第29話 薄幸令嬢は世界樹と仲良くなる

「エレフィス様。魔力が苦しいと世界樹様が訴えているのですが、少し止めて頂く事は出来ませんか?」

「はい、お任せください」


 延命させるための魔力装置をエレフィスが止めると、『ふぅーやっと解放された!』と世界樹から元気な声が聞こえた。


 ふわふわとした光る丸い球体がこちらに近付いてくる。両手でそれを受けとると、手のひらの上にちょこんと座る小さな女の子の姿があった。


「ありがとう、リフィア。あなたのおかげで、何とか分身を作れるまでに回復したよ」


 にこーっと笑いかけてくる少女が背中の翼を羽ばたかせると、ウェーブのかかった長い緑色の髪がふわふわと揺れる。少女はエレフィスの方に向き直ると、ビシッと人差し指を突き立てた。


「もう! 苦しかったんだからね! 無理やりセレスの時間を止めないでよ! 魔術師なんて大嫌い!」

「も、申し訳ありませんでした。ですが世界樹様、貴方を延命させるために我々は……」

「それは人間側の都合でしょ! セレスのところには聖女さえ来てくれたらいいの!」


 少女はリフィアの腕にガシッとしがみつくと、すりすりと頬擦りする。


「聖女は皆、セレスをおいて居なくなる。約束しても来てくれない……!」


 ぽろぽろと涙を流し始めたセレスに、リフィアはオロオロと慌てふためく。


「セレス様、私達の生活を守るために、無理を強いて辛い思いをさせて誠に申し訳ありませんでした」

「違うの、そうじゃないの……っ! 確かにそれも辛かったけど、私はリフィアがまた来てくれた事が嬉しいの!」

「私が、ですか?」

「今まで来てくれた聖女は、約束しても決して二度は来てくれなかった。長い長い時を待って来てくれた別の聖女も同じ。私を復活させた後、皆決まって悪魔に連れ去られてしまうんだもの!」

「あ、悪魔にですか?!」

「そうよ。私達を復活させてくれる聖女は、悪魔にとって天敵なの」


 オルフェンにかけられていたバジリスクの呪いも、元は蛇の悪魔がかけたものだった。

 十年もの間、その呪いに苦しみ弱りきったオルフェンの姿を実際に目にしていたリフィアには、セレスが悪魔を怖れるのもよく分かる気がした。


 あの呪いは、オルフェンだったからこそあそこまで抑える事が出来た。そんな危険な存在が自分を目の敵のように狙っていると思うと、思わずぞくりと背中に寒気を感じた。


(外出の時、オルフェン様が気を張っておられるのはそのせいだったのね……)


「ご安心ください、セレス様。高度な結界を施しておりますので、このイシス大神殿内に悪しき者は侵入できません。リフィア様の身の安全は我々が、責任をもってお預かりしております」

「あなたが今の責任者?」

「はい。イシス大神殿の教皇を仰せつかっております、エレフィス・ルミエールと申します」

「リフィアのこと、ぜーったい守ってね……じゃないと、承知しないん……だから……」


 そう言い残して、セレスの小さな体が目の前で砂塵のようにパラパラと消えてしまった。


「セレス様……!?」

「分身を長時間保てるほどの力が、まだ回復されていないのでしょう」

「エレフィス様。セレス様の体が回復されるように出来るだけ毎日通うようにしますので、延命装置を止める事は出来ませんか?」


 無理やり延命されるのは、セレスにとって苦痛を伴う行為だと知ってしまったからには、何とかしてあげたかった。


「分かりました。しばらくはそのように出来るよう掛け合ってみましょう」

「はい、お願いします」


 それからリフィアは時間の許す限り、祈りを捧げにセレスの元へ通うようになった。


「セレス様、先日初めて刺繍に挑戦したんです」


 オルフェンに可愛い動物の作り物をプレゼントしたい。ミアに相談して勧めてもらったのが動物の刺繍だった。


『狩猟大会などではよく、安全祈願に刺繍をいれたハンカチを女性から男性へプレゼントする習慣があるんです! 最近は旦那様の所へ魔物討伐要請がよく来ますし、安全祈願もかけてお渡しするのはいかがでしょう?』


 そんな素敵な提案にのって始めた刺繍。基礎を教えてもらって暇な時間にコツコツとやり始めたら、存外楽しくリフィアはのめり込んでいた。


「刺繍ってなーに?」

「布に糸を縫って模様を描いていくのですよ」

「私も見てみたいな!」

「それでは明日、刺繍セットを持ってきますね」

「うん、楽しみ!」


 翌日、リフィアは刺繍セットを持ってセレスの元を訪れた。


「刺繍ってとても根気がいるのね」


 チクチクと布に針を刺していくリフィアの手元を見て、セレスがむむっと眉間に皺を寄せる。


「はい。でも一針一針思いを込めて縫うのはとても楽しいんですよ」


 別邸に隔離されていた頃、ボロ着を再利用して使っていたリフィアは、針の扱いには慣れていた。しかしそれはあくまでも生活のため。

 大切な人の事を思って作るものがこんなに楽しいんだって知ってからは、ますます刺繍の虜になった。


「そうなのね。リフィアが楽しいなら私も嬉しい」


 こうしてセレスの元を訪れ、刺繍をしながら一緒に過ごすのがリフィアの日常になっていった。


 一ヶ月も経つ頃には分身を保てる時間も増え、ゆっくりとお喋りを楽しめるほどセレスの状態は回復していた。


「それ、誰かにあげるの?」

「はい! 可愛い動物の刺繍をして、オルフェン様にプレゼントしたいんです」

「リフィア。私にはそれ、勇ましい猛獣にしか見えないのだけど……」


 迫力満点の獅子の刺繍を施すリフィアの手元を見て、セレスが苦笑いしている。


「可愛く、ないでしょうか?」

「いや、ううん、可愛い! 可愛いわ! オルフェンもきっと喜ぶわよ!」

「はい、楽しみです!」

「完成したら、私が加護をかけてあげるわ」

「よろしいのですか?」

「だって外でリフィアを危険から守れるのは、彼しか居ないでしょう? 死んでもらったら、困るもの」


 過去を思い出したのか、セレスは悲しそうに目を伏せた。


「セレス様、オルフェン様はとても強いんです。だから大丈夫ですよ」

「うん、そうよね。黒髪の魔術師は、簡単には死なない。それでも保険をかけておくのは、大事だわ」

「ありがとうございます、セレス様」

「あなたに会えなくなるのは悲しいもの。そう、私は自分のためにやってるの! だからお礼なんていいの!」


 セレスは小さな身体をわたわたさせている。


(ふふふ、セレス様は照れ屋さんなのね)





 夜が更けた頃。夕食や湯浴みを済ませたリフィアは、自室でチクチクと針仕事に勤しんでいた。


「よし、出来たわ!」


 完成したハンカチを高く掲げ、おかしな所がないか入念にチェックして綺麗に畳んだ。


(明日、セレス様に祝福をかけてもらってオルフェン様にお渡ししよう!)


 翌日の夜、セレスの祝福を受けたハンカチを綺麗にラッピングして、オルフェンの元を訪ねた。


 ノックをしても反応がない。どうやらまだ自室に戻っていないようだった。


(まだお仕事中なのね……後で寝室に来られた時にでもお渡ししよう)


 部屋に戻ろうとしたら、「リフィア……?」と後ろから名前を呼ばれた。


「もしかして僕に何か用だった? ごめんね、今戻ってきたんだ」


 黒い軍服を着用しているオルフェンを見て、リフィアが尋ねた。


「外出されていたのですか?」

「うん、急ぎの魔物討伐依頼があってね。リフィアのおかげで以前よりはかなり減ったんだけど、放っておくと被害が拡大するからね」


 魔物は夜に活動が活発になる。どうしても王国魔術師団の手に負えない魔物や悪魔が出た時は、オルフェンの元に緊急要請が飛んできていた。


「オルフェン様、手にお怪我が……!」

「た、単なる切り傷だから大丈夫だよ」


 余計な心配をさせまいと、慌てた様子でオルフェンは手を隠した。


 手に持っていたハンカチの箱をガウンの大きなポケットにしまい、「私が治します!」とリフィアは逃がすまいとオルフェンの手を握りしめる。


「人々のためにその身をとして、勇敢に戦うオルフェン様に、深く感謝いたします」


 神聖力がオルフェンの怪我を綺麗に治した。


「ありがとう、リフィア」

「お礼を言うのは、私の方です」


 ポケットからラッピングしたハンカチの箱を取り出し、オルフェンに差し出した。


「オルフェン様。いつもありがとうございます。日頃の感謝を込めて、一生懸命作ったのですが、受け取ってもらえますか?」

「リフィアの手作り?! 嬉しいな! 何が入っているんだろう」


 嬉しそうにプレゼントを開封したオルフェンは、獅子の刺繍入りハンカチを見て瞳を輝かせる。


「すごくかっこいいライオンだね! ありがとう、リフィア!」


 喜ぶオルフェンの前で、リフィアから笑顔が消えていく。


「可愛い猫……のつもりで縫ったのですが……」

「……え!? 猫だったの!?」


 しまったと狼狽えるオルフェンから、「今すぐ作り直してきます!」とハンカチを奪おうとするも身長差があり届かない。


「その必要はないよ。リフィアが一生懸命作ってくれたものは、何でも嬉しいから。宝物にするね」


 大事に宝箱にしまっておかないと……そう呟くオルフェンに、リフィアは慌てて待ったをかける。


「オルフェン様、出来ればそちらは普段使いに持ち歩いていただけると嬉しいです。そうしたらまた、プレゼント出来ますので……」

「僕のために、また作ってくれるの?」

「ご迷惑でなければ是非……刺繍するのが楽しいんです」

「ありがとう。とても嬉しいよ! ちなみにリフィア、この猫は何を参考にして縫ってくれたの?」

「ミアが勧めてくれた『かわいい獣図鑑』です!」

「あー……なるほど、ね」


 リフィアの可愛いの基準がズレていたのは、オルフェンが人前で可愛らしい動物の刺繍の施されたハンカチを使うのは恥ずかしいだろうと、ミアが気を利かせてくれた結果だった。


 かわいい獣図鑑に出てくる獣は全て可愛い。そう思い込んでいるリフィアにオルフェンは後日、一冊の本をプレゼントした。


『かわいい小動物図鑑』


 比較的小さい動物達のかわいい姿が納められた本を見て、リフィアのかわいいの概念は無事アップデートされたのであった。

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