漆「真相」
「――シィッ!!」
ヱ―テル弾が、明後日の方向へ飛んでいく。
返す刀で回し蹴りを浴びせ掛ける
敵
今度は
ガキンッ
そしてまた、引き金の音――
フリントロック式のマスケット銃は、引き金が引かれてから実際に弾丸が射出されるまでに約一秒の
一秒。
一秒である。
その一秒で
果たして、
――タァーンッ!!
ヱ―テル弾が発射されるその前に、
ヱ―テル弾が明後日の方向へ飛んで行く。
再び、膨大なヱ―テル光が空に舞い上がる。
互角だ。
だが、互角では意味がない。
何とかこの相手に決定的な一撃を浴びせ掛け、あわよくば無力化させ、それが無理でもこの場から離脱しなければ。
そうしてケルベロスと合流し、
「まるで豆鉄砲じゃな!」
相手の集中を乱せないものか、と考え、
「昨晩、
ガキンッ
タァーンッ!!
「ヤツは――
果たして、田中大尉の姿を取る敵
「
ガキンッ
タァーンッ!!
「良く喋る姫君だな。貴様こそ、
ガキンッ
タァーンッ!!
「無様だな。自分の
敵
鋭く振るわれた腕の重さが、
「どうした、後がないぞ?」
気が付けば、
一メートル後方には
追い込んでいるつもりが、追い込まれていたのは己の方であるらしい。
――
「何を――」
戸惑う敵を無視して、壁に向かって駆ける。
一歩、
二歩、
三歩と壁を駆け上がり、
「はッ」
跳んだ――
敵の背後で着地した
果たして、敵
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 / 南京町❖
「うっ――!!」
急に、
「え? ――皆無くん!?」
攫われてきた犬たちの面倒を見ていた千代子は、大慌てで皆無の元に駆け寄り、その小さな体を抱き起す。
「はぁッ、はッ、はッ……」
皆無は額にびっしりと汗をかいている。
尋常ではない。
「り……
「えッ!?」
「僕の心臓を満足に動かせへんほどに動揺しとる。
「心臓? いえ、それなら助けに行かなくちゃッ!!」
「どうやって」
「え、そりゃあ……」
言いよどむ千代子。
「
そうなのだ。
自分も皆無も、
異界とはつまり、あの世のことである。
人は死なねばあの世には行けない。
人間にせよ動植物にせよ、この世に生きるモノは全て、
二つの体はぴったりと重なり合っている。
手足を失った者が『幻痛』を感じるのは、
逆に、
「でも、さっきは行けたじゃないですか!」
「あれは、ケルベロス閣下の魔術で列車の中が半分異界化してたからや。確かに閣下なら、
「だったら!」
「でも、肝心の閣下が今、
「そ、そんな……」
「あぐッ」
胸を掻きむしりながら、悶え苦しむ皆無。
「――――……ッ!」
そのまま、皆無は動かなくなった。
「皆無くん!?」
息は、ある。
が、意識はない。
「
ない。
何もない。
無力な人間に過ぎない己には。
涙が出てきた。
無力だ。
大切な許嫁が、愛する男性が苦しんでいても、自分は泣くことしかできない――。
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 /
「ぎゃぁあああッ!!」
悲鳴を上げたのは、
足首が、焼けるように熱い。
「まったく、とんだお転婆姫様だ」
仰向けになった敵
硬そうなウロコ、ギョロリとした丸い目、平坦かつ大きな口、居並ぶ鋭いキバ――
(――ワニ!?)
ワニの顔に変じた右腕が、
「我が主・
いつの間にか、ワニだったはずの敵
敵
「素晴らしい――やはりワニは、攻守両方に優れたケモノだな。以前、『爬虫類はケモノではない』などとつまらぬことを言う
痛みと熱を発している足首とは裏腹に、璃々栖は首筋にひやりとしたモノを感じる。
同時に、鼻を覆いたくなるほどの強烈な獣臭。
気が付けば、庭の至る所に様々な獣が佇んでいた。
半透明の動物霊たちが、じっと
イヌ、
ネコ、
イノシシ、
シカ、
タヌキ、
キツネ、
ネズミ、
ウマ、
オオカミ、
ウシ、
クマ、
カエル、
サル、
ヒツジ、
ヘビ、
リス――
ヒソヒソ
ヒソヒソ
ヒソヒソ
ヒソヒソ
と何事か囁いている。
(
先ほどからずっと感じていた視線の主は、こいつらだったのだ。
こいつらがこちらの動向を監視し、
(さて、どうする――)
痛む右足首を意識の外に追いやり、
己の最大の武器・
右脚はつぶされた。
皆無がいれば上級魔術【
他に自分が使える魔術といえば、いずれも攻撃手段にならない補助系の術式ばかり。
つまり、絶体絶命。
(つまり――いつも通りじゃな)
一週間前、自分は、
父を失い、
母を失い、
兄弟を失い、
家臣を失い、
国を失い、
そして腕を失った。
命からがら敵の手から抜け出し、侍従の
周り全てが
そんな地獄のような環境の中で、
毎日々々、死にそうな目に遭ってきた。
だから今、この危機も、『いつも通り』のことに過ぎない。
(何ができる? 腕がなく、片足もつぶされた、今の
したところで何の解決にもならないからだ。
悪魔には祈るべき神などいないからだ。
だから
「違和感は、あったのじゃ」
だから
「……ん?」
「そなた、最初からチョコ子少尉のことが目的だったのじゃろう?」
今の自分にできる、唯一の仕事。
「何の話だ」
――時間稼ぎである。
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 / 南京町❖
「【
ゴロツキたちの居住区らしき畳敷きの部屋に皆無を横たわらせて、千代子は必死に魔術治療を施す。
部屋には、二人の他に誰もいない。
「う……ぁ……」
果たして、皆無が目を開いた。
「皆無くん! 皆無少佐殿――気が付きましたか!?」
「少尉……状況は?」
「変わっていません。少佐殿が気を失っておられたのも、十分程度のことです」
「行かな……
皆無が起き上がり、左手を
これは、皆無が心底弱ったときに見せる癖なのだと、
「まだ横になっていてください! それに、行くってどうやって!?」
「方法なら、ある」
皆無が、虚空から南部式自動拳銃を取り出す。
「死ねば、いい」
「な――ッ!?」
千代子は
が、皆無の握力があまりにも強く、奪い取れない。
千代子は南部式の遊底を抑えつつ、皆無の手を包み込む。
皆無の手が、震えている。
その手は、哀れなほどに震えている。
「何てことを言うんですかッ!!」
人は死なねばあの世には行けない。
そう、つまり――。
死ねば、
「離せ、チョコ子少尉……どの道、僕はもうアイツの眷属や。いずれは肉体を捨て、ヱ―テル体にならなあかん身。でないと、アイツと一緒に魔界へ行くことはできへんのやから」
「な、何を言って――」
「僕の命はもう、アイツのモノ。
皆無が千代子の腕を振り払い、南部式の銃口を自身のこめかみに当てる。
「待って、お願い、待って! 早まらないで!!」
千代子は皆無の細い腕にすがりつく。
「どうしてそんな、そこまで――。あの
「
「命? 生きる意味? 少佐殿、一体何を――」
皆無の手は依然、震えている。
怖いのだ。
怖くてたまらないのだ。
だが、その瞳には覚悟の色がある。
確かにあの姫君は、美しい。
容姿のことだけではない。
その生き様が、美しいのだ。
国を失い、両腕を失い、
圧倒的意志力。
あの、無限の胆力を秘めた赤い瞳に、若干十三歳の皆無が心酔するのは、分からなくもない。
……だが、それだけだろうか?
何しろ皆無は、あの姫君と出会ってからまだ数日しか経っていないのだ。
そんな相手のために、命を捨てようなどと思えるか?
自分だったらどうであろう?
……他に、理由があるのではないか?
弱みを握られているとか、あるいは――そう。
(相手の心を奪う魔術――精神汚染魔術の【
誘惑こそ、
確かに
が、その内外の美しさを使って皆無を
こんな、こんなにも幼い子供に自死の道を選ばせようとするなど、まるで悪魔ではないか。
(悪魔――そうよ。あの女は、甲種
千代子は、愛する皆無にこんなにもつらく悲しい感情を抱かせる
と同時に、何とかして皆無を
「少佐殿――いえ、皆無くん」
千代子は南部式の遊底を抑え込みながら、努めてゆっくりと、優しい声色で言う。
「貴方はまだ若い――いえ、あまりにも幼い。生きる意味なら、これから先、たくさん、たくさん見つけられるはずです」
ふと、皆無の手の力が緩んだ。
千代子は素早く拳銃を奪い取り、皆無の頭を胸に抱く。
トクントクントクン
トクントクントクン
内心の焦りが皆無に伝わらないようにと、必死に心音を落ち着かせる。
「確かに
この流れの中で言うのはいささか卑怯かと思ったし、女の方から想いを伝えるなど何とはしたない、とも思ったが、皆無に自死を止めさせるためなのだ、と自身に言い聞かせ、そのまま言葉を続ける。
「わ、わ、わ、私とか、どうですか!?」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はぁ?」
皆無に真顔で首を傾げられ、千代子は死にたくなった。
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 /
「違和感はあったのじゃ。そなた、最初からチョコ子少尉のことが目的だったのじゃろう?」
今の自分にできる、唯一の仕事。
「何の話だ」
「行方不明の
上下逆さまに吊り下げられながらも、
「本物の田中大尉と、二人のヒヨっ子を
「――――……。今さらそれを知ったところで、どうなるというんだ?」
「どうもせぬ。ただ、疑問を残したまま死にたくないだけじゃ。この国には『
「ははっ。ようやく諦めたというわけか。冥途の土産、か。いいだろう……如何にも、私と
「が、チョコ子――あの娘が思わぬ抵抗を見せた」
「そうだ。
「――――ッ!!」
穴だらけの足首が地獄のような痛みを生産するが、
「だがそなたはまんまと結界から抜け出し、再びチョコ子を篭絡しようと近づいた」
「貴様、あのときすでに気付いていたな?」
「確証はなかったし、そなたが
「それも、アノクタラカイナによって早々に祓われてしまったがな」
「だが、そなたはチョコ子をはるかに上回る、有能かつ御しやすい生贄を見つけてしまった――そう、ケルベロスの使い魔じゃ」
「はははっ! あの
「あぁちなみに、本物の田中
時間稼ぎも、もう限界のようであった。
だから
「そうじゃな、お陰ですっきりした。じゃが……あぁ、困ったのぅ!」
「冥途からの使者が、来てしもぅた!!」
そのときであった。
「ワオーーーー~~ンッ!!」
途端、風がざわめき、空が渦巻く。
異界と現世を繋ぐ門が、開き始める。
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 / 南京町❖
「私では、駄目でしょうか」
千代子は諦めない。
震える声を振り絞り、皆無という名の城を攻め落とさんと、愛の言葉を投げ掛け続ける。
「いや、あのな。お前、こんなときに一体何を」
「私、炊事洗濯お掃除は全部できるんです! お料理の腕なんて、超一流なんですよ!?」
「ウソつけ。今日の昼、林檎剥かせたら芯しか残らんかったやろ」
「うぐっ……腕っぷしも強いです! どんなに強くて悪いヤツが襲ってきても、少佐殿のことを守って差し上げられます!」
「いや、それは男の仕事やろ」
「あああああとあと、こう見えて私、脱ぐと凄いんですよ!?」
「す、凄い……? ごくり」
と、これには思春期男児の皆無が喰いついた。
ここが勝機とばかりに、千代子は
「少佐殿、私の胸、揉みましたよね!?」
「あ、アレは! 事故やろ!?」
「一緒になってくださったら触り放題、揉み放題ですよ! どうですか!?」
「う、うーん……」
「私、絶対に少佐殿のことを幸せにします!」
緊張のあまり、いつの間にやら『皆無くん』呼びから『少佐殿』呼びに戻っている千代子である。
「いや、それ、男の
皆無が白目を剥いている。
(さぁ、言え、千代子! 戦え! 戦え!)
千代子はぐっと拳を握りしめ、
「少佐殿――いえ、皆無くん。私、私は」
ついに、告げた。
「私は、貴方の、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます