第9話 薄幸令嬢は知識をアップデートした
「オルフェン様。はい、あーん」
そばに寄り添い、リフィアは小さくカットした鶏のソテーをフォークに刺して差し出す。食べやすいように柔らかく煮込まれたそのソテーは、消化にも良い一品だ。
「あ、あの……これは、一体……!?」
左手を下に添えて笑顔でフォークを握るリフィアに、オルフェンは困惑していた。
「私、オルフェン様の右手になりたいんです! だから、食べてもらえませんか?」
「じ、自分でやるから……」
「オルフェン様、仰ってくださいましたよね? やりたい事は何でも教えてねって」
「た、確かに言ったね……」
「私、オルフェン様にもっとたくさん召し上がって頂きたいんです」
うるうると青い瞳を揺らすリフィアを前にオルフェンが逆らえるはずもなく、恥ずかしそうに耳を赤く染めながらもパクッと口に含んだ。
「いかがですか? 美味しいですか?」
リフィアは満面の笑みを浮かべて尋ねる。羞恥に悶え味なんて気にしている余裕がなさそうなオルフェンだが、そんな笑顔を向けられてしまえばこう言うしかないだろう。
「う、うん。美味しかったよ」
「じゃあ、今度はこっちのスープも是非!」
多少強引でも、食べてもらえた事が嬉しかったリフィアは止まらない。
しかしリフィアに食べさせてもらう事が恥ずかしいようで、オルフェンはささやかな抵抗をしていた。
「こ、今度は自分で……」
「仲の良いカップルはこうして食べさせてあげるのが普通なのです! ですからオルフェン様、遠慮しないでください」
「だ、だが……」
本で得た『ラブラブカップル』の知識を実行するリフィアに、オルフェンはたじたじだった。
(あまり無理強いしては駄目よね……)
少しずつでも着実に!
半分は残っちゃったけど焦りは禁物だと、リフィアは自分に言い聞かせる。
そんなリフィアに侍女のミアがこっこりと耳打ちして、とんでもない爆弾を投下してきた。
「リフィア様、いまの流行は口移しです!」
「口移し?」
聞きなれない単語に、リフィアは首をかしげる。
「よかったら私がおすすめの本をお貸ししますので、是非読まれて下さい!」
その日の晩、ミアに借りた恋愛小説の本を読んだリフィアは、知識をアップデートした。
(い、今のカップル……すごい……)
はたして自分に出来るのか不安になるも、これもオルフェンのためだと言い聞かせながら、その日は眠りについた。
◇
翌日。トントンとノックをして、オルフェンの寝室の扉を開ける。
「おはようございます、オルフェン様」
「おはよう、リフィア」
カーテンを開けて、朝日を浴びながら朝の始まりを実感する。
「今日も良いお天気ですね」
「そうだね。こんな日は外を散歩出来たら気持ち良いんだけどね……」
杖をつかないと歩くのがおぼつかないオルフェンは、あまり部屋からも出なくなったとイレーネが言っていたのをリフィアは思い出した。寝たきりの生活に、食事もろくに食べていなかったら、体がふらつくのも無理はない。
「私が必ず治してみませす。だからオルフェン様、元気になったら一緒に庭園をお散歩しましょうね!」
「うん、ありがとう」
オルフェンの右手を両手で包み込んで、今日もリフィアは心を込めて祈りを捧げる。しかしその日も、呪いは解けなかった。
「朝食をお持ちしました」
いつも通りにコルトが綺麗にセッティングしてくれて、オルフェンをテーブル席まで補助する。紅茶を淹れてもらったら、今日は一旦退出してもらった。
オルフェンの隣の席につき、リフィアは緊張した面持ちで話しかけた。
「オルフェン様、一つお願いがあります」
「どうしたんだい?」
「少しだけ、手以外の箇所に触れても構いませんか?」
「うん、構わないよ」
「ありがとうございます」
リフィアは数種の野菜を細かくすり潰した特製ポタージュを、スプーンでひとさじすくう。湯気を放つポタージュはまだ熱そうで、フーフーと息を吹き掛けて冷ました。
先程の質問の意味は何だったのかとオルフェンが不思議そうにこちらを見ている頃、リフィアはポタージュをパクリと自身の口に含んだ。
スプーンを皿に戻したリフィアは、オルフェンの方に向き直ると、彼の頭を抱えるように両手を伸ばす。
動かないようにオルフェンの頭を両手で包み込んで、昨日ミアに教えてもらった『口移し』を実行に移したのだった。
本当に一瞬の出来事だった。反射的にオルフェンはごくんと喉をならして飲み込んだ。
「いかが、でしたでしょう?」
頬を赤く染めながら問いかけるリフィアを見て、オルフェンの顔も負けず劣らず真っ赤になっていた。
「あーんは古かったのです。今の流行は、この『口移し』らしいのです!」
手をわたわたとさせながら必死に説明する可愛いリフィアを見て、オルフェンは思わず胸を抑えた。
「すごく幸せ……なんだけど、その……胸の動悸が収まらないから、僕達はまだ『あーん』の方が良いのかもしれない」
「オルフェン様、私も今すごくドキドキしています……!」
その日から、オルフェンはリフィアの『あーん』を素直に受け入れるようになったのだった。
リフィアのそんな献身的な看病のおかげか、部屋に閉じ籠りがちだったオルフェンの体力は戻り始め、少しずつ体調の良い日が増えていった。
少しずつ行動範囲を広げ、半年も経つ頃には念願だった庭園の散歩も二人でのんびり楽しめるようになった。
「オルフェン様、一緒にお散歩しましょう!」
手を繋いで仲良く庭園を散歩するオルフェンとリフィアの姿を、使用人達は微笑ましく見つめ、イレーネは感動で涙を流しながら二人の様子を見守っていた。
「見てください、オルフェン様。珍しい青い薔薇が咲いています! とても綺麗ですよ」
「リフィアの美しい瞳と同じ色の薔薇を、庭師に頼んで植えてもらったんだ。気に入ってもらえてよかった」
育てるのが難しく、昔は『不可能』という花言葉を持っていた青い薔薇。その希少価値は非常に高く、オルフェンの夢を叶えるべく庭師達が頑張ったまさに汗と涙の賜物だった。
「まぁ、そうだったのですね! ありがとうございます。隣にはオルフェン様の瞳と同じ綺麗な紫色の薔薇も咲いていて、とても素敵です!」
オルフェンは優しく目を細めて、愛おしそうにリフィアの頭を撫でた。
「いつまでも君と一緒に居たいっていう気持ちを込めて、隣に植えてもらったんだ。毎年、この時期にはきっと並んで咲くはずだよ。たとえこの身が朽ちてしまっても、リフィアが寂しくないように……」
「オルフェン様……そのお心遣いとても嬉しいです。でも私はオルフェン様ともっと一緒に過ごしたいです。だからずっと、私の傍に居てください」
リフィアはオルフェンの右腕にぎゅっとしがみつくように抱きついた。シャツ越しでも分かる、硬いオルフェンの右腕に頬を寄せる。
「ありがとう、リフィア。君が傍に居てくれて、僕はとても幸せだ」
「私だって、オルフェン様とこうして綺麗な庭園を散歩出来るようになって、とても幸せです! 今まで出来なかった事を、オルフェン様とこれからもっと一緒にやりたいです! 貴方の傍で掴めたこの幸せに、私はとても感謝しています。本当にありがとうございます」
(だから、この身が朽ちてしまってもなんて言わないで……)
リフィアの瞳からこぼれた涙が頬をつたってオルフェンの右腕に触れたその時、また奇跡が起こる。
目映い光りに包まれて、硬い鱗に覆われていたオルフェンの右腕が綺麗に元通りになった。
「オルフェン様、腕が!」
右肘を曲げたり伸ばしたりして、オルフェンは右腕が自由に動くようになった事を確かめる。
「ありがとう、リフィア。君のおかげだ。ずっとこうしたかったんだ」
オルフェンは、リフィアの体を両手できつく抱き締めた。
「大好きな君を、この手で抱き締めたかった……」
小刻みに震えるオルフェンの背中に、リフィアも手を回してぎゅっと抱き締め返す。幸せを噛み締め合うように、しばらく二人はそうして抱き合っていた。
春の暖かな風に揺られて、甘い薔薇の香りが舞い優しく包み込む。
しかしそこでリフィアは、一つの楽しみが無くなってしまった事に気付いた。
「オルフェン様、利き手が動かせるようになったという事は、お食事も自分で食べれます……よね?」
「そうだね。今度は僕がリフィアに『あーん』してあげるね」
「…………え? いや、それは私の楽しみで……」
「いやーすごく楽しみだなー!」
その後、オルフェンは自身の膝にリフィアを座らせて『あーん』して食事を食べさせるようになった。
(食べさせてる時は全然恥ずかしくなかったのに、逆だととても恥ずかしいわ!)
最初にオルフェンが抵抗していた理由を身を持って知ったリフィアであった。
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