CASE 4 過去から未来
21. 悪夢の再来
午前七時五十分、悲鳴が日常を切り裂いた。異変に気付いて駆け付けた近隣の住民は恐るべき惨劇を目の当たりにすることになる。
ランドセルを背負った小学生が三名、腹から出血して地面に横たわり、その近くで恐怖に震えて大声で泣く低学年の男女がふたり。
すぐに救急車が要請され、警察への通報がなされた。
綾瀬中央警察署刑事課捜査第一課三鷹班が現場に到着したとき、すでに子供たちは救急車に乗せられていたが、意識はなく一刻を争う状況だった。
咲良は現場で前回の公園の事件と同様に被害者の記憶を辿ろうと目を瞑って意識を集中させる。脳内に浮かんだのは包丁を持って襲いかかってくる若い男。口を大きく開けて眼鏡をかけた男が鋭利な刃物を子供の腹に突き立てる。
細身でチェック柄のシャツとジーンズを着た男だった。薄れる意識の中で、走って逃げる男の背中が遠ざかっていく。
被害者の記憶を覗くと咲良自身も被害に遭ったように足から力が抜けた。身体にダメージはないが、精神的に被害者と同じ恐怖を味わうことになるのだ。
そばにいた裕武が腕を掴んで支えてくれた。
「見えたか?」
「はい。犯人は眼鏡をかけた若い細身の男。チェック柄のシャツにジーンズを着ています」
「そこまでわかるのか」
前回の事件は暗い公園で起こったが、今回は明るい公道。視界がはっきりしていて、映像が鮮明だった。
この能力があれば、犯人を見つけるための大きな手掛かりを得ることができる。忌み嫌っていた能力でも、刑事として役に立つことができるなら利用しない手はない。
事件があったのは綾瀬北小学校への通学路で、片側にだけ歩道がある中央線のない狭い道路だった。
聞き込みを開始しようと紅音の周りに班員が集まったとき、海渡が現場に到着した。
海渡は地面にできた血の染みを見て、大きく深呼吸をした。咲良とは違った角度から現場の状況を知ることができる能力、彼の持つトレースが発動する。
咲良には彼がトレースをしているとき、彼の両腕を掴む黒い子供の手が見える。彼の能力は、その黒い手がもたらすものなのかもしれない。
海渡の目は狂ったように子供たちに襲いかかる人影を捉えて、視線を動かした。目でその動きを追っていた海渡の呼吸は次第に荒くなっていき、彼は過呼吸になった。苦しそうに肩を上下させて、両膝に手をついて前屈みに倒れていく。
海渡の目の前を、刃物を持った男は軽い足取りで走り去った。その男から見えた感情は喜びだ。
「海渡、もういいから。落ち着いて深呼吸して」
異変に気付いた紅音は海渡の視界を奪うため、彼の目前に立って、両手で肩を押さえて海渡に合わせて彼女自身も深呼吸をする。
この事件の状況があまりにも海渡を苦しめたあの事件に似ている。あの出来事で海渡は友人をふたり失った上、自らの命を嫌うようになった。
彼が落ち着くまで紅音はずっとそばにいて肩を抱いていた。
住宅街を通るこの道路は抜け道になっていて車両の行き来が多く、目撃者はすぐに発見された。
咲良が見た被害者の記憶と同じ、ブルーのチェック柄のシャツにジーンズの男が血の付いた刃物を持って走り去ったと証言が得られた。
逃走経路はある程度絞られ、聞き込みはその経路付近で行われた。犯人にたどり着くまでは時間の問題だろう。
三鷹班は捜査会議のために綾瀬中央署に戻り、会議室に集まった。その中には海渡もいて、白い顔をして紅音の隣に座っていた。
「それでは、捜査会議を開始する。まずは事件の概要を説明してくれ」
裕武の合図で会議は始まり、捜査員が聞き込みで手に入れた情報を共有した。
被害者は綾瀬北小学校に通う生徒三名で、残念ながら三名とも搬送された病院で死亡が確認された。
小学校は本日臨時休校となり、生徒たちは教師の付き添いのもと集団下校することになったそうだ。
「亡くなったのは四年生の
「逃走したのは二十代後半から三十代前半の男性、青いチェック柄のシャツとジーンズを着て細身で、身長は百七十センチ前後と見られます」
捜査員が次々と情報を報告する中で海渡はずっと俯いていた。いつもなら誰よりも情報を得て事件に向かう彼が、今回ばかりは精神的なダメージのせいで辛そうだ。
防犯カメラの映像の手配もしており、犯人を特定することはそう難しくない。
「亡くなったのはまだこれから未来があった幼い子供たち。絶対に犯人を逮捕して、罪を償わせましょう」
会議の最後に紅音が椅子から立って、捜査員に宣言をした。
班員たちは防犯カメラを担当して逃走経路を特定するグループとそこから割り出された経路で聞き込みを担当するグループに分けられた。
裕武は咲良と一緒に聞き込みに出ることになった。いつもは紅音と共に行動する彼だが、今回は海渡のことを紅音に任せるべきだと判断した。
この事件において海渡は戦力にならないかもしれない。
咲良が現場で見た海渡の焦燥は、ただ事じゃなかった。
「班長、一条と聞き込みに出ます。海渡のそばにいてあげてください」
「柴田くん、咲良ちゃん、お願いね」
裕武が紅音に話しかけても、海渡は顔色ひとつ変えなかった。
紅音は捜査員がそれぞれ捜査に出て海渡とふたり残された会議室で彼と話すことにした。
「この事件はあの事件と関係ないのよ。それに、あれは海渡のせいじゃない」
「わかってる。でも、やっぱり思い出すんだよ。謙人と佑がいなくなったあの出来事を。俺が止めて三人で逃げいていたら、今でもふたりは生きていたかもしれない。なんで俺だけ助かったんだろうって」
「でも、そうしていたら他の子の命が奪われたかもしれない。その選択に正解はないけど、間違いもないのよ」
あのとき、最初に捕まったのはまだ小さい小学一年生の女の子だった。あの娘を助けるために彼らは刃物を持った男に立ち向かったのだ。
それでも、海渡にとっては友達でもなく誰かも知らない女の子だった。彼女にもまた家族がいることを知っていても、海渡はふたりに生きていてほしかった。
その犯人は現行犯逮捕された。だから、海渡は犯人に復讐をすることもできない。
「思った通りだな」
会議室の扉が開いて姿を現したのは、本庁の峯山と雪平だった。
「今回、合同捜査になるとは聞いていませんよ」
「本庁はこの件に関わらない。俺はただ、個人的に来た。坊ちゃんは俺に付いてきただけだ」
「坊ちゃんって呼ばないでください。あなたが勝手な行動をしないか見張るように課長から指示されたんですよ」
雪平はキャリア組で、いずれ峯山よりもずっと高い地位に就く男だ。警視副総監を父に持ち、咲良とは近所に自宅がある幼馴染だった。
峯山は海渡のことになると勝手に行動して組織を混乱させることがあったので、本庁の課長としては監視を付けておかないと不安なのだろう。
「海渡、あのことを思い出したのか?」
「今は峯山さんに会いたくなかった。余計に思い出す」
「そう言うなよ。心配で会いに来てやったのに」
「頼んでないでしょ」
海渡が被害者になった事件を担当した刑事が峯山だった。まだ二十歳だった紅音と出会ったのもそのときだ。
「ま、それだけ口が聞ければ大丈夫だな。紅音ちゃん、海渡のこと頼んだ」
「はい」
「戻るぞ、坊ちゃん」
「それだけですか? わざわざここまで来たのに」
「なんだ? 問題起こした方がいいか?」
「そんなこと言ってません」
警視庁から足を運んだふたりは僅か三分ほどで綾瀬中央署を去った。
峯山は海渡を心配して様子を見にきたが、これだけ憎まれ口を叩けるなら問題ないと判断したのだろう。
彼の心は、きっと海渡も理解している。
そう信じて海渡の肩を叩いた紅音だった。
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