クビになったワケ。
「……よし、こんなもんかな?」
汗を拭き、資料を片付け終えると、車のドアが閉まる音がした。
しばらくしてから、五十鈴さんがやってきた。
「おはようございます!今朝は早いんですね」
「それはこっちのセリフよ」
「いやぁ……今日で最後ですから」
ゴミ捨ても済ませし、トイレもピッカピカに磨いたし、すべてのPCが正常に動くかも確認した。床にはホコリ一つ落ちていない。ホワイトボードにはなんの汚れもなく、窓を開けていたので空気も綺麗だ。
なんら思い残すことはない。
「……あっそ。
「あはは……。色々と迷惑かけちゃってすいません。でも本当に!宮本先輩のお陰でたくさんのことを勉強させていただきました!ありがとうございます!」
深々とお辞儀をすると、五十鈴さんが乱暴に鞄を机の上に置いて、回転椅子を回った。
両肩を上下に振って、首を回している。
「了解です!」
僕はなにも言わず、五十鈴さんの背後に回り込んで、マッサージを始めた。
彼女にマッサージをするのも、これが最後だった。
始業開始のチャイムが鳴るまで、僕と五十鈴さんの間に会話はなかった。
※ ※ ※
「……ちょっと、きて」
「え、なんですか」
「いいから」
昼休み、急にそう呼びかけられる。
不審に思いながら廊下に出ると、自販機の前でスマホを構えていた。
「……なんか飲む?」
「あ。ええっと、コーヒーで」
「りょうかい」
スマホを自動販売機に構えると、ボタンを押さずにコーヒーが出てきた。
彼女はそれを取り出すと、しばらくこちらに渡さずに立ち止まった。
「三年間、世話になったわね」
「……なんの心境の変化です?」
「……は?」
「いや、いつもはこんなことしないじゃないですか。なんか企んでます?」
「企んでないからっ!」
五十鈴さんはそう言って、僕のポケットに乱暴に缶コーヒーを突っ込んできた。
なんだよ、と思いつつも照れ隠しなのかなと気付き、少しだけ笑ってしまった。
なんだかんだで後輩想いの優しい先輩である。
「……アンタがいなくなったら、あたしの肩はずっと凝ったままね」
「マッサージチェア買えばいいじゃないですか」
「そういうことじゃない! ほら……人のぬくもりとかあるじゃない?」
「んー、そんなこと言われても今日で退職ですし」
「なんで辞めさせられたの? あたしのせい?」
「いや、社長の独断かと」
「アンタ、社長に気に入られてたんじゃなかったの? おかしいわよ!こんなの違法解雇じゃない! 訴えよ!」
「……まぁまぁ」
僕が宥めようとしたものの、五十鈴さんは本気でプンスカしているようだった。
「わかった!あたしがどうしてクビにされたのか直談判してきてあげる! こんなの絶対おかしいわよ!? だって、アンタはこの会社に必要だったもの──」
「社長が決めたことですから。僕は大人しく従いますよ」
興奮している彼女を優しく引き止める。
あの人の考えていることはいつも読めない。
「訴えたりしたら、この会社の存続が危ぶまれます。あの人が作ったこの会社は小規模ですが、これからの未来を担っているんです。そんなことはしないでください」
零細企業である弊社はあの人の手腕で成り立っていた。
社長のスマホはいつも鳴りっぱなしだし、社外にいることのほうが多い。
少人数で回している以上、優れたリーダーを失った組織はすぐにでも崩壊するだろう。
「……それで、いいの? あんたは社長の言いなりで?」
「いいですよ。僕は人の指示を聞くことに関しては誰にも負けませんから。組織に従属できただけで満足です。雑用しかできませんでしたし」
「……そんなことないって。アンタはうまくやってたわよ。ゴミ捨てとか、お茶出しとか。マッサージだって、すっごくうまいし」
「マッサージなんて誰でもできますよ。……てか、それを聞くと我ながら本当に要らない存在だ……」
五十鈴さんはまだ納得していなかったようだが、ちょうどそのとき始業再開のチャイムが鳴った。
僕はポケットからコーヒーを掲げて、笑いかけた。
「僕は充分、この会社に尽くしました。皆さんのお世話をできてよかった。短い間でしたが、本当にありがとうございました。コーヒーもごちそうさまです。宮本先輩のその気持ちだけ、受け取っておきますよ」
頭を下げて、職場に戻る。
五十鈴さんはしばらくその場から動かなかった。
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