エピローグ

再出発

 現役警視副総監とその息子である警部が逮捕された事件は全国に報道され、警察の信頼に大きく傷を付ける結果となった。


 報道番組ではコメンテーターが苦言を呈し、マスコミは雪平の過去を調べては事実でないことまで憶測で報道し、インターネット上にはあることないこと、様々な類の情報が出回った。


 その後の捜査で明らかになったのは、警視副総監であった四ノ宮冬季の悪事だった。彼は息子の雪平が九蔵と繋がっていて、警察の捜査情報を流しながらうまく殺人犯を逃していたことを知っていた。


 大阪で殺害された沖田時乃の捜査を止めたのは冬季だった。九蔵が犯人であることを知っている大阪府警に圧力をかけて、東京にいる犯人の捜査を警視庁で引き受けるという名目で捜査を強制的に中止させた。


 これまで雪平がしてきた警察官として許されない行為の数々を権力で隠してきた。しかし、彼が暴走を始めたことを知った冬季は、これ以上隠し通すことは難しいと判断して実の息子である雪平をその手で殺害することにした。


 海渡は美優のふりをした女と夜景を見にいく予定だった日、その場所に雪平がいることを峯山に伝え、それを本庁に報告させた。その情報は当然上層部に届き、冬季はその場所に向かって雪平を消そうと考えた。


 それは海渡の罠で、峯山にはその現場でふたりを確保するように頼んだ。現行犯でないとまた権力を使ってうまく逃れられる恐れがあったからだ。



 「海渡くんは当分お休みですか?」


 「今回のことでさすがにこたえたみたいね。しばらく有給とるって言ってた」



 咲良と花束を持った紅音は墓地を訪れた。バケツに水を汲み、それを右手に持った裕武が後ろを歩く。


 咲良が夕月の墓に参りたいと紅音に言ったことで、裕武を含めた三人で訪れることになった。


 夕月は最後に咲良の身体に憑依して紅音と裕武に本心を伝えてから姿を現すことはなかった。だが、峯山が四ノ宮親子を確保した現場で夕月の姿を見たと言っていた。


 彼に霊感はないし、それが真実かただの見間違いかもわからないと彼は言っていたが、咲良は峯山の言葉は正しいと信じた。刑事になりたいと願った夕月なら、一度関わった事件は最後まで見届けたいと思っても不思議じゃない。


 雪平が逃げているとき、突然大声を上げて誰もいない場所に拳銃を向けて発砲したという報告も上がっていた。峯山は、まるで雪平が九蔵と話しているようだったと証言した。


 咲良にしか見えないと思っていたものが、何かの条件が合うことで他の人に見えることがあるのかもしれない。


 真偽は不明だが、この世には理屈だけで説明できないことがたくさんある。


 三鷹と彫られた墓石の前に到着し、三人は墓周りの掃除をして花筒の水を変え、持ってきた花を立てた。線香に火を付けて筒に立てると、煙がゆらゆらと空に向かって昇っていく。



 夕月さん。あなたの協力のおかげで事件は解決しました。本当にありがとうございます。どうか安らかにお休みください。



 咲良は目を閉じて両手を合わせ、優秀な捜査官に協力のお礼を伝えた。その隣で紅音と裕武が手を合わせる。ふたりが何を思っているのか、それが咲良に伝わることはない。



 「お姉ちゃん、また来るね」



 紅音は微笑んで、姉が眠る墓石に語りかけた。



 「咲良ちゃん、来てくれてありがとう」


 「いえ、夕月さんにお礼を伝えたかったので」


 「では、帰りましょうか」



 三人は最後に夕月が眠る場所を見た後、墓地を去った。そっと彼女たちの背中を押すように、優しい風が吹いた。


 これまで疎ましく感じていた霊感という力が海渡だけでなく紅音と裕武の心も救った。


 私はこれからも刑事を続ける。そして、夕月がなりたかった刑事に、紅音や裕武のような被害者のために全力で悪に立ち向かう刑事になりたい。




 海渡は大学の正門で歩道の柵に座って行き交う人々を眺めていた。


 これだけ大きい大学だと普段見慣れない人がいても、誰もその非日常には気付かない。海渡の容姿なら、ただ友人を待っている学生にしか見えない。


 事件が解決し、しばらく休みをとることにした。気持ちを整理をしたいし、何より疲労が溜まっていた。


 十五年前の現場に行っても当時の様子を見せられることはなくなった。場所に残る記憶は、その場所にいた人の願いでもある。だから、彼らはもう見せる必要がないと判断したのかもしれない。


 峯山は雪平の逮捕に安堵していたようだが、その裏には悲壮が見えた。あれでも雪平のことを気にかけていたようで、不器用ながらに努力していた姿に力になれることはしてやりたいと考えていたのだ。


 このような不本意な結果になったことは非常に残念だ。


 休暇の前日に咲良に会ったが、彼女もいろいろと悩みがあるそうだ。ずっと仲良くしていた四ノ宮家が崩壊することになり、冬季の妻は精神に異常をきたし、倒れたらしい。


 咲良は自分にできることをすると毎日見舞いに行って話し相手になっている。犯罪者の家族に対する風当たりは強い。特に現役の警察官が殺人に関わっていたとなると世間からの注目が大きいこともあって、今後しばらく自由に出歩くことはできないだろう。


 海渡がひとりひとり学生の顔を見ていると、その人は正門から出てきた。


 いけないことだと思いつつも、海渡は衝動に逆らえずに柵から降りてその人に近付いた。



 「あの」


 「はい?」



 海渡が話しかけると、その女性は振り返ってこちらを見た。十五年前、謙人と佑が救った命が目の前にある。



 「奥寺美優さん、ですか?」


 「はい、そうですけど」



 突然知らない人から話しかけられたら当然困惑する。咄嗟に身体が動いたものの、海渡は何を言おうかまったく考えていなかった。



 「今、幸せですか?」


 「え?」



 どうしても知りたかったことだが、この聞き方では怪しい宗教の勧誘かと疑われてしまう。


 海渡は諦めた。


 やはり、彼女の人生に関わるべきじゃない。



 「いや、ごめんなさい。なんでもないです」



 警察関係者が不審者になってどうする。


 美優のふりをしていたあの女はまったく無関係の人間だった。雪平に金を渡され、特に個人的な理由もなく指示通りに動いただけ。


 少なくとも毎日を生きている本物の彼女を見れただけで満足だった。謙人と佑が紡いだ命が、こうやって懸命に日々を歩んでいる。きっとふたりも喜んでいるはずだ。



 「あの」



 その場を去ろうとした海渡に女性が声をかけた。今度は海渡が振り返って彼女を見る。



 「幸せです。今はとても」



 美優はそう言うと一礼して眩しいほどの笑顔を見せると背中を向け、再び歩道を進み始めた。


 その言葉だけで、これまでの後悔も苦痛も、すべてが報われたようだった。



 「海、やったな!」



 どこからともなく聞こえたその声は、すべてを洗い流すように海渡の耳元を駆け抜けてどこかへ飛んでいった。


 彼らはいつもそばにいる。恐れることはない。


 いつか、彼らのもとへと旅立つ日まで。


 迷うな、進め。




 Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SPIRITRACE がみ @Tomo0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ