第8話 仮面公爵の食事を改善しよう

 その日から、クロノス公爵邸の雰囲気に変化が訪れる。閑散として静寂に包まれていた邸は、明るい声で賑やかになっていった。


 どんな名医を呼び寄せても、大神殿で最高指導者の教皇に祈りを捧げてもらっても治らなかった呪いが、部分的ではあるが治った。その事実が、イレーネと使用人達の希望となったのだ。


 オルフェンの手をとって、リフィアは毎日お祈りをするようになった。けれどもあの時のように、硬鱗化した腕がそう簡単に治る事はない。


「楽になったよ。ありがとう、リフィア」


 ほんの少し、オルフェンの呪いの痛みを和らげる事しか出来なかった。


(私の力が弱いせいね。どうしたら神聖力をもっと使えるようになるのかしら……)


「それなら良いのですが……」


 ベッドに横たわったオルフェンの体を起こすのを手伝っていると、ノックが鳴った。


「朝食をお持ちしました」


 使用人のコルトが食事を持ってきた。リフィアより二、三歳は年下の優しそうな顔立ちをした少年だ。ジョセフの息子で、執事見習いとして仕えているらしい。

 少し緊張した面持ちのコルトは、ワゴンからテーブルに慎重に二人分の食事を並べている。綺麗に配置が終わると、安心したようにふうと一息ついた。


 ささっとオルフェンの前に移動したコルトは「こちらをどうぞ」と杖を差し出す。


「ありがとう」


 杖を受け取ったオルフェンは、立ち上がるとテーブルまでゆっくりと歩く。オルフェンが転ばないように、コルトは近くで彼を支えていた。


 痩せてはいても、オルフェンはリフィアより頭一つ分ほど高く身長差がある。


 歩いて移動する時だけは、オルフェンはリフィアに離れるようにお願いしていた。それはもし転んで巻き込んだら、怪我をさせてしまう可能性があるからと、リフィアを心配しての事だった。


 リフィアが来るまで、オルフェンの身の回りの世話は、コルトが主にやっていたそうだ。オルフェン自身があまり女性を近付けたくなかったのにプラスして、コルトが自分からやらせてくれと父ジョセフに懇願したのもあるらしい。


 子供の頃にオルフェンによく遊んでもらった記憶のあるコルトは、彼によく懐いていた。呪いにかかった後も、大きくなったら父の後を継いでオルフェンに仕えたいと日々、執事見習いとして仕事に励んでいた。


 オルフェンが呪いにかかり、使用人の約半分は気味が悪いと辞めていった。必然的に忠義を持って支えたいと思っている者達だけが、クロノス公爵家に残ったとイレーネが教えてくれた。


「リフィア様もどうぞお席へ。父に何度もしごかれて俺、紅茶淹れるのだけは得意ですから!」 

「ええ。ありがとう、コルト」


(ミアの出してくれる紅茶も美味しいし、クロノス公爵家の使用人のスキルはかなり洗練されているわね)


 温かい紅茶を注いでもらい、オルフェンと一緒に朝食をとった。しかしそこでリフィアは、一つの心配事を見つけた。


 それはオルフェンの食があまりにも細い事だった。肉料理やスープ、サラダにはほぼ手を付けず、紅茶を飲み、パンを少しかじって終了。食卓に並べられた豪華な料理のほとんどは、手をつけられる事がなかった。


「オルフェン様、もう召し上がらないのですか?」

「うん……あまり、食欲がないんだ」


 こんな食生活を続けていては、オルフェンの体が持たない。そう判断したリフィアは、オルフェンが休んでいる間にイレーネに相談する事にした。


「……という事なのです。このままでは、オルフェン様の体が心配で……」

「事情は分かったわ。教えてくれてありがとう、リフィアさん。そうね、主治医と料理長を呼んで皆で作戦会議をしましょう!」


 イレーネはすぐに手配をし、午後から主治医と料理長を呼んで、現状を共有してくれた。


「旦那様の食の細さは、俺も心配していたんです。何とか食べて頂こうと、味の研究に奮闘したのですが、効果がなくて……」


 クロノス公爵家で料理長を務めるアイザックが、そう言って悔しそうに拳を震わせる。


「気を落とす事ないわ、アイザック。貴方の作る食事はとても美味しいもの」

「そうですよ! あんなに美味しい料理、初めて食べました!」

「そう言って頂けて嬉しい限りです。しかし俺は、旦那様にももっと食べて頂きたい!」


 冷静に皆の話を聞いていた主治医のロイドが口を開く。


「オルフェン様の硬鱗化は右腕まで進行しております。自分の意思で少しでも動かすのはかなりの苦痛を伴う行為のようでした。差し支えなければ、今朝の朝食のメニューを教えて頂けませんか?」

「今朝のメニューは、三種の焼きたてパン、コールスローサラダ、子牛のソテー、ポークパイ、コーンのポタージュ、ベリーのマフィン、フルーツ盛り合わせです」

「リフィア様、オルフェン様はカトラリーを使われましたか?」

「いえ。パンを摘ままれた後に、紅茶を飲まれただけです……オルフェン様の利き手は右手でしょうか?」


 ティーカップを掴むのも、少したどたどしい手つきだったのを、リフィアは思い出した。

 リフィアの質問に、「ええ、そうよ」とイレーネが頷く。


「もしかしてオルフェン様は、利き手ではない手で食べるのに慣れていらっしゃらないから……」

「可能性は大いにあります。子供の頃からオルフェン様は、とても気品溢れる方でした。いまさら一から慣れない手で食事をするのが、耐えられなかったのかもしれません……」


 主治医のロイドが、そう言って目を伏せた。


「つまりいくら味を改善したって、そもそも口に入らなければ意味がなかったという事か……」


 あまりにショックだったのか、アイザックは頭を抱えてしゃがみこんでしまった。


「しばらくは、栄養のある食べやすい食事を少量から始め、少しずつ増やしていきましょう。問題は、どうやって食べて頂くか……ですね」


 顎に手を掛けながら、ロイドは思考を巡らせている。


「それなら私が、オルフェン様の右手の代わりになります! そうしたら、食べて頂けないでしょうか?」


 左手を使えるようにする事も大事だが、まずは少しでも食べてもらう事の方が優先度が高い。あの食生活を続けては、体の調子が余計に悪化するのは誰の目に見ても明らかだった。


「なるほど、確かにリフィア様なら可能かもしれません。いえむしろ、貴方にしか出来ないと言っても過言ではないでしょう!」

「そうね。オルフェンは昔から何でも自分でしたがる子で、あまり手もかからなかったわ。だから人に甘える方法を、あまり知らないのよ。リフィアさん、お願いしても良いかしら?」

「はい、お任せください!」


 アイザックはロイドに、積極的に摂取したがいい食材を聞いて、それを元にメニュー開発を行った。味見役をリフィアとイレーネが担当し、食べやすさを確認した上で、オルフェンの元に出される事となった。


 こうして全ての準備が整った。オルフェンのプライドを傷付けずに栄養のあるご飯をきちんと食べてもらう作戦を、リフィアは実行に移した。

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