらず猫かぶりなだけだった。けど、俺に猫をさし向けるのは許せない。

「別にそんな義理ないですけど」

 道理に合わない、不条理だ、といやそうに口をひん曲げられた。

「じゃあ、義理立てて」


 好きです、付き合おうとか、これだけ経っても俺は言えないから、猫引っぺがしてこいつに言わせてやる。

 嫌な自分をつきつけられるより、彼女に猫被られる方が痛いと気づいてしまったから。


 再度引き寄せると、顔を真っ赤にして拒否するように腕を突き出してきた。

「ばっ、だから、その、私彼氏いるから!」

「だからなに」

 舌打ちが漏れそうになった。彼氏ねぇ、面と人当たりに絆されて甘い蜜だけ吸おうとした不届きものが…いや知らんけど。

「別れるから、別れてから、いろいろ整理させてください…」

「ガキ?」

 相変わらず目の前のことでいっぱいいっぱいになる不器用な人間だと、舌打ちの代わりに笑みが漏れた。

「別れるってことは俺のこと好きってこと?」

「は、好きとかは言ってねぇし」


 次会う約束は、昔の詫びに俺から入れよう。猫かぶりがまた懐いてくれるまで、そんなにはかからない気がした。

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