第7話 憲兵
第二次世界大戦中の日本の憲兵のひどさは色々と言い伝えられている。
祖父は新ホーリネス派の牧師であったため、特高警察に目をつけられた。当時キリスト教の関係者はすべて敵国のスパイと見なされていた。
戦時中、この新ホーリネス派はそれまでの長老の死とともに、長老派の残党と副長老派の跡目争いで揉めた。それを口実に特高警察が動いたのである。
祖父もご多分に漏れず逮捕され、審議に掛けられた。
逮捕された多くの者はスパイであることを認めた。もちろん拷問と捏造の結果である。
祖父は筋金入りの信仰者であり、それ故に揺るぎなき強情者であった。自白などするものではない。その口から出るのは丸ごと暗記している聖書の一節だけなのだ。実際に自分の命よりは信仰を重んじる人であった。(身の回りの実話怪談第一話「クモの巣池にて」に登場)
そのため攻め手に窮した特高警察は妙案を思いついた。祖父に囚人着を着せ編み笠をかぶせると、手首を紐で縛って外に連れ出した。そのまま町を引き回し、娘が勉強をしている学校の門前に立たせた。
教室では大騒ぎになった。「あれ、〇〇さんのお父さんじゃない?」
なんとも姑息なやり方である。
その後すったもんだ揉めた挙句、祖父の担当だった検事さんが折れた。
この検事さんは大本教を担当した人で、大本教を潰した手柄により出世街道まっしぐらという人だった。
だがこの人は祖父の取り調べをしている内に、これは真の信仰者なりと納得し、祖父は無罪放免となって帰って来た。その結果、その検事さんは左遷されてこの事件は終わる。健司さんが身代わりになってくれたのである。この当時はまだ気骨のある役人が少数ながら存在していたのである。
日本の憲兵連中の質の低さは、当時の中国における関東軍の暴走と関係がある。関東軍を抑えるために有能と言われる連中をすべて中国に送りこんだ結果、国内にはクズだけが残ったのである。
そのため中国での日本憲兵は国内とは逆に紳士的であるとの評判が残っている。
町内には憲兵詰め所があった。
その詰め所には馬房があり、いつも数頭の馬が繋がれていた。その馬を見るために幼い母は良く訪れていたそうであるが、近所の人たちからは憲兵がいる場所には近づくなと警告されていた。彼らは一般人を見ると必ず怒鳴り付けて嫌がらせを始めるからだ。
終戦の日、灯火管制も終わり、これでようやく夜に灯りを消さなくて済むと、母と姉は電灯のスイッチを入れた。
「だれじゃ! 電気をつけているのは!」
憲兵の怒鳴り声が夜の静寂に轟き、母は慌てて灯りを消した。
次の日の朝、憲兵詰め所は空っぽになっていた。詰め所の中には椅子一つ残っていなかったという。なるほど灯りがついていては夜逃げの邪魔になるわけだ。
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