蜜蜂と金獅子草事件
1. 魔物からの依頼
無事、冬を越し、春を迎えた暖かな昼下がり。
この山に住む蜜蜂に似た魔物、ハニービー族の外働き担当である彼女は、山の中腹のお花畑で一面に広がる花達から蜜と花粉を集めていた。冬籠もりの間に乏しくなった食料倉庫を満たし、今年もクイーンに沢山の子を産んで貰おうとせっせと花から花へと飛ぶ。
ようやく暖かみを帯びた春風が吹いてくる。彼女は額ににじんだ汗を拭いた。
「そういえば、人界では花の蕾を腐らせる風が吹いているというけど……」
そんな風がこの山で吹いたら大事だ。ハニービー族の食料が無くなり飢えてしまう。
『もし、この件が続くようなら一度、『薬屋』に話を聞きに行かなければならない』
クイーンと衛兵隊の隊長が、そう話をしていたらしい。
「人界だけで終わってくれれば良いなぁ」
彼女は花粉団子を入れた背負子を背に担ぎ、蜜を詰めた瓶を両手に持った。背の翅を震わせ、空へと飛び立つ。
「あれ?」
眼下にお花畑に流れ込んだ、まだ真新しい土の筋が見える。山の上の方でどこか崩れて土が流れ出たのだろうか?
そのとき、ふっと肉が腐ったような腐臭が彼女の鼻をかすめた。近くに動物の死骸でもあるのかと首を巡らす。しかし死骸は見あたらず、代わりにひゅっと空を切る音がして茶色の蔓が彼女の足にからみついた。
「きゃあっ!!」
蔓がしなり、空で振り回す。目を回し掛けた彼女の視界の端に、巨大な金色の花が映った。
「何、あれっ!?」
黄色の花びらが幾重にも重なった春の花、金獅子草に似た巨大な花に悲鳴を上げる。蔓がもう一本彼女に伸び、その身体をがんじがらめに縛る。
蔓は彼女を花へと引き寄せる。重なる花びらの中央に白い牙が生え、もそもそと動いているのが眼前いっぱいに広がった。
「助……!!」
身体が花芯に放り込まれる。バクン!! 花びらが閉じ、その根本が咀嚼するかのように蠢いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「旦那様、バントウさん、若旦那様、ミリー様、おやすみなさい」
今夜も勉強を終えた子達が机を片づけて、離れに向かう。
「ミリー、お疲れ様」
ガスがいつものように火桶に水の入った鉄瓶を乗せ、奥からお茶の葉とポットとカップを取ってくる。
「こにちは」
「こんにちは」
後ろから可愛い男の子の声とフランの声が聞こえてきて、今夜もガス達と子供達の勉強を見ていた私は振り向いた。
番頭さんの横にまだ片づけてない机がある。その上には影丸がちょこんと座り、一番小さい子向けの読み書きの教本を見ながら、フランに大陸語を習っていた。
迎賓館のお庭で『桜の姫君』に会った次の日から、影丸は世話になっているお礼にと、お店のお手伝いをしている。更に私達と会話が出来るようになりたいと、時間が空くとフランに頼んで熱心に言葉を学んでいた。
「ありあと」
「ありがとう」
夜も一緒に勉強した後、お店を閉めるまでこうして頑張っている。
「そういえば、カゲマルに勧められてお父様とお母様に書いた手紙、返事がきたんだ」
手紙の返事が昨日、事務所の私の部屋に届いた。お父様とお母様の二通の返事には、私が怒っても恨んでもないことに対する感謝の言葉と、寂しかったことに対する謝罪の言葉が何回も綴られていた。
「お父様もお母様も私が以前のように仲良くなりたいって思っていると知って、とても嬉しかったって。で……少しずつで良いから距離を詰めたいから、時々はまた一緒に食事をしたいって書いてあったの」
『もちろん、ミリアムが負担に思わない頻度で良いから』
そう手紙には優しく綴られていた。
家族でも互いに歩み寄らなければ、何も始まらない。
今度の手紙で、そのことを知った私はもちろん承諾の返事を返すつもりだ。
でも……。
「しばらくはガスも一緒にってことで良いかな?」
やはり三人だけで会うのまだ気が重い。
「良いよ」
ガスはあっさりと頷いてくれた。
「ありがとう」
「本当に坊ちゃまはお嬢に甘いんだから!」
向こうの机からフランの声が飛ぶ。
「だって、ミリーが元気になってくれるなら、オレは嬉しいから」
ガスがふにゃっと笑って、お茶を渡してくれる。
「ナタリー嬢の事件から少しずつ元気が戻ってきているみたいだね」
確かに、いきなり変わった立場と、ぎこちなくなった関係と、目立たないでいなければならないというプレッシャーで沈みがちだった気持ちが、このところちょっと変わってきている。
今、私は相変わらず聖騎士としての仕事は何もない部屋で、ガスの書いたナタリー嬢の事件の記録……『撫子七変化事件』と表題をつけた……を読み返しつつ、こちらはまだ解決してないけど、影丸の事件の記録を綴っている。
この二つを通して、少しだけど目立ってはいけない勇者として、自分の進みたい方向が見えてきた……気がするのだ。
『今回、ナタリー嬢がミリーに事件の話を持ってきたのは、彼にとって幸運だったよ』
あの事件のことを相談したときガスはこう言ってくれた。
もし、あの事件を他の誰かが解いて、事を明るみに出せば、トーマスはもちろん、彼の家族全員がビンセント家を追われることになっただろう。目立つことの出来ない……そんな私だからこそ、誰かの為に出来ることがある……のかもしれない。
ゆっくりとお茶を啜る。そのとき
「……!!」
突然、影丸の声が響いた。影丸が机の上に立ち、小さな身体を身構えて、夜の急な客の為の出入り口となっている裏戸を睨んでいる。
「私より先に気付くとは、相当感覚が鋭い子でございますね」
番頭さんが目を細める。フランが「坊ちゃま!!」叫んで、ガスの元にピン! ピン! と飛んでくる。
「……!!」
次いで、私も首筋の後ろの毛が毛羽立つような、なんとも言えない感覚を感じた。
これは……魔物の気配だ。裏戸の向こうに、どんなモノかは解らないが魔物がいる。立ち上がろうとする私を
「ミリー様、この店を守るのは私の役目でございます」
番頭さんが制す。カップを机に置いて、裏戸に向かう。相手は魔物だというのに、軽い足取りですたすたと近づき
「何のご用でございますか?」
番頭さんは呑気に尋ねた。
そういえば、降嫁が決まったときにガスから聞いた。オークウッド本草店の番頭さんは背の高い穏やかな白髪頭のおじいさんに見えるが、その正体は初代から店に住んでいる魔物だと。
番頭さんはかなり強い魔物らしい。『おじい様』の縁でお店に薬を買いにきたり、治療をして貰いにくる魔物は多々いるが、そのどんな荒ぶった魔物も番頭さんを見るなり、借りてきた猫のように大人しくなるという。
「夜分、遅くに失礼する。お山に異変が起きた。薬屋をお借りしたい」
裏戸の向こうから張りのある若い女性の声が聞こえる。
「どうぞ」
番頭さんが促すと戸がカタリと開いた。向こうから人間の子供くらいの大きさの影が入ってくる。
金髪の可愛らしい女の子だ。だが身体はふわふわとした茶色、大きく後ろに突き出した臀部は金色と茶色の縞模様の毛に覆われ、背には透明な四枚の翅が生えている。腰には草の蔓のようなものが巻かれ、そこに細いレイピアが下がっていた。魔物が金色の瞳で店内を見回す。
「うちの取引先のハニービー族の衛兵隊隊長、ローラ様だよ」
ガスが私にささやき
「これはローラ様」
頭を下げる。
「お山に何がありましたか?」
彼の問いにローラと呼ばれた彼女が眉間に深い縦皺を寄せた。
「同胞が見たこともない花の怪物に襲われ喰われた。奴を倒す為に、どうか薬屋の知恵を借りたい」
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