陸「それぞれの戦」
❖夕刻 / 神戸元町❖
「何や、結局元ブラデヱトしとるだけのような気がするんやけど」
元町に戻り、女三人して大通りをブラブラしていると、絶世の美少女たる
「で、デヱト!? ――ぎゃっ」
甘美な響きに千代子が反応するが、
「じゃから、やらぬぞ?」
「ぐ、うぐぐぐぐぐ……」
王の
千代子は言い返したい。
が、言い返せるだけの勇気が持てない。
『我こそが皆無の許嫁なるぞ!』と宣言したとして、それを
ヱ―テル総量二千五百万の皆無をして『バケモノ』と言わせしめる甲種
美少女皆無チャンがこちらを
それにしても、着物姿で紅を差した皆無チャンの可愛いこと!
認識阻害魔術【
もしかしたら、己よりも皆無チャンの方が見られているかもしれない。
「ん?
その仕草がまた可愛らしいのだが、皆無チャンの肌の綺麗なこと!
退魔専門部隊たる第零師団の団員は、軍人でありながら肌が焼けていない人が多い。
出撃の主な時間が夜間だからである。
皆無チャンもご多分に漏れず肌が白く、そして驚くほどきめ細かい。
そして、もちもちしている。
肌が『若い』のではなく、『幼い』のだ。
「うふふ」
「だから何よって!」
「むぅ、ずるいぞ千代子。
「えぇ……撫でるってどうやって?」
「こうじゃ!」
「ひゃっ」
姫に頬を舐められて悲鳴を上げる皆無チャン。
「ちょっ、やめっ、やめぇや、やめろって、んっ、口はあかん! ちょっ、んぷっ、やぁ、やめてぇ! ひゃぁああっ」
顔や唇を
声変わりをしていない皆無チャンの、女装をして、まるで少女のような声を上げる
そんな美少女皆無チャンと、美少女
千代子はもう、堪らなくなってしまう。
道行く男どもが魅入っている。
よもや少女の内一人が実は男であるなどとは、夢にも思うまい。
「ふぅ、満足じゃ。行くぞ」
そんな千代子や周囲のことなど気にもせず、さっさと歩き始める
「ひ、
「な、なら、私がもらって差し上げますよ!」
虚空から引っ張り出したハンケチーフで顔を拭きながらメソメソしている皆無チャンが可愛くて可愛くて、千代子は不敬なのも忘れて頭を撫でる。
果たして皆無少年は怒らなかった。
それどころか、何とはなしに嬉しそうにして、頬を赤らめてそっぽを向く。
「~~~~~~~ッ!」
千代子は、堪らない。
胸の中がざわざわする。
軍人とはいっても、少佐とはいっても、十三歳は十三歳ということか。
ここからさらに抱き締めてみたら、さすがに怒るだろうか?
「…………あ」
ふと、気付く。
だが、それは叶わない。
腕がないからである。
これこそが自分の、
なるほど、皆無を思う
「うぅ……――――~~~~ッ!!」
捨てられた子犬のような顔をする
❖ ❖ ❖ ❖
そんなふうにして洋服店を冷かしたり、風月堂の菓子などを食べ歩いたりしていると、空からフワリと紙が飛んできた。
何やら一対の翼があり、先端が尖っている。
「紙の……鳥?」
千代子が首を傾げると、
「「紙飛行機――」」「――じゃァ」「――やな」
二人の
「ヒコーキ? ヒコーキって何ですか?」
「僕も見たことないけど、めっちゃ早く飛ぶ飛行船なんやって」
「ヘェ、不思議」
「
「うん」
皆無がひょいっと飛び上がって紙ヒコーキをつかみ、広げてみせる。
「うげっ、汚い字やなァ……」
千代子も覗き込むが、確かに汚かった。
あの聡明そうな麗人が一体全体どうしてこんな、ミミズののたくったような字を書くのやらと思うが、
「あはっ、おナベのやつ、
「
「「ヱヱヱヱヱッ!?」」
「『
「助けよう」
即答する姫君。
「予は
「了解!」
「承知いたしました!」
❖ ❖ ❖ ❖
❖十数分後 / MEP屋敷❖
「あら~あらあらあら~ん。皆無チャンったらいつから女の子になっちゃったのかしら~ん?」
第七旅団には全面的に頼る方針であるらしい。
何と、
「アタシとしては男の子な皆無チャンの方が好みなのだけど、コレはコレでありだわねェ」
現に今、皆無少佐はMEP屋敷の最奥の部屋で、第七旅団の主たる旅団長に
……女装姿のままで。
「は、いえ……中将閣下、その、近いと申しますか」
その皆無が、屋内敬礼の姿勢のまま、じりじりと
「どうして逃げるのかしらァん?」
「に、逃げてなどは」
――オカマの旅団長・
身長二メートル数十サンチ。
頭頂部以外を狩り上げた髪は七色に染め上げられていて、まるで求愛行動中のクジャクを思わせる。
野武士のような
日本人離れした大きな目には、西洋から輸入されたハヰカラな化粧法である『アヰシャドー』が為されているが、それが血のように赤いものだから、まるで歌舞伎役者の
張り裂けんばかりの筋肉の上に肋骨服が張り付いているのだが、肋骨紐が胸筋の形で歪んでいる。
そんな、常軌を逸した見た目をしている
「や~ん、怯える顔も可愛いわねぇ! あのいけ好かない
「ひぃぃいいッ!! 衆道はご勘弁を!!」
恐怖のあまり尻もちをつく皆無。
「冗談よ」
多少傷ついたような顔をして、中将閣下が書斎机の椅子に戻る。
「でも、そこまで怯えることはないと思わない? ねぇ、そこの貴女はどう思うかしらん?」
「えっ!?」
急に話を振られて、千代子は戸惑う。
相手は雲の上の人物、第七旅団の頂点である。
何か、何か言わなければ。
「そ、その、今の皆無チャンは男の
「――はぁ? うふふ、ヘンな子ねぇ」
ポカンとしていた中将がクスクスと笑い出し、それから急に軍人然とした顔になって、
「
「ははっ!」
皆無が直立不動になる。
「小官はこれよりケルベロスの使い魔捜索任務にあたります! 第十三連隊・鈴木中佐から一個大隊をお預かりします!」
❖ ❖ ❖ ❖
「それにしても、
皆無の部屋で手早く着替えながら、千代子は言う。
隣では皆無も着替えているが、今更である――皆無チャンの足が己のソレよりもなお細かったのは、大変に心外であったが。
「まァ犬畜生や言うても盟友の宝物やからな。――それに」
ふっ……と、皆無少佐が冷たく微笑む。
「犬の誘拐犯が
言ってから、『しまった!』という顔をする皆無。
「
やはり、姫の腕は
姫の魔術発生装置たる
装備を整え、MEP屋敷の中庭に出てみれば、そこには一名の佐官と数十名の尉官が集められていた。
一個大隊――つまり、三個中隊。
一名の単騎佐官および十余名の尉官からなる典型的な中隊が三個分。
第十三連隊長の鈴木中佐が、この短時間で掻き集めて
何とも豪勢な犬捜索部隊であった。
皆無が半
そのあとは、犬という犬の居場所を各員に伝えていき、一件一件潰していくのである。
「ここ、この建屋の地下と思しき場所に犬が大量にいます」
「ふむ……地下、か」
地図を指す皆無の前で、鈴木中佐が腕を組む。
「単なる愛玩動物屋や
「だが、わざわざ地下で育てるか?」
「ですよねぇ」
「本命の可能性アリ、だな。とっておきの
「えっ、中佐殿が直接向かわれるのですか!?」
皆無が慌てると、鈴木中佐がニヤリと微笑み、
「何だ、皆無少佐。貴官も俺のことを『管理中佐』などと陰で言っているクチか?」
「い、いえ、滅相もございません」
「隊長格が足りておらんのだ。俺が指揮するしかあるまい」
確かに、この場には緊急呼集された佐官は、単騎少佐一名と、皆無少佐と、鈴木中佐しかいない。
「――ご武運を」
屋外敬礼で中佐と中佐の中隊を見送る皆無。
実力至上主義――ヱ―テル総量と武功が全ての第七旅団だが、だからといって脳ミソまでヱ―テルと筋肉で出来ている単騎野戦将校ばかりが佐官になっていたのでは組織が崩壊する。
名を馳せた単騎将校というのは悪魔悪霊相手に無類の強さを発揮する半面、生活能力や管理能力が著しく破綻している者が多いのだ。
そこで、ヱ―テル総量や武功がそれほど高くなくても、組織運営に長けた者が連隊長や大隊長の座に就く例がままある。
彼らは階級の前に『単騎』という称号を持たない。
「皆無少佐、俺は
緊急呼集された単騎少佐が聞いてくる。
「先任少佐殿にはココとココとココをお任せしたいのですが、お願いできますか?」
「お安い御用だ」
同じようなペット誘拐犯の潜伏先と思しき地点が幾つもあり、千代子はげんなりするのだった。
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 /
(――視線を感じる)
璃々栖が国鉄三ノ宮駅の裏側、如月駅のホームを歩いていると、
「ギギィィィイイイイッ‼」
「――――シッ!」
璃々栖はふわりと飛び上がり、鋭い飛び蹴りを
編上げブーツの、ヒヒイロカネが混ぜ込まれた鉄板が仕込まれた爪先が白く輝き、ヱ―テルを
「フン――
それにしても、空気がざわついている。
(
(殺す。殺してやる。
❖ ❖ ❖ ❖
❖小一時間後 / 神戸 南京町《
ばーんっと戸を蹴破って、犬誘拐犯の隠れ家と思しき家に押し入る『
中の犬たちが大層弱っている様子なのは皆無が魔術で探査済なので、誘拐犯でなかったとしても
「なんだァてめェら!?」
「ナメた真似してっとスっぞコラ!?」
奥から如何にもその筋の男たちがどやどやと出てくるが、
「おらっ、大人しくお縄につけ!」
ただでさえ鍛え上げられ、さらにヱ―テルで
誘拐犯たちは次々と捕まっていく。
千代子は入り口を塞ぐようにして立っていたが、
「
誘拐犯の一人がするりと抜け出して、千代子を押しのけ逃げようとするも、
「はいはい大人しくしてくださいね~」
千代子はヱ―テルで強化した腕で男の腕を捻り上げる。
が、
「てめぇ!」
その男が、懐から拳銃を抜いた!
銃口が千代子の顔に差し向けられ、
「――え?」
タァーンッ!!
千代子の頭部が撃ち抜かれ――…ることはなく、弾丸は、ぬっと突き出された皆無の手の平によって受け止められた。
「――【
ヱーテルの載った皆無のデコピンによって、誘拐犯は気絶する。
「油断し過ぎや、
弾頭を親指と人差し指でぐしゃりと潰しながら、皆無が言う。
「あ、あ、あ、ありがどうございばずぅぅぅうううッ!!」
四度も命を救われ、いよいよ皆無少佐に傾倒していく千代子であった。
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 /
「
主より賜りし
「なァ、ケルベロスの使い魔よ?」
「お前の生き血は、大切に使わせてもらうぞ? 我が主・百獣公爵
「
その『眼』を借りて見てみれば、
「おやおやおや! 麗しの姫君ではないか!
自分は今、この場から動けない。
主たる
だから、手下を差し向けることにした。
❖ ❖ ❖ ❖
❖夜 / 南京町❖
「突入ッ!!」
本日何件目かの、犬誘拐犯の隠れ家への突入。
「くぁ~……犬の誘拐、流行り過ぎやろ
皆無が突入部隊の後方で
特設皆無少佐大隊におけるお犬様捜索部隊は、
『
『
『
の三中隊に分けられて神戸中を運動しており、千代子は皆無とともに
最も危険度の高いところに殴り込みに行く部隊だ。
(おねむな皆無くんも素敵……)
先ほど命を救われたこともあり、千代子はいよいよ
可愛い皆無、
(言う。今夜中に絶対に言う! 私が皆無くんの許嫁だって。皆無くんと一緒になりたいって!!)
ヱ―テルを
「いだだだだだッ、折れる! 折れる!」
ゴロツキの叫び。
「チョコ子少尉!」
その皆無くんが、自分に話し掛けて
必死な表情がまた、何とも言えず可愛い。
「
「はい、何ですか皆無くん!?」
「力を加減したれ。そいつ、気ぃ失っとる」
「――あ」
己が組み伏せているゴロツキが、泡を喰って気絶していた。
❖ ❖ ❖ ❖
❖同刻 /
「【
認識阻害の霧の中に逃れながら、
巨大なヱ―テル反応を辿って北へ北へと坂道を走っていたところ、急に
今も、何十匹もの
群れは統率が取れており、明らかにこちらに向かって一直線にやってきた。
それは誰かに使役されているということであり、
(やはり、視線を感じる)
その使役者が、こちらの居場所を知っているということだ。
広い神戸の中で、こちらの位置を正確に把握せしめることができるほどの探査魔術の使い手。
が、【
これはいいよいよ、
(じゃが、そうなると皆無を連れてこなければ話にならぬ)
今、神戸の
すぐ目の前にも、
他にも有象無象の反応が無数に。
だが、中でも目を引く大きな反応は、二つ。
一つは神戸北野の異人館通り――昨日、
最も大きなこの反応を、
もう一つは
ここからずっと南の方で運動している反応は恐らく、
(地獄を離れては力を発揮できぬ――か。アレはきっと、ケルベロスじゃな。じゃが何というか、完全に
ケルベロスは、自分のようには【
表の世界なら威風堂々たる屋敷が立ち並ぶ異人館通りだが、裏世界の方ではどの屋敷も荒れ果てており、時折、中から亡者の
亡者の声がする家の主は夜な夜な金縛りにでも悩まされているのかも知れない。
それはそれで可哀想だし、解決できるのであればしてやりたいが、生憎と今は余裕がない。
――などと余事に気を取られていたのが失敗だった。
「ウガァァアアアァアアアアアッ!!」
十字路に差しかかった瞬間、一体の
「くっ、【
距離を取りながら魔術を発現させようとするも、間に合わなかった。
「ぎゃッ!!」
「ぐ……ぅっ……」
「――【
大した効果のある魔術ではないが、立てる程度には痛みが引いた。
よろよろと立ち上がったところに、
「
ヱ―テルを纏った鋭い一撃が
「はァッ、はァッ……
腕のないこの身が恨めしい。
痛む体を引きずるようにして、
❖ ❖ ❖ ❖
❖十数分後 /
(……あそこじゃな)
昨晩、
屋根の上で風見鶏が狂ったように踊り狂った屋敷を見上げ、
屋敷の敷地内だけ、
(まずは使い魔の安否を確かめる。次にケルベロスと合流し、あやつの
認識阻害の魔術を重ねがけし、正門からではなく壁を飛び越えて敷地に入る。
それだけの用心をしたのだ。
だと言うのに――
「これはこれは、
背後から、声!
が、
「――!?」
誰もいない。
――ガキンッ!!
そのとき、背後から音が聞こえた。
(
果たして目の前に現れたのは、
銃口。
「――――シィッ!!」
――タァーンッ!!
銃口が――姿をくらましていた
果たして、
果たしてそのマスケット銃を構えていたのは――
「――田中大尉!?」
千代子の上官であるはずの、田中大尉その人であった。
田中大尉の姿をしたナニカが、昨晩大事そうに握りしめていた筒状の
筒を投げたその右腕は大きくまくり上げられており、何やら悪魔的な、巨大な
「それは、
圧倒的強さを誇る魔術発射装置
絶望的な戦いが、始まる。
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