第15話「知らない」
「これはこれは、アリエル様。今夜も、とてもお美しい。こちらのドレスも、とてもお似合いですね」
「まあ、お上手ね。貴方のような素敵な方に、お褒め頂いてとっても嬉しいわ。サミュエル様」
サミュエル様からのわかりやすいお世辞は社交辞令だと理解してはいても、彼のような容姿の整った男性に褒められればにっこりして嬉しくなってしまうものだ。
面食いだと言われてしまっても、これはもう女性の本能的なもので仕方ないと思う。
それに私は今夜のために特別に作らせた、黒の天鵞絨の生地で、いつもより大人っぽい体に添うようなデザインのドレスを着ていた。
光を反射して煌めくような艶やかな黒は、デュークの黒い毛並みを思い起こさせた。この美しい生地を見た瞬間に、私は絶対にこれでドレスを作りたいと思った。
———-これを着て、彼と踊りたいって。
「アリエル様が話掛けてくださるなんて、珍しいですね?」
サミュエル様はいきなり彼の前にやって来た私が不思議だったのか首を傾げた。
夜会と言えば、若い貴族たちの出会いの場でもあった。
けれど、あまりにも私がサミュエル様に対し興味を示さなかったので、自分は全くの圏外の存在なのだろうと思っているようだ。
それは確かに、彼の思う通りで間違いない。
気のない素振りというか完全に気がなかったので、サミュエル様本人がそう思ってしまっても無理はない。
「ええ。もし良かったら、一曲私と踊ってくれないかしら?」
ユンカナン王国ではこうしたダンスを誘う言葉は、通常ならば男性から誘うものだ。
男性に誘って欲しいと思う女性側は『私をダンスに誘って欲しいんだけど』と、直接言葉にせずに、相手に察して貰わなければならない。
けれど、身分が高い女性から男性を誘うことは例外的に許されている。そして、現在ユンカナン王国で、私よりも身分の高い未婚女性は居ない。
つまり、私が男性を踊りに誘えば、誰しも断らずに踊らなければならない。
この会場に居る他の女性が聞けば、きっと羨ましいと思われるようなことなのかもしれない。
けれど、絶対的な権力を以て踊ってくれる誰かの真意なんて、そのせいで曇って見えなくなってしまうものだ。
普通の令嬢であればもし踊ってくれたら恋のチャンス到来だろうけど、私は絶対に全員踊ってくれるので、相手の気持ちがわからない。
「……珍しいですね。姫。もしかして、誰かに何か言われましたか?」
すぐにこの出来事の裏に何かがあると察し微笑んだサミュエル様は、噂に違わず温厚で理知的な紳士のようだ。
これはご令嬢たちも、夢中になってしまうはずだわ。
こうした社交の場を嫌がっているプリスコットの家雪豹三兄弟を除けば、彼が一番人気になってしまうのも頷ける話だった。
「ええ。お義母様が、貴方をお気に入りのようなの。一度踊って貴方の人となりを知りなさいって。あ……でもこの話は、どうか内緒にしてね」
私は人差し指を唇に当てて悪戯っぽくそう言えば、サミュエル様は苦笑した。
「今の社交界の中で身分と年齢で言えば、王妃様が僕を姫のお相手にちょうど良いだろうと思われても、仕方ないでしょうね……ええ。単なる条件だけであれば」
「サミュエル様は王族の姫なんて面倒な花嫁を貰わなくても、美しい令嬢は周囲にたくさん居るものね」
肩を竦めて周囲を見渡せば、サミュエル様に群がっていた令嬢たちが身分の高い私に遠慮して位置を下げたものの、早く話が終わらないかとこちらを窺っているようだった。
「姫は決して、面倒な相手ではありませんよ……それでは、お手をどうぞ」
サミュエルが手をゆっくりと差し出したので、私はその手を取った。ダンスの前の作法で彼は私の手の甲に軽く口付けた。
「悪いわね。一曲踊れば、私はすぐに行くわ。邪魔は出来ないもの」
楽団から曲の開始音が響いて、近づき二人踊り出した。
流石に人気のある彼は夜会で踊り慣れているのか、とても足運びもスムーズで文句の付けようがない。
「それは……お好きなようになさってください。そういえば、今夜、ダムギュア王国の王太子が、こちらに来ているとか。姫はもう彼にお会いになりましたか?」
「いいえ? そう……あの国も、代替わりされたと言うものね。一転してこちらと友好的になったとか」
この国と国境を隣にするダムギュアは、古くからあるとても歴史が長い国で、彼らに比べれば新興国である我が国ユンカナン王国とは、あまり仲良くしたくはなかったようだ。
だから、ユンカナンを相手取り何度か戦争をしている。デュークが活躍したという戦いも実はこのダムギュア王国との戦いによるものだ。
あれからすぐに代替わりして、今ではこれまでがなんだったのかと思ってしまうほどに低姿勢で友好的になったとは聞いていた。
「姫がダムギュアの王太子の来訪についてご存知ないとは、思っていませんでした。僕はてっきり未婚の王太子が、姫に求婚しに来たのだと思っていたので」
サミュエルは、どこか言い難そうだ。きっと彼も両親から、私からの関心を勝ち取れと言われているはず。
確かに現実的な話をするならば、色んな意味で彼が私の降嫁先としては最適なのかもしれない。
当人たちの気持ちが全く関係ないと、仮定するならば。
「……きっと、それだわ……実は私への縁談は本人のところに来るまでに、何人かに精査されるのよ。それで、私には何も知らされなかったのね。きっと、サミュエル様が言ってくれなかったら、知らないままだったわ。ありがとう」
踊りながら周囲を見渡してみたけど、ユンカナンの王城にある大広間はその名の通りとても広い。
前もって言われていなければ、きっと私はダムギュアの王太子を見つけることは叶うまい。
「姫。待ち人が、来たようですよ」
ダンスを踊り終わって、サミュエル様が意味ありげに目配せをした。
彼の示す方向を見た途端に、私はわかりやすく喜んでしまったと思う。そうした態度の落差を彼に見せてしまうことはいけないことだとわかりつつも。
どうしても隠せなかった。
「ありがとう。サミュエル様」
私は穏やかな笑みを浮かべるサミュエル様にカーテシーをして、身を翻した。
どんなに駆け足になってしまうことは、作法上この会場の中では許されない。けれど、心が駆け出して早る気持ちが抑えられない。
目の前には我が国の騎士団長が、勢揃いしていた。
もちろん……その中には、私が待ちに待っていた獣騎士団長デュークの姿もあったのだ。
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