CASE 6 無痛の欲望

37. 動き出す影

 「まだ張り込み続けるんですか? 警部殿」



 峯山が苛立ちを含めた声色で、常に気を張っている歳下の上司に問いかけた。


 雪平は物陰から郊外の駐車場を監視している。彼によると、この場所に担当する強盗事件の犯人が現れるそうだ。どこから得た情報なのかを話そうとしないので、峯山はにわかに信じていなかったが、いつもの雪平と違って今回は確信に近い自信があるようだったので無碍にもできず、こうして一緒に張り込んでいるというわけだ。


 相手が雪平でなければ彼を置いてひとりで帰るところだが、坊ちゃん警部ひとりで何かあれば峯山の責任になってしまう。


 彼は守られているから。



 「必ずここに犯人が現れます。もう少し待ちましょう」


 「と言っても、もう三時間だぞ。そろそろ戻らないと、管理官に何言われるか」


 「峯山さんはいつも自由に動いてるじゃないですか。管理官の言葉なんて怖くないでしょう? それとも、がいないと何もできませんか?」



 最近雪平は峯山に対して挑発的な態度をとることが多い。


 その理由は簡単だ。海渡が事件をすべて解決してしまい、手柄が紅音や峯山のものになっているからだ。もともと海渡を敵視していることは明確だったが、それが次第に峯山にも向いてきている。


 すべての事件で三鷹班と合同捜査になることはないが、偶然綾瀬中央署に関わることが多かった。そのため、本庁の刑事に面目が立たず、課長は不機嫌で雪平に対する評価はさらに下がった。


 それでも彼が捜査一課にいられるのは、父親の力が大きい。課長としては早く雪平を追い出して肩の荷を下ろしたいところだろうが、警視副総監を父に持つ彼を邪険に扱うことはできない。



 「車が来ました」



 峯山のため息と共に雪平が場内に入る一台の車両を発見した。それは他に車が数台ある駐車場に入ってきて、奥の枠に収まった。



 「あれに乗ってるのか?」


 「おそらく」



 追っているのは強盗犯で、ここ二週間で連続して一般家庭が襲撃される事件が起こった。指示役は海外にいると見られているが、実行犯を逮捕することで組織のネットワークを辿って壊滅することが狙いだ。



 「行きましょう」


 「おい、待て!」



 手柄をあげたい急りからか、雪平は相手から身を隠すこともせずに駐車場を駆け抜けようとする。


 あの車両に乗っているのが本当に強盗犯ならば、武器を持っていると考えるべきだ。それが拳銃であれば、こちらに身を隠すものは何もない。


 この状況はもっとも危険だ。


 峯山は急いで雪平を追いかけて、彼を止めようとした。



 「四ノ宮! 慎重に動け!」



 雪平が峯山の言葉に耳を貸すことはなかった。どうせ自分の方が立場が上だと思っているのだろう。


 雪平には特技があった。それは、脚が速いこと。峯山の脚では追いつかないほどに。


 雪平は止まっている車両の後方から近付き、運転席の窓をノックした。窓ガラスが下がり、運転手の男が「なんですか?」と訊ねる。峯山が雪平の隣に立って車内を見ると運転手は若い男で、助手席には同年代の女性が乗っていた。カップルと見るのが自然だろう。



 「警察です。ここで何をされるつもりですか?」


 「何って普通にドライブしてきて、ちょっと休もうとしただけですけど」


 「そちらの女性は?」


 「彼女です」


 「途中で怪しい車や人物は見ていませんか?」


 「怪しい・・・? いや、全然」



 一般人に怪しいものを見ていないかと訊ねること自体おかしいことだ。彼は普段から疑いの目で見ている刑事とは違う。カップルは明らかに不愉快な表情で雪平を見た。やはり警部殿に現場の捜査員は向いていない。


 峯山は「すみません、お手間かけました」と強引に雪平を引っ張って、車両から離れた。


 今度は雪平が不満を顕にしたが、それはただ拗ねているだけの子供と同じだ。



 「一般人だったからよかったものの、あれが犯人だったら殺されてたかもしれないんだぞ。もっと冷静になれ」


 「犯人を逃したら失態になります。これ以上、俺は失敗できない」


 「そんなに気負うなよ。急いてはことをなんとかだ。親父さんが偉大でも、警部殿は自分らしくいればいいんじゃないか?」


 「それじゃ駄目なんだよ!」



 突然大声を発した雪平に驚いた峯山の背後を、先ほどのカップルが乗った車両が通って駐車場を去った。


 刑事に声をかけられ、すぐ近くで口論を聞かされてはデート気分が台無しだ。彼らには本当に申し訳ないことをした。



 「すみません。取り乱しました」


 「ひとりで抱え込むな。俺にキャリアの悩みはわからないが、先輩刑事として力になれることがあればなんでもするからよ」


 「はい。助かります」



 雪平がいつも通りの落ち着きを取り戻したとき、駐車場に別の車両が入ってきた。それはボックスタイプのバンで、土木関係の職人が使っているような大型の車両だった。


 大きなエンジン音を立ててまっすぐに雪平と峯山の方に向かってくるそれに、減速する様子は一切ない。



 「危ない!」



 雪平を突き飛ばした峯山を、車両は勢いよくはね飛ばした。身体が宙に浮いた峯山は次の刹那、背中から地面に叩き付けられてその激痛に耐えた。



 「四ノ宮、逃げろ・・・」



 雪平ひとりでは犯人に殺害されるかもしれない。背中を駆ける激痛のせいでうまく呼吸ができず、大声が出なかった。


 地面に横たわる峯山の最後の抵抗も虚しく、その言葉は雪平まで届かない。



 「峯山さん!」



 こちらに走ってくる雪平の姿が暗闇に包まれていく。峯山はそれ以上意識を保つことができなかった。


 頼むから、逃げてくれ。お前は俺たち駒とは違う。





 「四ノ宮・・・!」



 ほとんど空気の擦れる音だったが、言葉として空気中を走ったそれはベッドのそばにいる海渡に届いた。



 「起きたか。やっぱり峯山さんはしぶといね」


 「海渡。四ノ宮は?」


 「行方不明。現場で警部の血が見つかった。少量だからその場で死んではないだろうけど、拉致されたんじゃないかな」


 「くそっ」



 意識を失った峯山は病院に搬送されたが、命に別状はないそうだ。減速していないバンにはねられて無事だったことは、不幸中の幸いだ。



 「なんであんな場所にいたんだよ。誰も報告受けてないし、管理官怒ってるみたいだよ」


 「犯人があの場所に来る情報を掴んだ」


 「強盗の? どこからの情報?」


 「さあな。何度訊いても四ノ宮は答えなかった」



 自分でも愚かだったと思う。いつの間にか、雪平のことを信頼していたらしい。


 海渡は首を傾げて何かを考え始めた。その情報がどこから来たのか、思い当たることがあるのだろうか。



 「目が覚めたんですね」



 病室に紅音が入ってきた。どうやら彼女も海渡と一緒に見舞いに来てくれていたらしい。



 「悪いな、紅音ちゃん」


 「大事にならなくてよかったです。本庁が総動員で警部の行方を追ってますよ」


 「さすがは警視副総監の息子だな。拉致されたのが俺だったら、探してくれるのは海渡と三鷹班だけだったろうよ」


 「俺は探さないよ」


 「心配だから見舞いに来てくれたんだろ?」



 峯山の言葉に、海渡は照れ臭そうにして目を逸らした。



 「所轄にも応援要請が来ましたが、咲良ちゃんは警部を心配してまともに捜査できそうになくて」


 「そうか、あのふたりは幼馴染だったな」



 取り乱すのは無理もない。


 現場で発見された血痕と、強盗犯に拉致されたかもしれないという状況では、誰でも最悪の事態を想像してしまう。


 それが近しい人間なら尚更心配して、思考は悪い方向に進んでいく。



 「それでは、私は捜査に戻ります。海渡は?」


 「俺も行く。坊ちゃん警部を確保しないといけないから」


 「助けるんでしょ」



 軽く冗談を言って、海渡と紅音は病室を去った。


 今はまだ安静にしておかないといけないことがもどかしいが、三鷹班になら任せられる。


 最近まともにゆっくりした時間がなかったことを思い出して、峯山はベッドに背中を預けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る