第36話 エヴァン伯爵は真実を知り気が狂う
「俺から卑怯な手で爵位を奪ったお前にその名で呼ばれるのは、実に不快だ」
ヘリオスはゴミを見るような目をエヴァン伯爵に向けながら、言葉を続ける。
「俺は今、宮廷音楽家として活動している。ファルザンって言えば、分かるか?」
「あ、あの有名な宮廷音楽家が、兄上だったのですか!?」
宮廷音楽家ファルザン。カントリーミュージックで人々を魅了する数々の曲を生み出し、宮廷に招かれた天才音楽家。
王室の公式行事では必ず彼の曲が使われ演奏されている。彼の限定新曲や過去の未発表曲には高いプレミアがつき、それらの収められたオルゴールは貴族の間では贅沢品として有名で、巨万の富を得たという。
かつて自分がエヴァン伯爵家から追放した兄が、そのような有名な存在になっていたとは……エヴァン伯爵は動揺を隠しきれなかった。
「今日はお前に、お礼を言いたくて来たんだよ」
「……お礼?」
「俺の娘を跡取りとして育ててくれて、どうもありがとなぁ」
言われた事を理解できなくて、エヴァン伯爵は「兄上の娘!?」と聞き返す。
「セピアは俺の娘だ。嘘だと思うなら、伯爵夫人に聞いてみるといい。面白い事実を教えてくれるはずだぜ」
そう聞くやいなや、エヴァン伯爵は友人と歓談している夫人の元へ足早に向かった。
「アマリア! お前、不倫をしていたのか!?」
「ご、誤解です! そのような事実はございません! リフィアは私とあなたの間に生まれた娘ではありませんか!」
アマリアは白い髪の娘を生んだ引け目から、浮気だと疑われる度に、そう否定してきた。間違いなく、リフィアは自分とセルジオスの子供である。それは揺るがない事実だ。しかし――
「なら、セピアはどうなんだ?」
その質問に、アマリアは言葉に詰まる。
「そ、それは……」
リフィアを生んだことで不貞を疑われ、険悪になる夫婦仲。そのような事実は一切ないのにと、当時アマリアは悲しみに暮れていた。
次、次こそは、赤い髪を持った子供を……そう切望し続けたものの、一向に懐妊の気配はない。
それもそうだろう。当時セルジオスとアマリアの夫婦仲は冷えきっていた。月に一回義務的に事を成すと寝室には長居せず、セルジオスはすぐに自室へと戻る。
アマリアが回数を増やして欲しいとお願いしても、耳を傾けなかった。
赤い髪を持つ子を生んで、何とかセルジオスの心を取り戻したい。そう強く願ったアマリアは目的を果たすため、彼と同じ赤い髪を持つ男性の元へ度々訪れては事に及んだ。
全ては愛する夫の愛を取り戻すため。アマリアにとっては、子供さえもただ夫の心を繋ぎ止めるための道具に過ぎなかった。
「『お願いします、あなたの子種をください』そう懇願してきたのはお前だよな、アマリア」
後ろから悠々と歩いてきたヘリオスのその言葉に、アマリアは顔面蒼白になる。
「ち、違うんです、セルジオス様! 私はあなたが喜んでくれる、赤い髪の子を生むために仕方なく!」
「子を孕むまで、兄上と情事に耽っていたと?」
「あくまでも確率を上げるためだったんです! 私が愛しているのはセルジオス様だけなんです! ヘリオス様に頼めば、エヴァン伯爵家の血筋を引いておりますし、守護女神の魔法だって……!」
アマリアが弁明する度に、セルジオスの額には怒りで筋が浮かび上がる。とうとう堪忍袋の緒が切れたセルジオスは、怒鳴った。
「節操なしの女は要らない。アマリア、お前とは離婚する。セピアを連れて直ちに出ていけ。二度と俺の前に現れるな!」
「そ、そんな……」
アマリアはその場に泣きながら崩れ落ちる。そんな彼女に目もくれず、セルジオスは目的の場所へ歩を進めた。
◇
会場にこだまするひどい怒声に、リフィアは反射的にビクッと体を震えさせる。それは昔、小さい頃よく聞いたことのあるものと似ていた。
「あっちの方が騒がしいね。何かあったのかな?」
人集りが出来ている会場の隅を眺めながらオルフェンが言った。
ずんずんとこちらに向かって歩いてくるエヴァン伯爵の姿に、嫌な予感しかしない。もう関わらないで欲しいんだけどね……と、オルフェンは小さくため息をついた。
「リフィア、俺が大事なのはお前だけなんだ。だからどうか頼む! 生まれた子を一人、養子にくれないか?」
「突然何を仰られているのですか!?」
「頼む、二番目の子でいいからこの通りだ!」
「跡継ぎはセピアが居るではありませんか。何故そのような事を……」
「セピアは俺の子ではない。エヴァン伯爵家の血筋を引くのはお前しか居ないのだ。どうか頼む!」
こんなにも切羽詰まった様子の父にお願いをされるのも、頼られるのも、リフィアは初めてだった。
けれど、これだけは譲れない――子供をあげるなんて、絶対にできないことだ。
父に初めて自分の意見を言うのは正直、緊張する。それでも、それだけは伝えねばならない。
「お父様、それは出来ません」
「何故だ!? 我儘は言わない、二人目でいいんだ」
二人目『で』いい。それが我儘ではないと本気で思っている。どこまでも子供を都合の良い道具のようにしか思っていない父の発言が、ただただ悲しかった。
(私は自分の子供に、そんな思いは決してさせたくない!)
「オルフェン様との間に授かった子は、私にとっては大切な子供達です。何人目だろうと、養子に出す事は絶対に出来ません」
はっきりと思いを伝えられた事にほっと息をついたその時、「親の言う事が聞けないのか!?」と鬼の形相で掴みかかってこようとする父の姿が目の前にあった。
咄嗟の事で恐怖に身がすくみ動けない。目をつむると、ドサッと何かが床に倒れた音がした。
「ろくに親の役割も果たさなかった者が、身勝手な事を言うな!」
目を開けると、オルフェンが前に立ち庇ってくれていた。
「お父様、大丈夫ですか!?」
その時、床に尻餅をついた父を見つけたセピアが、エヴァン伯爵の元へ駆け寄った。
立ち上がるのを補助しようとするセピアの手を、エヴァン伯爵は思い切り振り払った。
「俺に触れるな! この節操なしの娘が! 兄上の子供などに家督を譲れるものか! お前は赤の他人だ、二度と俺の前に現れるな!」
父に与えられた任務の事で気が滅入り、体調の優れなかったセピアは先程まで休憩室で休んでいた。
それでも使命を果たさねばと、辛い体に鞭打って会場へと足を運んだ瞬間目にした、父の床に座り込んだ姿。心配して駆けつけてみれば、この仕打ち。セピアから思わず自嘲めいた渇いた笑いが漏れる。
「やはり、そうですか。私は、お父様の娘ではなかったのですね……」
目の端に滲んだ涙を手で拭い、セピアはその場を走り去った。
「待って、セピア!」
リフィアは、思わずセピアを追いかけた。
「付いてこないでください!」
「待って、セピア。お願い、話を……!」
身勝手な父の言い分で悲しむセピアの姿を見て、胸が苦しくなった。
「どうせお姉様も笑っておられるのでしょう!? いいざまだって、蔑んでおられるのでしょう!?」
笑えるわけがなかった。あんな発言をする父の機嫌を取り、今までエヴァン伯爵令嬢として懸命にその務めをはたしてくれた妹を、誰が笑えるだろうか。
セピアは最初から意地悪だったわけじゃない。むしろ最初は、自身と扱いの違う姉を気にかけてくれた。
別邸に隔離される前、リフィアはいつも部屋でひとり食事を取っていた。
それはある時、苛立ちを募らせた父が食堂へやって来たリフィアに対し、『お前の顔を見ると食欲が失せる』と吐いた事がきっかけだった。
機嫌の悪くなる伯爵に使用人達が気を利かせて、翌日からリフィアの分だけ食事を部屋へ運ぶようになった。
『どうしておねえさまは、いっしょにたべないの? ひとりはさみしいよ。いっしょにたべようよ』
急に食堂に来なくなったリフィアに、まだ幼いセピアはそう言って手をさしのべてくれた事がある。
『セピアお嬢様、リフィア様は魔法が使えないご病気なのです。うつったら大変です。だから別なのですよ、さぁ行きましょう』
使用人に連れられ去っていくセピアは振り返って『それならおねえさま、ごびょうきがなおったらまたいっしょにたべようね』と無邪気な笑顔を浮かべてそう言ってくれた。
使用人の言葉を信じて投げ掛けられた、純粋な優しさの籠った言葉だった。そんな優しかったセピアを変えてしまったのは、間違いなく周囲の環境だった。
リフィアに近付いてはいけないと教え込む使用人達に、顔を見ては暴言を浴びせため息をつく両親。それが当たり前だったあの邸の中で、セピアも次第に感化されていってしまった。
まだ善悪の判断さえもうまくつかない幼い子供が、あんな環境でひとり抗えるわけがなかった。それを当たり前だと認識してしまえば、それが正しいと信じるのも無理はない。
そうすることでしか身を守る術を知らなかったのなら、なおさらだろう。
(本当はもっと、セピアとお話がしたかった……)
「違うの、私は……危ない! お願い、止まってセピア!」
リフィアの掛け声は、セピアには届かなかった。必死に手を伸ばしても、掴むことができなかった。
虚しく手が空を切った瞬間、耳を塞ぎたくなるような落下音だけが、そこには響いていた。
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