22. 天の暗示
咲良と裕武は綾瀬中央署を出発して、犯行現場付近に向かった。防犯カメラで容疑者を捜索する班とは別に、彼らは現場で聞き込みを実施して違う視点から情報を集める役割を任命された。
すでに逃走経路は途中まで判明しているので、その場所から引き続き聞き込みを続けて、防犯カメラを確認している班と二重で確認を行うことになる。
「海渡くん、大丈夫ですかね」
「班長がついてるから、きっと大丈夫だ。今回の事件があまりにもあいつのトラウマに似ているから、少しばかり動揺しただけだろう」
「あの立川の通り魔事件ですよね。その頃私はまだ中学生だったので、詳しくは覚えていませんが」
「俺も直接は関わってない。班長も俺もまだ新人警官だった頃だ。刃物を持った男が通学路で下校中の幼い女の子を襲って、その娘を通りかかった海渡と友達のふたりが助けようとした。女の子は無事だったが、残念ながら海渡の友達ふたりは刺されて死亡した。海渡だけは重傷を負いながらも一命を取り留めたが、それ以来あいつはひとりだけ生き残ったことを後悔してる」
本来は命があったことを喜ぶべきだが、咲良が自分自身に置き換えてもひとりだけ助かったら彼と同じ思いになるはずだ。
そんな過去を抱えながらも、彼は警察官になって自らの能力で事件を解決しようと奮闘している。それは、彼にとって償いの意味があるのかもしれない。
「悲しいですね。海渡くんは何も間違っていないのに、結果的にそんなことになって」
「海渡がトレースを身に付けたのは事件以降のことだと聞いている。その能力があいつの友達から与えられた使命だと思って、目の前の事件に必死になってるんだ」
彼がトレースをするときに咲良の視界に現れる子供の黒い手は、海渡の友人のものだろうか。だとすると、裕武の言葉はあながち間違っていない。
「お忙しいところすみません。警察の者ですが、今朝発生した通り魔事件についてお話を伺っております」
裕武が素早く通りかかった若い女性に声をかけた。カジュアルな服装にトートバッグを肩からかけた女性は、まだ学生か、もしくはフリーターかもしれない。
すでに事件は報道されており、近隣には不要な外出はしないように情報が共有されている。女性も事件のことは知っているようだ。
「今家を出てきたところなので、私は何も」
「そうですか。お急ぎのところ、失礼しました」
裕武が頭を下げると女性は会釈をして足早に去った。
基本的に聞き込みは営業と同じで、十件中一件話が聞ければいい方で、さらに有力な情報を得ることは難しい。
数を打てば当たる。それが聞き込みの基本で、根気と忍耐がすべてだ。
咲良も負けじと通りかかった中年の女性に声をかけた。
「お急ぎのところすみません、警察です。今朝の事件についてお話を伺ってもよろしいでしょうか」
彼女はエコバッグを持って、その中には野菜や肉が入っている。買い物帰りのようだ。
「ニュースでやってた通り魔ですか?」
「はい。犯人はこちらの方向に逃走したと考えられています。何かご存知のことがありましたら」
「その時間は家にいたんです。お力になれずごめんなさいね」
「いえ、ご協力ありがとうございました」
丁寧な言葉遣いの主婦は微笑んで帰路についた。
その後も咲良と裕武は対象のエリア内で通行人に片っ端から声をかけたが、有力な情報はそう簡単に見つからず、時間だけが過ぎ去った。
咲良は一度裕武と情報を共有しようと彼のもとに向かうと、通りを曲がったその先で彼は耳にスマホを当てて誰かと通話していた。
咲良がそばまで近付くと、裕武は通話を終えた。
「何かありましたか?」
「この先の防犯カメラに逃走した犯人が映っていた。聞き込みのエリアを変えるぞ」
「わかりました」
近年は防犯カメラの画質が向上し、解析をすると細部まで詳細に確認ができるようになった。顔だけでなくアクセサリーや傷、身体的特徴まで映像からわかる。
咲良と裕武は連絡を受けた防犯カメラが設置されている場所まで移動し、その周辺の聞き込みを再開することにした。
「それにしても、犯人は随分大胆ですよね。顔も隠さず、返り血もそのままで走って逃げるなんて」
「精神に異常があるのか、自暴自棄なのか。よほどの恨みがない限り計画的な犯行に走る人間は少ない。今回の犯行は衝動的な行動なんだろうな。それでも偶然逃走に成功したというところだろう」
「早く見つけないと、また犯行に及ぶこともあり得ますよね」
「ああ、聞き込みを急ごう」
ふたりは通行人に声をかけて情報収集を続けた。数人に声をかけた後、スポーツタイプの自転車に乗った若い男性に話しかけた。
自転車が趣味なのか、細身であるが腿にしっかりと筋肉が付いている。
「事件のことは何も知りませんけど、変な人ならそこのマンションに住んでますよ」
「変な人?」
「眼鏡をかけてて、ひとりなのにぶつぶつ喋ったり、急に大声出したり。騒音トラブルで苦情とかもよくあります。俺も同じマンションに住んでますけど、住民の中じゃ有名です」
「その人物が事件に関係していると思うんですか?」
「いや、事件のことは知らないですけど、眼鏡をかけてたって聞いて思い浮かんだだけです」
裕武は自転車の男性に礼を伝えて彼を見送ると、咲良を見た。彼女はマンションの上階を見上げて、険しい表情をしている。
裕武はその視線の先を見上げたが、部屋の玄関扉が並んでいる廊下があるだけだった。
「どうした?」
「さっきの人の話、当たりかもしれません」
「なぜそう思う?」
「あの場所に夕月さんが立っています」
裕武の背中を冷や汗が駆け下りる。
咲良が指差したのは、三階の階段から二つ目の扉だ。
今、その場所にいるはずの夕月は裕武の視界にはいなかった。咲良が冗談を言っているのでなければ、すでにこの世にいない彼女が未だに彷徨っている。
そして、彼女は前回に引き続き事件の手掛かりを我々に伝えようとしている。
そこにいるなら裕武もその姿を見たいと願ったが、残念ながらこれまで霊的な現象に遭ったことはない。
「行ってみるか」
「応援を呼んだ方がいいんじゃ」
「いや、まずは確認してみよう。他の捜査員もそれぞれ任務がある」
他の捜査員も情報を探すために走り回っている。幽霊がいたから、という理由で応援は呼べない。
咲良は裕武と一緒にマンションのエントランスに入った。
階段から二つ目の部屋なら三〇二号室のはず。集合ポストを見ると郵便物が少量残っていて、ずっと不在というわけじゃなさそうだ。
エレベーターで三階に上がって廊下を進むと、すでに夕月はいなかった。
二つ目の部屋の前に立って裕武はインターホンを鳴らした。鉄製の扉をノックして声をかけるも返答がなく、足音もしない。
「いませんね」
「このことは班長に報告しておく。一度署に戻ろう」
犯人だから逃げているのか、もしくは無関係で偶然不在なのか。それを知るために、管理人室でカメラの映像を提供してもらえないか交渉をした。
結果は管理会社から連絡があるとのことで、ふたりはマンションを去ることにした。
日が沈み、建物の影に隠れた場所は随分と暗くなった。
あのとき一瞬だけ現れた夕月は犯人を教えようとしたのかもしれない。咲良はまたどこかで彼女と会えたら話したいと思っていた。
妹の紅音に伝えたいことがあるかもしれない。逆に、紅音が姉から聞きたいこともあるかもしれない。
咲良がいることで不幸で会えなくなった人とまた話すことができれば、この能力も誰かのためになる。
いつか海渡の友人とも話すことができれば、彼を苦しめてきた何かを取り除くことができるかもしれない。
「一条、行くぞ」
「あ、すみません」
考え事で足が止まっていた咲良は駆け足で裕武を追いかけた。
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