第33話 薄幸令嬢は仮面公爵に甘えて欲しい

「寒い時期になると、どうしても思い出してしまうんだ。あの時、僕さえ守らなければ父は……っ!」


(オルフェン様はその当時の事を、とても後悔されているのね……)


 呪いを受け連れ去られたアレクシスが今もどこかで生きている確率は、限りなくゼロに近いだろう。

 セレスも言っていた。悪魔に連れ去られた聖女達は、二度と帰って来なかったと。


「アレクシス様はそれだけ、オルフェン様の事を大切にされていたのだと思います。だからどうか、あまりご自身を責めないでください」


 悲しそうに笑うオルフェンの瞳には、悲壮感が浮かんでいた。


「誰も僕を責めないから、あの時何も出来なかった自分自身が悔しくて堪らないんだ」


 その時、オルフェンの周囲に黒いもやのようなものが見えた。オルフェンが憤りを露にする度に、それはどんどん濃くなっていく。


(もしかして、これが弱った心につけこんだ邪気?! 悪夢の元凶なのかしら?)


 強く握られたオルフェンの右手を優しく包み込んで、リフィアは口を開いた。


「辛いことを話してくださり、ありがとうございました。オルフェン様の苦しみや悲しみを、どうか私にも分けていただけませんか?」

「リフィアに、分ける……?」

「アレクシス様は、オルフェン様の成長を誰よりも喜んでおられました。だから少しずつでも前に進んでいけるように、私にも分けて欲しいのです」


 夫婦とは、辛いことも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、分かち合って生きるものだ。リフィアは少しでもオルフェンの苦しみを和らげてあげたかった。


「ありがとう、リフィア」


 オルフェンは目の端に滲む涙を左手で拭った。


「オルフェン様、今は思いっきり泣きましょう! さぁ、私の胸でよければいくらでもお貸ししますので!」


 膝立ちして両手を広げるリフィアに、オルフェンは戸惑いの声を漏らす。


「…………え!?」

「辛い時や悲しい時は、我慢せずに涙と一緒に吐き出した方がいいと思うんです!」

「だ、大丈夫だよ。リフィアに聞いてもらったら、気持ちはかなり楽になったし……」


 遠慮するオルフェンを見て、イレーネのある言葉を思い出した。


(そう言えばオルフェン様は、人に甘える方法をあまり知らないと仰られていたわね。だったら……)


 若干逃げ腰になっているオルフェンの頭を抱き寄せた。いつもしてくれるように優しく頭を撫でると、オルフェンの硬直が少し和らいだように見える。


「オルフェン様はいつも、私を甘やかしてくれるではありませんか。だからたまには甘えてください」

「本当に、敵わないな……ありがとう……」


 それからしばらく、オルフェンは静かに涙を流し続けた。今まで堪えていたものが、堰を切ってあふれだしたかのように。


(オルフェン様の苦しみや悲しみが、少しでも和らぎますように……)




「ありがとう。もう大丈夫だよ」


 顔を上げたオルフェンの回りにあった黒いもやは、いつの間にか薄くなっていた。


(オルフェン様の心が回復したから薄くなったのかしら? でも完全に除去しないと、安心できないわ!)


「ごめんね、リフィア。服が……」


 ぐっしょりと濡れてしまった胸元を見て焦るオルフェンに、「これくらい大丈夫ですよ」とリフィアはにっこり笑って返す。


「それよりもオルフェン様、念のために邪気をお払いしておいても良いですか?」


 濡れた胸元よりも、オルフェンの中に巣くう邪気の存在の方がリフィアには気になった。


「うん。お願いできるかな?」

「はい、お任せください!」


 いざ実行しようとしても、じーっとこちらを見ているオルフェンの顔面の美しさを前にリフィアは固まった。


「あの、オルフェン様。よかったら少しだけ、目を閉じていただけますか?」

「分かった」


 オルフェンが目を閉じたのを確認して、リフィアはほっと胸を撫で下ろす。


(余計な事を考えてはダメ、今は邪気を払う事に集中するのよ!)


 そーっとオルフェンの唇に触れる。しかしその唇は固く閉じられたままだ。


(しまった、隙間がないわ!)


 外側からかけてもあまり意味がないとセレスは言っていた。とはいえ傷口を作ってオルフェンに痛い思いをさせるのは嫌だ。

 それなら口内から流し込めばいいと思ったものの、この閉じられた口をどうやって開けばいいのか……


「ふふ、くすぐったい」


 悩んでいるとオルフェンが笑いだして口が開いた。


(今がチャンスね!)


 しかしその手をオルフェンに掴まえられ、唇から離されてしまった。


「どうやって邪気を払うの?」

「神聖力を体内に直接流せば、払えるそうです。なのでお口から出来ればと……」

「なるほど。じゃあ僕はこの可愛い手を咥えたらいいのかな?」

「く、くわえ……っ!?」


 目の前でリフィアの中指を軽く唇で挟むと、「これでいい?」とオルフェンは視線で訴えてくる。潤んだ瞳でこちらを見上げる美青年に指を咥えられ、リフィアの体温が急上昇した。


(い、いけないものを見てる気分だわ……!)


 顔を赤らめ緊張から指を震わせるリフィアを見て、オルフェンの中にあった理性が揺らいでいた。

 そんな事などつゆしらず、リフィアは邪気を払うべく雑念を払い必死に念じる。


「体内に巣くう邪気よ、どうか綺麗に消え去ってください」


 残った黒いもやが、全て霧散していくのを見てリフィアはほっと安堵のため息を漏らす。


「もう大丈夫だと思います」

「心がスッキリしたよ、ありがとう」

「お役に立てて嬉しいです」


 美しい花のように顔を綻ばせるリフィアに、オルフェンは思わず目を奪われる。


「ねぇ、リフィア」

「はい、何でしょう?」

「さっきの言葉は、まだ有効……?」

「さっきの言葉、ですか?」


 何の事か分からず尋ね返すと、オルフェンが恥ずかしそうに言った。


「……僕に触れて欲しくて待ってたって」


 リフィアは視線を彷徨わせた後、頬を赤く染めて「はい、勿論です!」とはにかみながら答えた。





 客人用に解放されているスターライト城の離宮にて。

 部屋に戻ってきた男は煩わしそうに頭に手を伸ばし、被っていた水色のウィッグを取ってベッドへ放り投げた。

 ソファーにどかっと腰掛けた男は、燃え盛るように赤い髪をかきあげると、喉元を鳴らしてクツクツと笑いだす。


「時は満ちた。さぁ、絶望のプレリュードを奏でようか。惨めに踊ってくれよ、愚かな弟よ」

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