第38話 薄幸令嬢は自身の生まれた意味を知る

 気がつくとベッドの上で横たわっていた。

 上体を起こすと、ジャラジャラと金属が擦れる音がする。


 首にひんやりとした物が触れ、思わず手で確認すると冷たい金属の首輪が付けられていた。


(硬くて取れないわ……)


 ジャラジャラと音を立てていたのは首輪に繋がれたチェーンのようで、ベッドボードのパイプに頑丈に繋がれていた。音を立てないよう慎重に握って引っ張るも、リフィアの力ではどうしようもなかった。


(セピアは大丈夫かしら……怪我は、きちんと治せていたかしら……)


 妹の事を考えながら握っていたチェーンをベッドに置くと、綿埃が舞い上がる。


「ゴホッ、ゴホッ」


 思わず出てしまった咳を慌てて手でおさえる。埃っぽい部屋はあまり換気がされていないのか、少しカビ臭いにおいがしていた。


「目が覚めた? お姉さん、気分はどう?」


 声をかけられリフィアの肩が一瞬ビクッと大きく震える。

 恐る恐る振り返ると、人懐っこい笑みを浮かべた銀髪の少年が立っていた。どこかで見かけたような……と考えて思い出す。


(確かムーンライト広場で手品を見せてくれた子だわ……)


「あなたも、拐われてしまったのですか?!」


 少年はポカンとした顔でこちらを見た後、「くっ、はははっ!」と大きな声で突然笑いだした。


「僕が拐われた可哀想な子供にでも見えたの?」


 ひとしきり笑った後、少年はバサッと鋭い角の生えた翼をはためかせた。その姿は、明らかに人ではない。


「僕は君を拐った悪魔さ。夢魔族最強の悪魔メア・トロイメライ。この名を聞けば、みーんな僕にひれ伏すんだよ」


 悪魔に拐われたらすぐに殺されるのだと思っていた。しかし首輪を嵌められ拘束されてはいるが、身体に異常はない。

 今すぐどうこうしようというわけではなさそうに見えるメアに、リフィアは状況を把握したくて疑問を尋ねてみた。


「あの、何が目的なのでしょうか?」

「世界樹を復活させる聖女は、僕達悪魔にしたら目障りな存在なんだよね。だから消す。表向きはね」


 どこか含みのある言い方をするメアに、リフィアは恐る恐る問いかけた。


「では何故、私はまだ生きているのでしょうか?」

「僕は実験したいんだ。作られた聖女がどこまで負荷に耐えれるのかをね」


(実験? 作られた聖女?)


 困惑するリフィアに、メアはにっこりと笑顔で問いかけた。


「君は聖女がどうやって作られているか、知ってる?」

「お言葉の意味が、よく分かりません」

「そうだよね、本人には自覚がないだろうし無理もないよね。じゃあ、質問を変えよう。君は一度、死んだことがあるよね?」

「死んだことが……?」


(そんな経験、あるわけ…………っ!)


 昔の事を思い返して、ゾワッと背中に悪寒が走る。


 母に頬をぶたれ、壁に打ち付けられ、足蹴にされた。あの時確かに、自分は死を感じていた。


「その時、どう思った?」

「私には、生きる価値がないと……」

「その不幸を、誰かのせいにした?」

「いいえ、私が魔力を持たなかったのが全て悪いのです」

「殺そうとしてきた相手を、憎んだりした?」

「いいえ、母を怒らせる原因は私にありましたから……」

「はい、合格! おめでとう、君はそれで聖女認定試験に合格したんだ」


 パチパチと両手を叩き、メアは大袈裟に言った。


「聖女認定試験……?」

「聖女は神に作られた存在なのさ。不遇な境遇において、それでも与えられた不条理に他者を恨まず怒らず、死んだ少女に力を与えて復活させる。そうして始めて、聖女の卵が誕生するんだ」

「私は……神様に作られた存在、だったのですか?」

「そのとおり! 聖女が怒ると強い浄化作用が働いて、それこそ世界を滅ぼしてしまう程の強い力が発動するんじゃないかと僕は思ってる。だから神は慎重に、怒りの感情が欠落した少女から聖女の卵を作ってるのさ」


 にわかには信じがたい話だが、そっくりそのまま自分に当てはまる。ひどい怪我が一晩で治ったのも、神聖力に目覚めたのも。


(怒りの感情が持てなかったのは、そのせいだったのね……)


「そこで僕は実験したいんだ。聖女が怒ったら、本当に世界を滅ぼせるのかどうかをね」


 そう言って無邪気に笑うメアの姿は子供にしか見えない。


「問題は、どうやって怒らせるかなんだよねー」


 メアは頭をうーんと捻りながら、「痛め付けても怒らないし、聖女本人に何かしても全然ダメ、先に体の方が壊れちゃうしなー」と物騒なことを言っている。


(悩まれているうちに逃げれないかしら?)


 ばれない程度に周囲を見渡して、辺りの状況を確認する。

 古い洋館の一室と思われる部屋には、まるで生活感がない。埃っぽいのは使われなくなって長い証拠だろう。

 閉められたカーテンから差し込む日差しはなく、外はまだ夜のようだ。


「あーめんどくさい! 死なない程度に加減すればいいか。どうせ聖女は自分で治療出来るんだし」


 僕って頭いい! と一人で納得したのか、メアがこちらに近付いてくる。


 顎に手をかけられ強制的に目線を合わせられた。琥珀色の瞳が品定めするかのように、こちらに注がれる。


「まずはこの顔に、傷でも付けてみようか。女は顔を傷つけられると怒るでしょ?」


 メアの鋭い爪がリフィアの頬を切り裂こうとした瞬間、左手の薬指に嵌められた指輪が大きく光った。


 ポタッ、ポタッ。

 頬から滴り落ちる血がベッドを赤く染めていく。


「あの、大丈夫ですか……?」


 顔を押さえ踞るメアに、リフィアは遠慮がちに声をかける。


「なっ……なんで僕の頬に、こんなに深い傷が!?」


 自身の手にべっとりとついた真っ赤な血を見て、メアが絶叫する。


(きっとオルフェン様にいただいた指輪の防御魔法が発動したのね)


 指輪に嵌め込まれたメレダイヤモンドが、一つ減っている。


「よくも僕の肌に、傷を付けてくれたね……」


 メアの目付きが変わった。琥珀色だった瞳が赤く光りこちらを鋭く睨み付けてくる。まるで悪魔の本能が牙を向いてきたかのように。


「実験なんてやめた。どうせ聖女が居なくなれば、神がまた作るだけだ。君が居なくなったって、誰も困りやしないんだからね」


 カードを召喚したメアは、それを容赦なく何度もこちらに投げてくる。

 しかしそれらのカードはリフィアに当たることなく、メアの方にはね返された。軽い身のこなしでなんなくかわしてから、メアが口を開いた。


「やはり、リフレクターがかけられていたのか。でもそろそろ、玉切れでしょう?」


 確かめるように一枚飛んできたカードが、リフィアの髪先を掠め、数本サラサラと下へ落ちる。その時、ジャラリと背後から音が聞こえた。


 オルフェンにもらった結婚指輪には、もうメレダイヤモンドは残っていなかった。輝きを失ってしまった指輪に触れ、心の中で感謝する。


(オルフェン様が守ってくださったのだもの。こんなところで、私は諦めない!)


「ジ・エンド」


 メアが新しいカードを召喚して構える。


「メアさん。そのような所から攻撃されても、私は殺せませんよ。すぐに治療しますので」

「そう。だったら、とどめは直接さしてあげるよ。確実に息の根を止めるためにね」


 ゆっくりと歩を進め、メアがこちらへ近付いてくる。彼がカードを構え手を振り上げた瞬間、リフィアは首輪に繋がる鎖を思いっきり引っ張って振り回した。


 最後にメアが投げたカードはリフィアの髪を掠め、チェーンまでをも切り裂いていた。それを利用した渾身の不意打ち。見事にくらったメアの体が、ぐらりとよろめく。

 その隙を狙って立ち上がったリフィアは、メアの頬にある傷に触れ神聖力を送り込む。


(悪魔の中にある強い邪気を払うことが出来れば、浄化できるかもしれない!)


「ぐっ!」


 メアが苦しそうな呻き声をあげる。赤く光る瞳の色が少しずつ薄らいでいくのが分かった。


(やはり、効いてるわ!)


 しかし悪魔の中にある膨大な邪気を払うには時間がかかる。「やめろ!」と手で払われ、飛ばされた体が床に倒れこんでしまった。


「聖女なんて所詮使い捨てだ! 一度世界樹を復活させればもう要なしだ。役目が終わった時点で、悪魔に拐われた聖女なんて誰も助けに来ない。僕を怒らせるだけ、無駄だってことすら分からないの?」

「ええ、分かりません。役目が終わったと言うのなら、これからは……私が好きなようにやらせて頂きます!」


(オルフェン様と結婚式を挙げる約束をしたもの。セピアからまだ、返事を聞いていないもの。私はこんな所で死ねない! 死にたくない!)


 再びチェーンを振り回し、後方にあった窓を割って脱出を試みる。一階でよかったと安堵しながら、窓枠に手をかけ飛び降りた。


――チクリ。


 割れたガラスの破片で怪我をしたのだろう。手に痛みが走るも、そのまま走って逃げた。


「威勢だけはいいようだけど、残念だったね」


 しかしチェーンの端を掴まれ、引き戻されてしまった。反動で建物の外壁に体が打ち付けられる。


「ペットがそう簡単に、逃げられるわけないでしょ?」

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