20. 偶か必か
「紅音さん、ちょっと話せる?」
「海渡、おかえり。どうしたの?」
大阪からの長旅を終えた海渡はまっすぐ綾瀬中央警察署を訪ねて、廊下で見つけた紅音に声をかけた。
いつもより真剣な表情の海渡に気付いた紅音は何かを察して頷いた。
「俺は席を外すべきか?」
「ごめん、後で話すよ」
「わかった」
紅音のそばにいた裕武は何かを悟ったようにふたりを残して去った。
これから話すのは、十五年前の女性警官殺人事件のこと。そしてそれは、紅音の人生を大きく変える出来事だった。裕武も関係しているのだが、まずは紅音に話すべきだと考えた。
紅音は使われていない適当な部屋に入った。海渡は彼女の背中を追って部屋に入ると、扉を閉める。
「こっちの事件はどうなったの?」
「解決した。咲良ちゃんが頑張ってくれたわ」
「じゃあ、お姉さんの力のことはもう知ってるんだね」
紅音は頷いた。
咲良が持つ目は死者の魂、いわゆる幽霊を映す。電話で彼女は犯人の手掛かりをその能力によって得たと言っていた。
これまでは海渡だけが知っていたが、彼がいなかった今回の件を解決するためには、真実を打ち明ける必要があったのだ。
「それで、話って?」
「大阪である男に会った」
「男?」
「ああ、その男は黒田大和と沖田時乃の殺害を自供した」
「黒田は自殺じゃなかったの?」
「遺書を書かせて殺した犯人がいたんだよ」
「そうなの。捕まったんだ。大阪まで行った甲斐があったじゃない」
紅音の言葉に海渡は首を横に振った。
逮捕はできていない。その男のことは河内長野警察署の刑事課にも報告していない。本来ならば大阪の管轄内で起こった事件の関係者について黙っておくなど許されないことだが、あの男に限っては例外だと判断した。
ただ、舘岡にだけは伝えておいた。いずれ彼から上に報告されるだろう。
本物のシリアルキラーはなぜか海渡を知っていた。おそらくもう大阪にはいない。近い将来、また海渡と対峙することになるはずだ。
あの男は今まで見たどんな犯人より危険だった。彼が言った「痛みが見える」という言葉。それをどう捉えるかは難しいところだが、彼もまた彼にしか見えない何かが見えているのではと海渡は疑った。
「あいつはそう簡単には捕まらない。十五年以上逃げてるんだから」
「十五年?」
「やつは言ったんだ。花火は血を鮮やかに染めるって」
「花火? そんな・・・。そんなことって」
紅音は眉間に皺を寄せて怒りを
十五年前、これは海渡が初めてトレースを使った事件。そのとき紅音は二十歳、海渡は若干十歳だった。
現場になった雑居ビルの屋上はすでに取り壊されて残っていないが、トレースした光景は今でもはっきりと覚えている。
目を背けたくなるほどの惨状だった。それは遺体を見るだけでも明らかで、事件を担当したベテラン刑事が吐きそうになったくらいだった。
紅音が受けたショックは比べものにならなかったはずだ。
初めてのトレースで見た殺害の状況がそれだっただけに、海渡もしばらく悪夢にうなされて、協力させた紅音は後悔した。
「そいつが、お姉ちゃんを?」
「確証は何もないけど、あのときのトレースとまったく同じ感覚を持った。沖田時乃が殺害された現場は、あれから何度もトレースをしてきた俺でもきつかった」
三鷹夕月巡査長、当時二十五歳だった彼女は巡回に出たあと行方がわからなくなって、翌日遺体となって発見された。普段人が入ることのない廃ビルを取り壊す話があり、業者が屋上に上がったところ、遺体があって通報したのだ。
姉に憧れて警察官になって、まだ駆け出しだった紅音はこんな形で姉を失うことになるとは想像もしていなかった。
そして、その事件は未解決のままで十五年の月日が経った。
「あいつは俺のことを知ってた。きっとまた俺の前に現れる。だから、俺がやつに罪を償わせる」
「海渡・・・」
姉を失ったばかりの紅音は通り魔に襲われて一命を取り留めた海渡を励ましてくれた。大切な友人を失って自分だけが生きている事実を認めたくなかった彼にとって、彼女の存在はとても大きくて有り難いものだった。
きっとあのときの恩が返せるときがくる。そう信じて生きてきた。
今がそのときだ。
「私もお姉ちゃんを酷い目に遭わせた犯人を捕まえたいけど、危険な相手なら無理はしないで。海渡まで失ったらと思うと」
「わかってるよ。でも、俺は必ず犯人を捕まえる。そのためにはちょっとだけ無茶をするかもしれない」
自分の命を粗末にすることはないけれど、何も賭けずにあの男を捕まえることもできないだろう。
話は終わった。
部屋を出た海渡と紅音はこの話を裕武にも伝えておこうと彼を呼びに刑事課に向かった。
紅音の姉、夕月は新人警官だった裕武の教育係で、事件をきっかけに紅音と出会った。彼もまた、夕月を殺害した犯人をずっと憎み続けて刑事を志したひとりだ。
こうして同じ班で刑事をしている紅音と裕武を夕月は喜んでくれただろうか。
「柴田くん」
紅音は捜査一課に戻って咲良と話す裕武に声をかけたが、彼は神妙な面持ちだった。
「何話してたの?」
「事件のことを。今回は一条が大活躍だったので」
「お姉さんが解決したんだってね。やっぱり俺の思った通りだ」
海渡は不在を守ってくれた咲良に対して労いの言葉をかけたものの、その言葉を放つ彼は心ここにあらずと言ったところだ。
「柴田くん、ちょっと」
「はい」
紅音に呼ばれた裕武は海渡と三人で捜査一課を出た。
海渡は残された咲良がこちらを悲しそうな目で見ていることに気付いたが、この話はまだ彼女にすべきじゃないと判断した。
刑事になったばかりの彼女には荷が重すぎる。
裕武を連れて戻ったのは結局先ほど話していた部屋だ。
「十五年前、私の姉を殺した犯人が大阪で海渡の前に現れた」
「大阪で? 十五年も経ってどうして」
「黒田と沖田を殺したのもやつだった」
「どういうことです? 黒田は自殺だったんじゃ?」
紅音と同じ反応を見せた裕武に海渡は再び同じ説明をした。
あの男の正体はわかっていないが、その姿をすぐ近くで見たことは大きな進歩だった。この十五年間、何ひとつとして有力な情報が見つからなかったのに、なぜか突然姿を現した。
「タイミングがよすぎる」
「タイミングって?」
裕武が呟いた言葉を紅音は聞き逃さなかった。海渡も裕武を見る。
「いや、一条の話に気になることがあって。黙っておくつもりだったんですが」
「隠し事はなしよ」
「今回の事件、坂野が働くコンビニに一条が偶然立ち寄った理由が、ある女性警官に声をかけられたからなんです」
この時点で裕武が言いたいことに海渡と紅音は気付かなかった。巡回中の警官が偶然立ち寄ったコンビニで刑事である咲良に挨拶をしただけのように思える。
「その警官は、夕月と名乗ったそうですが、綾瀬中央署管内に夕月という名前の警官はいませんでした」
「どういうこと?」
紅音は身体中を駆け抜ける鳥肌に身震いした。姉と同じ夕月という名前の女性警官。そして、そんな名前の警官は存在しない。
「それは、お姉さんの能力で見えた幽霊だったってこと?」
「俺も信じられなかった。でも、それ以外に説明がつかない。一条は、その警官を同じコンビニの前で二回目撃して、会話までしてる。なんとなく班長に似ていたとも。俺には先輩が、事件の真相を教えようとしていたとしか思えなくてな」
裕武は困った顔で強く目を瞑って親指と人差し指で目頭を押さえた。
「確かに、タイミングが気になるね」
夕月を殺害した犯人が海渡の前に姿を現して、それと同じ時期に咲良は夕月の幽霊と遭遇した。犯人も夕月も、これまで一度も海渡と咲良に接触したことはなかったのに、このタイミングだったことに相互関係はあるのだろうか。
単なる偶然とは思えなかった。
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