46. 白影
「この先に夜景スポットがあるの?」
「はい、友人から聞いたんです」
「なんか幽霊でも出そうな感じ」
「海渡さんはそういうの信じる人なんですか」
「信じざるを得ないというか・・・」
海渡は咲良のことを思い出したが、美優は不思議そうに首を傾げた。
実際に幽霊から手掛かりを得て何度か事件を解決したなどと話しても信じてはくれないだろう。
ふたりが進む道のりは舗装されているが、所々に穴が空いているような道だった。美優はわざわざレンタカーを借りて海渡を迎えにきた。
車両で通るには不安な幅の道だったので、適当な場所に車両を止めて置いてきた。こんな場所に駐禁を切るような人間は寄り付かない。警察関係者としてそんな考えを持っていてはいけないのだが、今はそれよりも大切なことがある。
夜景が見えるというほど高い場所でもなさそうだが、辺りは暗く、離れた場所に見える街が夜景として輝いている様子が見えるのかもしれない。
しばらく歩くと、コンクリートで作られた建物があった。
心霊スポットと呼ばれそうなほどに不気味な出立をしたその物体は、海渡と美優を歓迎するかのように月明かりに浮かぶ。
「もしかして、中に入るの?」
「はい、あの建物から綺麗な夜景が見えるらしいんですけど、ここまで不気味だとは思ってませんでした。引き返しますか?」
「せっかく来たんだし、覗いて行こうか。まずそうなら入らないでおこう」
「すみません。海渡さんに喜んでもらいたかったんですけど。こんなことならいつも通りにカフェに誘っておけばよかったです」
「気持ちはありがたくもらっておくよ」
男が好きな女にかっこいいところを見せるために心霊スポットに誘うことはよくあることらしい。結局何も起こらないが、怖がる相手との距離が縮まって吊り橋効果というもので恋愛が成就するなんて馬鹿げたこともある。
咲良が相手なら、馬鹿にするなと顔を引っ叩かれそうだ。
廃屋という言葉がよく似合うその建物は、窓や扉は付いていて荒らされた形跡もない。若者が集まるには適しているように見えるが、落書きもなければゴミも落ちていなかった。
海渡がドアノブに手を掛けて回すと、鍵はかかっておらず扉が開いた。中を覗いても真っ暗で何も見えない。
「入れそうだね」
「二階から見える景色が綺麗だと言ってました」
海渡はスマホのライトを点けて辺りを見渡した。廊下がまっすぐ伸びていて、左右に扉が並んでいる。部屋がいくつかあるらしい。
二階ということは、どこかに階段があるのか。
咲良がいれば、誰かと出会うことがあるかもしれない。ふとそう考えると、鳥肌が立った。
「海渡さん?」
「なんでもない」
ふたりは廊下をまっすぐ進み、階段を発見した。海渡は二階に続く階段をライトで照らす。
「上がろうか」
「大丈夫でしょうか?」
美優は海渡の左腕に両腕を絡ませて密着した。それだけで、海渡は恐怖とは違う理由で心拍数が上がる。
「この先に夜景があるんだよね?」
「そうですね。行きましょう」
階段を上り切ったふたりが前方を見ると、廊下の先にある窓から入る光が目に入った。それは、遠くに見える綾瀬の街だった。
「本当に夜景が見えるんだ」
「信じてなかったんですか?」
「半分信じてたよ」
「半分は疑ってたんですね」
ふたりはまっすぐ歩いて窓のそばまで進みながら、すでに不気味さを失った光景に会話を弾ませた。
窓際で立ち止まると海渡は綾瀬の街を見て、これまで関わった事件を思い出した。こんなときまで仕事のことが脳を支配しているなんて嫌なことだ。
ストーカーに怯えて自殺を選んだ者、悪戯のせいで命を落とした者、強盗に殺害された者、虐めをしたせいで殺された者、無差別殺人の被害に遭った者。
それらの被害者の裏側に、様々な感情が交錯した企みがあった。
惚れた女のために殺人を犯した者、その心を利用して大金を得た者、彼らもまた、最後に殺害され被害者となった。
すべてはそこから始まった。
そして、ここで終わる。
「いるんだろ。坊ちゃん警部」
海渡の突然の台詞で美優は目を見開いた。
「なんだ、知っていたのか」
月の光が届かない暗闇の影から、ずっと行方がわからなかった男が現れた。海渡が知る頼りない印象はなく、彼は自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。
「その女はもっとうまくやってくれるかと思っていたんだが」
「この娘は頑張ったよ。自分の役割に徹したんだ。健気にね」
「やはり惚れていたか。残念だが、そいつは・・・」
「奥寺美優じゃない」
すべてを知られていた女は慌てて海渡から離れた。
「本物の奥寺美優は間違いなく医者を志す学生だ。だけど、奥寺美優は君とは違う人物だ」
「奥寺美優を知っていたの?」
女が雪平のそばに移動して、海渡を睨んだ。
海渡は奥寺美優について調べたことがあった。そして、彼女はあの事件を糧に生きていることを知った。
海渡が彼女に関わることで、せっかく人生を前向きに歩んでいる彼女に過去のトラウマを思い出させたくなかったから、会おうとは思わなかった。
「いろいろ考えたよ。そして辿り着いた結論はひとつだった。確証はないけど、すべての辻褄が合う答えがひとつだけあったんだ」
「なんだ?」
「坊ちゃん警部は九蔵と繋がっていた。そして、ずっと姿を隠していた九蔵がなぜか俺の前に現れた。あんたにとってそれは想定外だったんだろ? 勝手な行動をした九蔵がボロを出して俺があんたの正体に気付いたときに俺を消すため、奥寺美優のふりをしたその人を俺に近付けた。その予感は的中。あんたは拉致されたふりをして操れなくなった九蔵を殺し、俺を消した後に拉致された被害者として表社会に復帰するつもりだったってところかな」
すべては海渡の読み通りだった。
言葉がなくても、雪平の大きなため息が海渡の考えを肯定する。
「いつ気付いたんだ?」
「拉致された上谷沙保里を助けるために向かった倉庫で九蔵と会ったとき、俺が倉庫の場所を伝えたのは紅音さんと峯山さんだけだった。九蔵は紅音さんたちが到着する前にスマホを見てその場から逃げた」
「九蔵に伝えたのが俺だということか。だが、どうして俺だけに絞れた? 柴田や咲良の可能性だってあるだろ。それに、三鷹や峯山だって本性はわからない」
「紅音さんと峯山さんとは長いんだ。あんたじゃわからないほどの信頼関係がある。柴田さんだって紅音さんに対する気持ちは本物だし、お姉さんはそんなに器用じゃないから、俺ならあれだけそばにいればわかるよ」
消去法で九蔵と繋がっているのは雪平だと気付いた。あの頃、雪平は監視役としてずっと峯山と行動を共にしていた。
「それに、九蔵が殺された現場で見たんだよ」
「トレースか」
「俺の能力は犯人の正体までは見えない。だけど、あれは間違いなくあんただった。特殊な人間はなんとなくわかるんだよね。九蔵のときみたいに。あんたは刑事として役に立たないけど、犯罪者の才能はあるみたいだね」
暗闇に目が慣れたおかげで雪平と隣に立つ女の顔がはっきり確認できた。もうすでに、警察キャリアとしての雪平はいないし、美優として笑っていた女もいなかった。
この女がどうして雪平に協力していたのか、その正体も不明だが、もうそんなことはどうでもいい。
「お前の言う通り、俺は刑事としては役立たずだった。だが、こうやってうまく生き残る才能がある。ここでお前を殺して遺体を隠せば、最後に笑うのは俺だ」
雪平は拳銃を海渡に向けた。
「なんでお姉さんを裏切ったんだよ。あんたを信じて、ずっと探してたんだぞ」
「咲良は昔からまっすぐなことだけが取り柄だからな。なんなら結婚でもして、これからもうまく操ってやるさ」
雪平は笑みを浮かべたまま、引き金に指をかけた。
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