CASE 2.5 来訪する死神

16. ひとり旅

 沖田時乃が死亡した知らせを受けた翌日、海渡は大阪へ向かった。東京駅から新幹線で新大阪駅まで二時間半、さらに在来線を乗り継いで到着したのは河内長野駅。


 手荷物は最低限の着替えを入れたボストンバッグがひとつだけだ。


 南大阪の内陸部にある河内長野市を流れる石川で時乃は発見された。詳しい状況は話を聞かなければならないが、海渡はひとりですべての罪を背負って遺書を遺して自殺した黒田について違和感を持っていた。


 聞き込みで得た情報によると、黒田は時乃に惚れていたらしい。だが、ふたりは交際しておらず、ふたりを知る人たちは口を揃えて時乃が黒田をいいように利用していたと語った。


 だとしたら、黒田が時乃に好意を抱いているなら、彼女の願いを聞くことは理解できるし、最初はただ高蔵浩輔の自宅に侵入して現金を奪うだけの予定だった。しかし、結果的に彼は殺人を犯した。


 その罪の意識に耐えられなくなって自殺をした。時乃のために罪をひとりで被ってその命を捧げることも理解できなくはない。


 だが、彼の亡くなっていた浴室でトレースをした結果、もうひとり、そこに誰かいたような気がした。


 海渡の能力を持ってしても、確証はない。なんとも不思議な感覚だ。


 手首を切って浴槽に水を溜め、そこに手を入れている遺体は何度か見たことがあるが、彼は上半身を浴槽に入れて、切った手首は外に出していた。


 わざわざ苦しむために溺死するような体勢を選ぶだろうか。自殺をするまでは時乃のためと考えれば不思議はないが、彼の行動が理解できなかった。


 駅から河内長野警察署までは徒歩で十五分ほど。南大阪はある程度田舎なのかと思っていたが、駅からの道のりは普段綾瀬で見ているそれと大きく変わらなかった。学校や通り、民家なども大阪市内ほどの規模はないが、住むことに不便なことはなさそうだ。


 南には山があり、その向こうは和歌山県。


 警察庁に所属して管轄を越えた捜査が可能な立場であっても、海渡は紅音のために捜査を行うことが多い。恩を感じているためでもあるが、それよりも他の管轄の捜査に首を突っ込むと嫌がられるせいでもある。


 河内長野警察署に到着した海渡は刑事課に向かった。きっとここでも嫌な顔をされるのだろう。


 管轄を荒らすつもりは一切ない。話を聞いて、現場が見れればトレースができる。そのためにここまでやってきた。



 「何か御用ですか?」



 刑事課に入ると、すぐ近くにいた若い刑事から声をかけられた。見たことのない人物が刑事課に突然やってくることはそうない。



 「課長さんいる?」


 「失礼ですが、どちら様ですか?」


 「二永海渡。警察庁の人間」



 海渡は滅多に他人に見せることがない警察手帳を出して、刑事に見せた。海渡の「警察庁」という言葉を聞いた刑事課の刑事たちは一斉に彼を見た。


 東京の警察庁から連絡もなしに人が来ることは今まで経験したことがないからだ。さらに、海渡の容姿はまだ大学生と言われても信じられるほどに若い。


 若い刑事は奥にいる中年の男性を見た。



 「あの人が課長さんか」



 海渡は刑事課をまっすぐ課長らしい男性のもとまで歩く。全員の視線がこちらに向いていることは気にしていない。



 「警察庁の二永です」


 「課長の酒井さかいですが、警察庁の方が突然どういったご用件で?」



 酒井は五十代で、頭髪が薄く腹が出た街中でよく見る体型の男だった。突然訪ねた海渡を見る彼の目は鋭く、警戒している様子が伺える。



 「そんなに警戒しないでよ。監査とかじゃないから。沖田時乃の件で話が聞きたくて来た」


 「沖田? 昨日石川で見つかった女の件でどうして警察庁が?」



 高蔵浩輔の事件は黒田大和が実行犯として被疑者死亡で送検された。沖田時乃が彼と繋がっていたことはわかっているが、数ある事件のひとつに警察庁が関わる理由がない。



 「ちょっと気になることがあって、話を聞きたい。それと、現場を教えてほしい。あとはひとりで動くから大丈夫」



 海渡の要求が簡単に通らないことはあらかじめわかっていた。部外者に勝手なことをされることを所轄は嫌う。この要求が通らないなら、海渡は上の人間に話を通す必要があるのだが、そうすると後々面倒なことになるかもしれない。


 できることなら、この場で話が付けられれば、それが最善だ。



 「舘岡たておか、二永さんを現場にご案内して差し上げろ。質問にも全部答えて構わん」



 酒井は様子を見ていたひとりの若い刑事に指示を出した。彼に見張り役をさせるということだ。


 舘岡は嫌そうな顔をしたが、課長の指示であれば断ることもできず、重い足取りでこちらに歩いてきた。



 「こちらへ」


 「どうも」



 刑事課を出たふたりは無言のまま警察署を出て、駐車場にある捜査車両に乗り込んだ。


 運転する舘岡は、面倒なことを任されたと思っていることだろう。車両は先ほど海渡が駅から歩いてきた道を通り、途中で左に曲がった。



 「沖田時乃さんは何者かに殺害されて川に投げられたものと思われます。川上から流れてきたんでしょうが、殺害現場は不明です」



 舘岡の説明は聞き慣れない関西弁のアクセントが入っており、そのことが気になってすっと言葉が入ってこない。


 集中しろ。



 「死因は?」


 「え、それも知らされずに大阪まで来たんですか?」



 課長の酒井も舘岡も、わざわざ警察庁の人間が来阪した理由は、被害者の状態のためだと考えていたようだ。だが、話を始めた海渡は被害者のことを何も知らされていなかった。


 拷問を受けて遺棄された遺体。怨恨の可能性が高いが、素人が情動的にここまで酷いことができるとは思わない。



 「失血死です。遺体はひどい状態でした。手の爪がすべて剥がされ、前歯は折れていました。顔や身体に打撲痕があったので、拷問を受けた可能性がありますが、性的暴行を受けた痕跡はありませんでした」


 「拷問・・・。持ち物は?」


 「何も。そもそも被害者は東京の人間ですから。こちらに知り合いがいたのかも、なぜ大阪で殺害されたのかもまだ不明で」



 河内長野署にしてみれば何もわからない事件だった。高蔵浩輔の件で彼女を知った海渡ですら、彼女は大阪にただ逃げたものだと思っていた。


 なのに、彼女は逃走した先で殺害された。大金を持っていたから強盗に遭ったのかもしれないが、であれば拷問される理由はない。現金が発見されたという情報もなく、犯人によって盗まれたと考えるのが妥当だろう。


 車両は北に向かって進んでいたが、住宅街へと右折した。その途中で右に逸れた舗装されていない砂利の道があり、その先で止まった。



 「着きました」



 舘岡はギアをパーキングに入れてサイドブレーキを引いた。エンジンを切ると、車両から降りる。


 海渡は彼の歩みを追うと、坂を降りた先は広い河原でその奥に川が見えた。


 遺体が発見されたのはその場所だが、海渡の能力は発動しない。彼女が殺害された場所がここではないからだ。



 「第一発見者は誰?」


 「そこの畑の持ち主です。昨日の朝、畑に来たときに川に何か浮いているのが見えて、気になって見に行ったら遺体だったと」


 「そっか。ありがとう。あとはひとりでいい」



 海渡は舘岡からこれ以上の情報は得られないと判断して、川を沿って川上へと歩き出した。



 「待ってください。僕は案内をするように指示をされています。最後までご一緒します」


 「この件で捜査しないといけないんでしょ? 俺は勝手にするから気にしないで」


 「勝手されると困るんですよ!」



 その言葉を放ったと同時に海渡は舘岡を振り返った。彼はわかりやすく「しまった」と表情を歪ませる。


 隠す必要はない。それが真意であることは最初から知っている。


 このまま逃げれば、大阪府警との確執を生むことになるかもしれない。



 「うーん、どうするかね」

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