第9話

 さあこの部屋がご息女の私室ですと告げられずとも、本能で察知できた。

 部屋の仕切りからだだもれるのは濃密な殺気。

 近づくものを容赦なく死に招こうという明確な殺意が、耳鳴りとなって襲い掛かる。


「大丈夫」


 ふとテンランは左手に人肌を感じた。

 見れば隣を歩くプレセアが、彼の手をぎゅっと握りしめている。


「テンランにはわたしが指一本触れさせないから、ね?」


 ただそれだけで、すっと胸の不安が引いていく。

 強張った筋肉がほどよく弛緩して、狭まっていた視界がぐんと広がる。


「ああ、頼りにしてるよ」

「えへへ」


 にへらと笑う少女の手を握り返す。


 いよいよ扉が近づいて、イオナが足を止めた。


「扉の前に立てば龍が襲い掛かる。準備はいいか」

「全然よくはないけど」


 引き返して整えられることが残っているわけでも無ければ、またその時間もない。

 だから、意を決した。


「覚悟は、出来てるよ」


 扉の前に立つ。

 ぞっとする寒気が背筋を駆け巡る。

 プレセアが強張った声を発した。


「来るよ……!」


 銃声を轟かせるように勢いよく扉が開け放たれた。

 部屋の奥から大鷲のカギ爪に似たあしゆびが、脇目もふらずテンランへと襲い掛かる。


 ぐいと体が重力に逆らった。

 龍の爪に引き裂かれたからではない。

 プレセアがテンランを抱きかかえ、そのまま空へと跳び出したからだ。


 眼下、部屋のどこに収まっているんだと問いたくなるほどの巨腕が、石埃を巻き上げて枯山水を蹴散らした。


 爆音と爆風が、二人の体を突き抜ける。


(いや! いやいやいや! 無理でしょ! あれは倒せないって! 俺のこと過大評価しすぎだろ!)


 内心で涙目になりながら、プレセアとともに着地する。地に足がついた安心感より先に、次の攻撃を警戒した。

 だが。


(襲ってこない?)


 龍の姿をした物の怪は深追いしてこなかった。

 粛々と、小さな一室の守り手に徹している。


「プレセア、倒せるか?」

「んー、とね。厳しいんじゃないかなぁ」


 口元に苦笑いを浮かべながら、眉をハの字に曲げる。

 テンランは「だよな」と諦めかけた。

 だが、ふと思い至った。


「待った。プレセアって、いくつもの呪術を受けて、血を吐くほど弱ってたんだよな?」

「うん。そうだよ?」

「今は平気なのか?」

「術者が寿命を迎えたんじゃないかな? 呪いを招く装置自体が壊されたのかも。強力な呪術は大掛かりの仕掛けが必要だし、いなくなったわたしをいつまでも呪う理由も無いとはずだもん」


 彼の思い付きは、プレセアなら呪いの祓い方を知っているのではないかだった。

 しかし当の本人から自力で解いたわけじゃないと聞いて、わずかに落胆する。


 だが、それ以上に、光明が見えた気がした。


「やれるかもしれない」


 テンランの呟きに反応したのはイオナだ。

 彼の肩を掴み、

「本当か⁉」

 と喜色をあらわにするので、ぬか喜びさせてはいけないと感じ、

「やってみないことにはなんとも」

 と、曖昧に答えた。


 それからプレセアとの【サブスクリプション】契約で、目当ての技能が使える状態か確認した。


 行使するのは【追跡】のスキル。

 その名の通り、痕跡をたどる能力だ。


 発動しようと意識すると、すぐさま視界に変化が訪れた。

 世界が色を失った。

 目に映るすべての景色がグレースケールに塗り替えられていく。


 代わりに、これまで見えなかったものが青く淡く色づいた。

 夏夜のホタルのように幻想的な微光が、糸状に連なって列をなしている。


 この花色の燐光こそが足跡だった。


 枯山水の景石を見れば、その石がどこから、いつ、誰に運ばれたのか、さまざまな知見が感知できる。


「プレセア、倒せなくていい。少しの間、龍の攻撃を捌けるか?」

「おちゃのこさいさいだよ!」

「死語……」

「え⁉」


 数百年の時を超えた合法ロリが時代の流れを痛感するのと、扉の奥から龍の爪が伸びるのは同時だった。


 避ける時間はなかった。

 だから次善策として、直撃を免れようと、衝撃に合わせて後ろに跳躍してダメージを軽減する。


 ふわりと宙を舞うプレセア。

 テンランが見上げれば、彼女の影がちょうど彼に落ちている。

 それはすなわち、少女を下から仰ぎ見る構図。


(見えた――! モノクロだけど!)


 何が見えたかは言わない。

 ふざけている場合じゃないと自重し、目の前の脅威に向き直る。

 扉から覗かせる闇色に輝く龍鱗を注視すると、紺青の光彩が屋敷の奥へと続いている。


「こっちだ!」

「待ってテンラン! おちゃのこさいさいって死語なの⁉」

「んな話は後でいいだろうが!」

「むーっ!」


 テンランが【追跡】のスキルで光の後を追いかけて、プレセアとイオナが続いた。


「そっか! 龍自体を倒せなくても、術者を倒せば呪いは解けるもんね!」

「ああ、それに龍は部屋から出てこないみたいだし、存外楽に――」


 解決できるかもしれない。

 とは、後に続かなかった。


 背後で、屋敷が木っ端みじんに破砕する衝撃音が鳴り響いたからだ。


 足を止めず、首から上だけ背後を振り返る。


 そこに、邪龍が現れていた。


「いいっ⁉」

「わあ、テンランの予想が正しかったみたい」

「予想だにしない展開なんだが⁉」

「えっとね、そっちじゃなくて、術者がいるって方。見破られたから、慌てて排除しようとしてるんじゃないかな?」

「冷静に分析してる場合か!」


 龍の爪が、暴風をまとって迫りくる。

 広い空間に出て制限を取り払われ、その威力は先ほどよりいっそう強くなっている。


(死んで、たまるかッ)


 スキル【身体強化】を発動する。

 スキル【豪脚】を発動する。

 スキル【瞬歩】を発動する。

 スキル【躍進】を発動する。


 ありとあらゆるスキルを使い、前へと推進力を爆発させた。イオナを抱きかかえて。


 だが、龍の爪は離れるより速い。


 猛然と迫りくる死の気配が思考だけを加速させる。

 もどかしいほどゆっくりと、しかし確実に、鋭いカギ爪がにじり寄る。


「たぁっ」


 間の抜けた気合とともに、影が跳び出した。

 プレセアだ。

 暴風吹き荒れる龍の腕の真下に潜り込み、螺旋のエネルギーを利用するように上体のバネを弾き、闇色の龍鱗に拳を叩きつける。


「は?」


 びちゃびちゃと、黒い液体が飛散した。

 間違いなく龍の体液だった。


「言ったよね? テンランには指一本触れさせないって」


 ざっざと、つま先を枯山水にたたきつけ、プレセアが臨戦態勢を取る。


「えへへ、得意なんだ。剣林弾雨を背負って立つのは」


 彼女の目は、早くこの龍からあの子を助けてあげてと訴えていた。

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