第32話 仮面公爵は亡き父に想いを馳せる(オルフェン視点)

 アレクシス・クロノス。

 王国を脅かす数々の魔物や悪魔を退治しついた呼び名が、ヴィスタリア王国の英雄『黒の剣聖』――それがオルフェンの父だった。


 黒髪をもって生まれ潜在的な魔力量が高い上に、剣術の才能も持ち合わせていた。

 そんな父は緻密なコントロールで魔法を使うよりも、体感的に肉体や剣を魔法で強化して戦うのが得意な脳筋剣士だったとオルフェンは記憶している。


 国王の右腕として絶対的な信頼を得ていた父は、とても忙しい人だった。それでも休日は家族を大切にし、オルフェンによく訓練をつけてくれていた。


「オルフェン。魔法でガーっと体を強くして、剣にシャキーンと魔力を流すんだ」


 魔法を理論で学んだオルフェンにとって、抽象的な擬音を重ねて説明してくる父の言葉は、正直分かりにくかった。


「するとこうだ。剣を一振りするだけで、色んなものが綺麗に吹き飛ぶだろう」


 剣から放たれた凄まじい風の衝撃波で更地になった地面を見て、父が異様に強い事だけは幼心によくわかっていた。剣を一振りするだけで、普通建物はふっ飛ばない。

 オルフェンは小さな足を動かして、目的の場所まで歩くと振り返って口を開く。


「父上、母上が大切にしていた花壇ごと更地になってしまいましたが……」


 屈んでぽんぽんと地面を叩くオルフェンを見て、アレクシスからタラタラと冷や汗が流れ落ちる。


「あ…………やばい、やばいぞ、オルフェン! 魔法で何とか元に戻せないか!?」

「守護女神様の力を使えば良いではありませんか」


 ヴィスタリア王国に古くからある名門貴族には、それぞれ守護女神が宿っている。

 クロノス公爵家には過去を司る女神ウルズの祝福がある。そのためクロノス公爵家の血を引く者であれば、その力を少しだけ借りる事が出来る。


「魔力は人一倍あっても、俺は難しい魔法はさっぱりなんだよー!」


 守護女神の力を借りる魔法を使うには、高い魔力と高度な術式を理解する知能と、繊細な魔力コントロールの技術が要求される。


(神様は父上に魔力と剣の才能を与えはしたけど、その分知能は与えなかったんだな……)


 狼狽える父を見て「最近覚えたばかりなので、失敗しても文句は受け付けませんからね」と前置きして、オルフェンは呪文を唱え始める。


「古の時の番人たる我、オルフェン・クロノスが命じる。過去を司る女神ウルズよ、森羅万象の理を解きて、更地となったこの場所を元に戻したまえ」


 吹き飛んでしまった物置小屋は確かに元通りになったものの、花壇の部分は相変わらず更地のままだった。


「今の僕では、ほんの少し戻すのが限界のようです。すみません、父上」

「すごいじゃないか、オルフェン! 俺はこの年になっても守護女神の魔法は使えないが、お前はわずか六歳にして使えるなんて!」


 しゅんと謝るオルフェンの頭を、アレクシスはがしがしと撫でて嬉しそうに褒め称えた。


「よし、イレーネにも報告しに行くぞ!」


 ひょいっとオルフェンを抱えて、アレクシスはイレーネの元へ走る。


「ち、父上!? それは墓穴を掘る行為ですよ!?」


 花壇を壊した事より息子の成長が嬉しかったアレクシスは、意気揚々とオルフェンの魔法を母に話した。


「ほら、来てくれ!」


 母の手を掴み、再び庭園へと戻り「オルフェンが守護女神の魔法でここまで直してくれたんだよ!」と嬉しそうに話す。


「そうね、オルフェンは確かに凄いわね」


 にっこりと笑っている母の顔が、次の瞬間恐ろしい悪魔のようになった。


「でもね、アレク。訓練は庭でしないで、専用の部屋を使ってねと何度も言ったわよね?」

「あ、いや、それは……自然を感じるのも、大切だろう?」

「自然を壊す姿を当たり前のように見せながら、何を言っているのかしらね?」


 偉大な英雄である父も母には勝てなかった。世界最強はきっと、母に違いない。幼心にオルフェンはそう悟った。


 そうやって喧嘩した後は、庭園には以前より大きな花壇が作られる。討伐任務を受けて遠征に行く父はよく、花が好きな母へのお土産として現地の美しい花の苗を仕入れて持ち帰ってくる。だから王都にあるクロノス公爵邸はいつも、色とりどりの美しい花に囲まれていた。


 しかしそんな幸せは長くは続かなかった。


 オルフェンが八歳を迎えた年の冬。その日はパラパラと雪の降る寒い日だった。

 前日から降り続いた雪の影響で、辺り一面が雪景色となっていた。


「父上、雪が積もっています!」


 窓から外を眺めて、オルフェンは瞳をキラキラと輝かせる。


「オルフェン、雪が積もったのを見るのは初めてか?」

「はい! 初めてです!」


 地方に比べて比較的気温の寒暖差の少ない王都で雪が積もるのは、実に珍しいことだった。


「じゃあ今日の訓練は雪で遊ぶことだ!」


 白い雪で覆われた地面に足跡を付けて遊んだり、雪玉をコロコロと転がして雪だるまを作ったりと父と一緒に雪で遊んだ。


「さぁ、次は実践訓練だ」

「何をするのですか?」


 父は両手で地面の雪をすくって丸めると、それをこちらに向かって投げてくる。物凄い速さで飛んでくる雪玉は軽く凶器だった。


「先に雪玉をぶつけた方の勝ちだ。オルフェン、避けているだけでは勝てないぞ!」

「父上、いきなり卑怯ですよ!」

「魔物はこうして突然襲ってくるからな。オルフェン、魔力で身体を強化して頑張れ」


(そんな無茶な……)


 雪で滑りやすく慣れない足場に、容赦なく雪玉を投げてくる大人げない父。ここは一旦体勢を立て直した方がいいと判断したオルフェンは、風を操り空を飛んで屋根に着地する。


「くっ、そうきたか!」


 悔しそうに叫ぶ父を尻目に、そのまま屋根の上を移動し、裏庭に着地して大きな木の陰に隠れる。


(この木を盾にして、雪玉を投げよう)


 投げやすいようにと、オルフェンは今のうちに雪玉のストックを作っておく事にした。そうして雪玉作りに夢中になっていたせいで、正面に誰かが立っている事に気付くのが遅れた。


「やっと、見つけた……」


 おぞましい声が聞こえて顔を上げると、そこには異形の者が立っていた。

 青白い肌に尖った耳、深海の底のように濃く青い髪を靡かせ不気味に微笑む女が、こちらをじっと見て呟く。


「あれ、小さいのう……縮んだか?」


 魔物は知能が低く喋れない。目の前に立つのが悪魔だと悟った瞬間、オルフェンは魔法で強化した雪玉を思い切り投げた。


「父上! 悪魔です!」


 悪魔が怯んだ隙に走って逃げるも、雪に滑って転んでしまった。


(どうしてこんな所に悪魔が!?)


 普通の悪魔は結界の施された公爵邸はおろか、王都にだって入れないはずだ。それをすり抜ける事が出来るほど、強大な力を持った悪魔なんだと悟った瞬間、肝がすっと冷えて血の気が引いた。


「オルフェン!」


 こちらに走ってくる父の姿を視界に捉え、必死に手を伸ばす。父がその手を掴み立ち上がらせてくれた直後、視界が突然真っ暗になった。


「父上……?」


 悪魔の攻撃から庇うために、父はオルフェンを抱きしめ自身の体を盾にしていた。


「大丈夫だ、オルフェン。いいか、イレーネを連れて、なるべく遠くまで逃げろ。母さんのこと、頼んだぞ」


 コクリと頷くオルフェンの頭を「よし、いい子だ」とアレクシスは優しく微笑んで撫でた。


(母上を連れて、逃げなければ……)


 頭では父の言葉を理解した。しかし体は言うことを聞かなくて、足がすくみその場から動けなかった。


 体を翻し悪魔と対峙する父の背中を見て、オルフェンは愕然とした。


(僕のせいだ……)


 父の背中に突き刺さる無数の氷のつらら。それらがピキピキと音を立てて、父の体を冷気で蝕んでいく。

 悪魔と同じように青白く変化していく父の体を見て、オルフェンの目には涙がたまる。


 それでも父は剣を握り、悪魔に斬りかかる。


「お前は、本当にしつけー悪魔だな」


 呪いのせいで体の動きが鈍った父の攻撃を、悪魔はなんなくかわして反撃をしかける。


(せめて魔法で援護を……)


 手が震え、涙で視界がかすみ、うまく魔法を発動出来ない。その間にも、悪魔は容赦なく父に攻撃を仕掛ける。


「ふふふ、やっと掴まえたぞ。そなたはわらわのコレクションじゃ」


 悪魔は氷のムチで父を縛ると、地面に現れた赤い魔方陣の中へ消えていく。


「ち、父上……っ!」


 悪魔に連れていかれた父は、二度と帰ってこなかった。

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