第6話 八月六日

 八月六日は思い出す。原爆記念日なのだ。

 この日は広島では夏休みにも関わらず中学校に集合がかけられる日だった。そして全校生徒できちんと列を成し、原爆ドーム目掛けて行進するのだ。

 もちろんこれはすべて教育委員会の指示であった。


 記念式典の場には昔は遺族の人々が山のように花束を捧げていた。やがてどれだけ花束を捧げても政府の役人たちがすべて捨ててしまい、自分たちの花束に置き換えてしまうことが知れてからは、記念碑の裏側の秘密の場所に花束を添えるようになった。

 面白いことに広島では広島の原爆記念日(八月六日)は騒ぐのに、長崎の原爆記念日(八月九日)には黙祷すらしない。長崎の悲劇は敢えて無視していると言ってもよい。

 広島の方が先に原爆を落とされたと奇妙な所で対抗意識を燃やしているとしか思えないふしがある。何とも下らぬ優越感だ。

 当時はどの国も核実験が盛んで、そのたびに広島県は電報を打って抗議していた。電報一本だけの抗議活動。まことに見事なものである。


 私の父は原爆投下地点から二百メートルの距離で原爆を受けている。

 広島名物であった路面電車の満員の人いきれの中で、乗り口の近くの戸板の下に結核に侵された体で力なく小さくなって座っていた。そこにピカリと閃光。父以外の人間は全員が即死した。放射線のすべては満員の人間の体がすべて吸収したのだろう。

 地獄と化した繁華街八丁堀のど真ん中を父は歩いて家に帰り、可部にある家の玄関を潜った瞬間に背後で放射性物質を含んだ黒い雨が降り出したという。

 爆心地より二百メートルの地点での被ばくで無傷で生き延びたのは父ぐらいではないかと思う。運が良いのやら悪いのやら判断が付きかねる。

 その時の光景がトラウマになった父は故郷たる広島の地を離れて、二度と帰ることはなかった。

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