39. かつての君

 翌日、咲良は捜査に出た。何も手掛かりがなく、どこをどう捜査すればいいかもわからない状況でひとつだけ可能性があるとすれば、夕月に出会うことだ。


 どれだけ探しても会わなかったといっても、そういうことだってあるかもしれない。彼女はいつも事件を進展させる何かの近くに現れた。つまり、咲良がその何かに近付いていないだけということも考えられる。


 これまでもその何かに近付いたのは偶然だった。夕月を見つけたらから、それが事件に関係することだと疑いを持っただけだ。


 ならば、今回もその何かが見つかるまで歩き続ければいい。そう考えて署を出たところに、海渡が現れた。


 海渡ですらその何かに頼りたいと願い、今隣を歩いている。


 目に入ってくるのはいつも通りの風景で、その中に夕月が溶け込んでいないかと常に注意しながら歩みを進めた。



 「夕月さんがお姉さんの前に現れたのは、きっと九蔵が動き出したからなんだろうね」


 「私も同じこと考えてた。自分を殺した犯人を恨むのは当たり前だし、それ以上に警察官として犯罪者を野放しにしておけないと思ってるはず」


 「今回の件、やつが関わってるのかもしれない」


 「強盗して金を奪ってるってこと?」


 「いや、九蔵は金のためだけに動くような人間じゃない。もっと違う関わり方をしてると思うんだ」



 海渡が言わんとしていることを完全には理解できなかったが、なんとなくわかった。九蔵はシリアルキラーで、強盗犯である黒田大和と指示役の沖田時乃を殺害した。そのとき、時乃が所持していた現金を奪ったのは彼だが、目的はそれじゃなかった。


 十五年前の夕月の殺害のときと同じく、九蔵は時乃を拷問して殺害した。海渡が大阪で会ったときに九蔵が言った、「痛みが見える」という言葉。彼は快楽のために殺人を犯している。



 「大阪で沖田時乃が殺害された事件、捜査が打ち切られたって」


 「打ち切り? 九蔵が犯人だって伝えたんでしょ?」


 「うん。大阪府警に報告はした。どうやら圧力がかかったらしい」


 「どういうこと?」



 海渡は河内長野署での捜査の進捗が気になって舘岡に電話で確認してみた。九蔵が東京に現れたことも伝えたのだが、彼によると犯人が判明している上で捜査が中止になったそうだ。九蔵が大阪にいないと逮捕することは難しいのだが、上からの指示で打ち切りになる理由はない。


 警察の上層部に九蔵と繋がる人間がいるということなのか、もしくは九蔵が捕まることで不都合なことがあるのか。



 「裏で大きな力が動いてるってことだろうね」


 「影・・・」


 「ん?」


 「夕月さんに言われたの。影が潜んでるから気を付けてって」


 「影か。夕月さんに会えればいいんだけどな」



 ふたりは目的もなくひたすら街中を散歩した。聞き込みを行うこともなく、日常の中を歩き回るだけ。偶然彼女に出会って事件は大きく進展する。それだけを願って。



 「お姉さんはさ、警部殿と付き合ってるの?」


 「何、いきなり。私たちはただの幼馴染よ」


 「恋愛感情はないの?」


 「ないない。向こうもないと思う」


 「そっか。ならいいんだけど」


 「どういうこと?」


 「いや、なんでもない。気にしないで」



 咲良は海渡と美優の関係がどうなっているのか訊いてみようかと思ったものの、今は色恋の話をしている場合じゃない。


 どれだけ歩けど何も起こらない。


 そう思っていたとき、期待していなかったことが起こった。海渡のスマホに着信があり、どうやら峯山が病院を抜け出したらしい。かなりの速度で走るボックスバンにひかれた彼は、絶対安静の指示が主治医から出されていた。身体を動かすだけでも痛むはずなのに、荷物をまとめて病室からいなくなった。



 「紅音さんも病院に向かうらしい。まったく、何を考えてるんだよ」


 「雪平くんのことで責任を感じてるのかな」



 拉致されたのは自分のせいだと責めて、一刻も早く捜査に参加しようと考えての行動かもしれない。峯山のことはそこまで詳しく知らないけれど、海渡が慕う刑事ならそう考えても不思議はない。



 「あのおっさん適当に見えて責任感強いんだよね。こういうときくらい自分も被害者ヅラしとけばいいのにさ」



 それは海渡も同じだろうと感じたが、それを言えば「あんなおっさんと一緒にしないでよ」と照れ隠しするだろうからやめておいた。



 「まったく、もう若くないんだから無茶すんなよな。お姉さん、俺行ってくるよ。何かわかったら教えて」


 「うん、わかった」



 海渡は気怠そうにしながらも、駆け足でその場を去った。どれだけ憎まれ口を叩いていても、本気で心配していることが行動から読み取れる。


 心の底で通じ合っている関係に、咲良は羨ましく思った。


 咲良にとってはそれが冬季にあたる。とはいえ、彼は現場にいる人物じゃない。身近にいる存在なら、紅音や裕武だろうか。


 突然、咲良は不思議な感覚に陥った。綾瀬川にかかる橋の歩道を歩いていると、なぜか橋の下が気になった。川のそばに歩道があり、そこに男が立っていた。その男以外は誰も視界にいなかった。


 ハットを被ったその男は離れているにも関わらず、橋の上にいる咲良を見ているようだった。こちらが目を凝らしても、動くことなくこちらに身体を向けている。



 「なんなんだろ」



 自分が一般人なら変な人に関わることを避けて無視するところだが、咲良は刑事としてその違和感を放置することができなかった。橋を渡り、歩道に降りる階段を駆け下りる。


 その場所に男の姿はなくなっていた。周囲を見ても人はいない。ただの考えすぎだろうか。



 「一条咲良さん」



 背後から声をかけられて振り返ると、先ほど見た男が立っていた。見回したときは誰もいなかったはずなのに。


 ハットを被った男は、四十代ほどに見える。海渡から聞いていた特徴と一致する、自らを九蔵と名乗る男だ。



 「あなたが九蔵?」


 「やはりご存知ですか。あなたにもぜひ会いたかった」


 「雪平くんはどこ?」


 「さて、どこにいるんでしょうね」



 言わなくてもわかる。雪平を拉致したのは九蔵だ。このチャンスを逃すわけにはいかない。



 「あなたの目的は何?」


 「目的なんてありませんよ。もう、何もありません」


 「私は絶対に彼を助ける」


 「無理ですよ。あなたの知る彼はもういません」



 そんな・・・。


 雪平はもう、殺されてしまったのか。


 咲良は膝から崩れそうになったが、なんとか耐えた。せめて目の前にいるこの男を捕まえなければ。だけど、今まで海渡や紅音が追ってきて捕まえられなかったシリアルキラーをひとりで捕まえられるだろうか。


 そんな不安が思考に襲い掛かった。


 迷いが生じた瞬間、九蔵は走ってその場を逃げ出した。悩んでいる時間はない。たとえこの身が傷付いても、雪平の仇をとらなければならない。



 「待ちなさい!」



 九蔵は走るのが早く、咲良との距離は徐々に離れていく。九蔵が歩道を曲がって階段を駆け上がったのを見て、咲良も勢いを落とさずに曲がった。


 そこにはすでに男の姿はなかった。


 階段を上って周囲を見たが、人の姿はない。


 そんな馬鹿な。姿を隠す場所はないし、入り込めるような路地もない。川のそばの開けた道路で、どうやってあの時間で姿を隠したというのだ。九蔵がこれまで逮捕されなかったのは、彼にイリュージョンの才能があるからだとでもいうのか。


 どちらに逃げたかもわからない状況では追いかけようがない。通行人がいないから話を聞くこともできない。



 「なんなのよ、一体・・・」



 九蔵は、雪平はもういないと言った。


 間に合わなかった。


 咲良が雪平の死を覚悟したとき、膝からなんとか保っていたすべての力が抜けた。


 私の能力で彼に会えたとしても、もう彼はこの世にいない。


 そうか、ここには私以外誰もいない。


 流れ落ちる涙を拭う必要がないんだ。


 雪平くん、ごめん。

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