第3話「守ってあげたい」

 仏頂面しつつもちゃんと受け答えしてくれるデューク相手にひとしきり楽しく喋って満足してから、そろそろ帰る頃合いを見計らった私は、退出の挨拶をしてから彼の執務室を出た。


 私付きの侍女であるエボニーとアイボリーの二人も、歩く私の後に続く。


 私のような王族の姫が一人になれる時間など、産まれてからこれまでに、自らに与えられた宮以外ではほとんどないと言って良い。


 敵対している国からの暗殺や誘拐の危険。そして、自分では身を守る術を持たぬ姫であれば、より周囲は気を使ってしまうもの。


 侍女や召使い、護衛の騎士。一人になれるはずの入浴時だって、何かしらの理由を付けて、常に誰かが傍近くに居る。


——-本当に、嫌になってしまうくらいに。


 足音高く歩き廊下を曲がり、城へ帰る渡り廊下に出た私は、苦虫を噛み潰したような表情をした初老の男性に出くわした。


 騎士団長のデュークの執務室のある棟は、軍務大臣である彼が管轄しているから、この場に居たとしても何らおかしくはない。


 もしかしたら今朝は、朝の王族への謁見が早く終わったのかもしれない。


 確か……今日はお父様である陛下が珍しく城を出て視察に向かわれるという予定があったはずだ。


 だから、いつもより早めに重臣を集めた謁見を切り上げたという可能性は高そうだわ。


 お互いに立場ある私たちは、ここで相手を無視してしまう訳にはいかない……どんなに相手が、気に入らなかったとしてもね。


 挨拶と少々の嫌味の応酬なんてし慣れていて、なんとも思わないわよ。


「あら! ヘンドリック大臣。おはようございます。爽やかな、良い朝ですね」


 にっこりと微笑んだ私に、髪がそろそろ寂しくなりそうなヘンドリック大臣は殊更に恭しく礼をした。


「これはこれは。このような場所で高貴な姫君とお会いするとは、思いもよらず。おはようございます。アリエル様……また、お気に入りのところへと、遊びに行かれていたのですか?」


 顰めっ面の彼の口から発せられた言葉は、若き騎士団長デュークへとあからさまに懸想していることを隠さない私への、とてもわかりやすい嫌味ではある。


 確かにヘンドリック大臣の言葉の通りだったので、手に持っていた扇を開いた私は大きく頷いて肯定すると口元を隠して微笑んだ。


「ええ。こうして毎日でも自分が赴いて会いたいほどに、私はナッシュ団長が気に入っているもので……これは本当に単なる偶然ですがヘンドリック大臣にも、こうしてお会いすることが出来たので。私も、とっても光栄に思いますわ」


 要するに『貴方にはデュークに会いにここに来たついでに会っただけなので、別に会いたかった訳でもない』と、私は言った。


 笑顔の私の嫌味を聞いてヘンドリック大臣は、より不機嫌そうに顔を歪めた。


「……姫も、そろそろご自身の身分と立場を、弁えてください。奴は、庶民出身です。態度も大きくて言葉遣いも酷い。目上の者に対する礼儀も何もなっていない。この国でも最上位に高貴な姫様には、まったく相応しくありません」


「あら! どういうことかしら? 私はナッシュ団長のことなら、きっと上司の貴方よりも詳しく良く知っていてよ。もしかして、私がそれを知らないままに、彼をただ気に入っているとでも、思っていたのかしら?」


 あくまで悪気のない無邪気な様子でそう聞けば、ヘンドリック大臣は大きくため息をついた。


「いいえ。これは、決して自分の身内を薦める訳ではありませんが……出来れば我が息子のような、間違いのなく姫に合う伴侶を最終的にはお選びいただけますように。一臣下として、切に願っております」


「ヘンドリック公爵令息のサミュエル様は、この国の社交界でも人気でとても有名ですもの。もちろん、私も知っているわ。本当に素敵な息子さんですね。ヘンドリック大臣の奥様も、とても美しい方ですものね」


 デュークと馴れ合うのはよせと言ったので『自慢の息子さんは、母似で良かったですね』と、やり返した私に彼はギリっと奥歯を噛み締めた。


 ヘンドリック軍務大臣の息子は、うら若い令嬢たちから高い人気を誇る貴公子で、身分も釣り合い年齢の近い私の降嫁先候補の筆頭と噂されていた。


 彼は私に将来的に結ばれる望みの低いデュークになどにうつつを抜かさずに、さっさと自分の息子に心を決めて早く結婚しろと言いたいのだ。


ーーーーーーーー本当に。私本人にしてみれば、とてもとっても余計なお世話だけど。


「……それでは、私はこれで失礼します。急ぎの仕事がありますので」


「ええ。ご多忙なのに執務室に向かわれているところ、邪魔して悪かったわ。どうぞ、今日もお仕事頑張ってくださいね」


 ヘンドリック大臣は黙ったままで王家への忠誠を誓う礼を取り、深いお辞儀をしてから去って行った。


 背を向けて歩くヘンドリック大臣も良く理解はしていることだけど、私の後ろに居る双子の侍女は、すぐに彼女たちの兄へとこの出来事を報告するはずだ。


 エボニーとアイボリーの兄であるギュンター・ヴォルデマールは、王太子ラインハルトお兄様に重用されている有能で若き宰相候補だ。


 ギュンターへ伝われば、私のお兄様ラインハルトには、すぐに伝わる。真っ直ぐな筒に入れた玉が転がり、すぐに逆側の出口にたどり着くように。


 だから、王族の私の行動へ対し、要らぬ口を出した軍務大臣にはラインハルトお兄様から何らかの注意があるだろう。


 これから起こることは、単純なそういった流れ。


 とっても素敵な黒獅子の獣人の騎士団長様は、王家でも甘やかされている末姫のお気に入り。


 だから、人を育ちや性格などで安易に判断し、優秀な部下を平等に扱うことの出来ない器の小さな上司は、デュークには決して手を出さないで欲しいの。


 庶民出身の騎士団長様が冷遇されていたという事実なんて何も知らずに、ただ彼を慕ううら若き姫を演じた方が良いと判断したのならば、デュークを正当に評価して欲しい私はそうする。


 ここで表立って『デューク様は先の戦争で、目覚ましい活躍をされたではないですか。何故そんな彼が冷遇される謂れがあるのですか』などと、正々堂々と正論を論じたところで、そもそもの道理に反したことを敢えてやっている相手になど、何の意味もないもの。


 黙ったまま廊下を歩き出した私の後に、エボニーとアイボリーの二人も同じように続いた。


 カツカツと石床から硬質な音を響かせる高い踵を持つ靴は、私は個人的に言えばあまり好きではない。


 それもこれも、大昔から王族にはこの服装だと決められている慣習だから、国民の規範となるべき私が嫌だからと崩してしまう訳にもいかない。


 世の中は、本当にままならないものだわ。


「……挨拶すらまともに出来ない身の程知らずで怠惰な獅子は、聡明な姫様のお考えにいつ気が付かれるのでしょうか」


「ええ。本当に。か弱い女性に、その身を持って何も知らず守られているなど。最強の獅子との名誉ある騎士団長の肩書が、泣きますわね」


 エボニーとアイボニーはクスクスと忍び笑いをしたので、主人の私は彼女たちを振り返らずにそれを窘めた。


「口を閉じなさい……エボニー、アイボリー。それが私の振る舞いに対する小言だと言うのなら、余計なお世話だわ。あのお方は、私にそうしろとは頼んでいない。何もかも、彼をお慕いしている私が勝手にしていることなの。もし、彼に私がしていることで、何か文句があるようなら……私の目を見て、直接言いなさい。ユンカナンの王族である、アリエル・ノイエンキルヘンに向けてね」


「……差し出がましい口を、出してしまいました。姫様。申し訳ございません」


「本当に申し訳ございません」


 最強の獅子獣人として知られるデュークは、王より獣騎士団の団長へと若くして抜擢された。


 けど、彼は庶民出身で貴族出身者が多い騎士団長として礼儀も何もなっていなくて、怠惰な性格的にも真面目な騎士団長であるとは言い難い。


 先の戦争で王より素晴らしい功績を認められ団長へと任命されてからずっと、彼の上司で軍務大臣に当たるヘンドリック大臣にはデュークが気に入らず好かれずに、意味のわからない嫌がらせを受け煙たがられていたようだった。


 ヘンドリック大臣がデュークに対し、様々な冷遇をしていたことを偶然知った私は、デュークにはこの国の王族の絶対的な庇護があると思わせたかった。


 好きな人を守るためだと言うのなら、私自身はいくらでも周囲に道化に見られようとも構わない。


 デュークの功績を並べて正当な抗議をしたとしても、頭が良い扱いづらい女だと思われ、王位を継承するわけではない私の今の立ち位置ではあまり良いことはない。


 それに、騎士団長が王族の姫のお気に入りなのかと、今と同じようなことを言われてしまうだろう。


 だから、どっちにしても、私には同じことが起こるのだ。


 家族総出で甘やかされているお姫様が、結婚前に素敵な騎士団長様へと少々懸想をしていたって。


 その後に私と結婚するはずの誰かだって、特に気にするような話でもない。

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