33. 潜む影
咲良はひとりで犯行現場にいた。防犯カメラの洗い出しを行っていた班が逃走する人物を発見したが、犯人はうまくカメラを避けたようで最後までは追うことができなかったらしい。
少なくともこの犯行現場から逃走した方向だけはわかっている。その方向に歩いてみることにした。
生き残った被害者、沙保里から病院で話を聞いた後、紅音と裕武と一緒に彼女が在学する光正中学校に向かったのだが、正門から出てきた海渡たちと会った。峯山と雪平と一緒にいて珍しい組み合わせだと思ったが、彼らはすでに中学校で話を聞いたと言った。
相変わらず雪平は情報を表に出すことを嫌がったが、峯山がすべて話してくれた。
被害者の三名はクラスで目立つ存在だった。スクールカーストという学校における階層でトップにいて、交友関係は広いが異性交友については不明。
学校が悪戯だとして処理した虐めがあり、ひとりの女子生徒が不登校の末自殺を図ったらしい。
幸いその生徒は一命を取り留め、現在は自宅療養中だそうだ。
それが起こったのはつい先月のことで、その女子生徒の名前は
その情報を得た雪平はその生徒の自宅を訪ねると言ったのだが、峯山は紅音と裕武に任せた方がいいと進言した。
確かに話を聞く相手が女性なら、紅音の方が向いている。峯山のような刑事感丸出しの男と、いかにも堅そうな雪平が行ったのでは話しづらいこともあるだろう。
手柄を取られたくない雪平は食い下がったが、監視対象である峯山が行かないと言えば彼から離れられない雪平に選択肢はなかった。
海渡は他に気になることがあるとひとりで行動し、峯山がどこかへ行こうとするので渋々雪平は中年刑事の後を追った。
そして、咲良はひとりでここにやってきた。
ひとりになりたかった理由は、ある人物に会いたかったからだ。その人は十五年前に亡くなっているが、咲良の前にだけ現れては事件解決のヒントを与えてくれる。
三鷹夕月。紅音の姉であり、かつて警察官だった女性だ。
ひとりにならないと彼女とは接触できない。前回見たときは裕武と一緒だったが、彼女は遠く離れた場所に現れて消えてしまった。
コンビニ前で会ったときのように、彼女ともう一度会話がしたい。そう願って事件現場から防犯カメラで逃走経路がわかった場所まで歩くことにした。
狭い路地を進んで住宅地の中を左に曲がる。そこから表の通りに出たところに防犯カメラがある。咲良が電柱を見上げた先にカメラは設置されていた。ここが最初に犯人が映った場所。
次に、その通りを横切ってまっすぐ伸びる細い路地を歩いた。逃げるならば人目を避けるために路地を選択したことは合理的だ。
その路地の先はまた通りと合流していて、その角にふたつ目の防犯カメラがある。だが、犯人が映ったのはここまでだった。
ここから通りを逃走したことはわかっているが、その先の行動は判明していない。
ここから先にも防犯カメラがあるポイントはあるらしいが、映らずに動くことは可能だ。留守の家の敷地を抜ければ簡単に隣の通りに出ることができる。こういう場所の逃走経路は無限に存在する。
なぜかわからないが、ある場所が気になった。ここから見えていないはずなのに、その場所に向かって足が進む。まるで誰かに呼ばれているような感覚だ。
この先に、きっといるんだ。
根拠がないのに確信に近い感覚があった。
「お疲れ様です」
「やっぱりいた」
角を曲がった住宅地の道路に彼女はいた。青い制服を着て凛と立つその姿は、紅音に見せてもらった写真の人と一致した。
紅音を思い出させる柔和な笑顔の奥に、強い信念を宿した女性だ。
「三鷹夕月さんですね」
彼女は頷くと、ゆっくり瞬きをして咲良の目を見た。
不思議だった。彼女は自らがすでに亡くなった人間であることを認めた。そして、それは紛れもない事実なのに、こうして面と向かって意思疎通ができる。
「紅音のこと、お願いね」
「え?」
まるで最後の別れのような夕月の台詞に咲良は戸惑った。
夕月は表情をまるで変えることなく、柔らかい笑みを浮かべる。
「裏で影が動いてる。気を付けて」
「影? なんのことですか?」
問いかけに応えることなく、咲良の瞬きと同時に彼女はいなくなった。
彼女が間違いなく夕月であることは確認できたが、意味深な言葉を残して消えてしまった。
影とは一体なんのことだろう。
ふと目の前の家を見ると、『塩田』と書かれた表札があった。周囲に溶け込んだ一軒家で、咲良はふと二階を見上げた。
その瞬間、窓際のカーテンが揺れた。
誰かが急いで閉めたかのような揺れ方だった。
夕月の姿は他の人に見えない。もしかしたら、家の前で独り言を話している変な女がいると不思議がって見られていたのかもしれない。
だとしたら、とても恥ずかしい。
咲良は急いでその場を離れた。
一度綾瀬中央署へ戻ろう。紅音と裕武が戻っているかもしれない。彼らは今回の被害者たちから虐めを受けて自殺未遂をした少女から話を聞きに行っている。
ただの被害者だったはずの三人は、加害者だったことがわかった。もしこれが復讐なのであれば、犯人はその少女の知り合いである可能性が高い。
足早に歩道を進んでいると、鞄の中にあるスマホが着信音を発した。画面に表示されているのは裕武の名前だった。
咲良はそれを手に取って、通話ボタンを押す。
「一条です」
『今どこにいるんだ?』
「これから署に戻るところです。何かありましたか?」
『例の少女に話を聞いてきた。とは言っても、精神的に大きなショックを受けていて、ほとんど何も話さなかった。母親も虐めをしていた生徒たちが襲われたことを内心喜んでるようだったしな』
気持ちはわからなくない。
目の前に刑事がいるのに堂々と人が死んでよかったとは言えないだろうが、大切な娘を苦しめて自殺を試みようとするところまで追い込んだ相手だ。心の底で喜びを感じてしまっても不思議はない。
『被害者の三人のうち、リーダー格は生き残った上谷沙保里で、亡くなったふたりは彼女の取り巻きのような存在だったらしい』
皮肉なことに、主犯格の少女だけが生き残った。
亡くなったふたりが病室に出てきて彼女を恨むのも無理はない。もちろん、同調して虐めを行っていたことは許されないが、あの頃の年齢は周囲と違うことを恐れる傾向にある。同調してひとりを虐めることで、自らが標的になることを避けるのだ。
現場にいれば、彼女たちの記憶を覗くことができたかもしれないが、病室に現れたふたりからは、それができなかった。
「今回の件、やはり虐めの復讐なんですかね?」
『確証はない。ただ、ひとりだけ彼女の味方になってくれた人がいたと言っていた』
「家族以外に、ですか?」
『ああ、
通話を終えた咲良は、裕武が言った「海渡の彼女」という言葉につい笑ってしまった。
我に帰った咲良は周囲を確認した。
今のところ、咲良はひとりで話してひとりで笑う変な人だ。
とにかく三鷹班に今できることは、梨花という女性を特定すること。
「よし」
気持ちを切り替えて再び歩みを進める。咲良を陰から覗く男がいることに気付かずに。
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