15. 解けては積もる

 「さあ、座りなさい」



 副校長の楠木がふたりの男子生徒に指示を出し、彼らはそれに従って紅音と咲良の向かいのソファに腰を下ろした。


 ブレザーの制服を着ている彼らは普通の高校生だ。髪を染めることもなく、アクセサリーも付けていない。ひとりが指先に怪我をしたような跡がある。


 彼らはもう、覚悟はしているといった表情で俯いた。



 「突然ごめんなさい。私は綾瀬中央署の三鷹と言います」


 「一条です」



 咲良と紅音は自己紹介を行ってから、本題に入った。


 咲良が鞄から茶封筒を手に取り、その中から一枚の紙を取り出す。防犯カメラの映像が切り取られた写真が印刷されていて、ふたりの男が煙草を吸う様子が確認できた。



 「これは、あなたたちで間違いありませんか?」



 咲良に問われたふたりは生唾を飲んでその写真に視線を落として何も答えず、沈黙が室内を襲う。


 彼らが何かを答えるまで、咲良は次の言葉を待つことにした。きっと彼らも後悔している。


 犯した罪を隠そうとしたことは間違いだが、こんなことになると思ってしたことではない。せめて、この過ちを受け入れてほしい。


 失われた命の重さを背負って、これからの人生を歩んでほしい。


 刑事として、ひとりの人間として咲良はそう思った。


 この世には取り返しのつかないことがあって、彼らがしたのはそういうことだ。だからこそ、罪を認めて然るべき方法で再び歩き出してほしい。



 「そうです・・・」



 三十秒ほどの沈黙の後、男子生徒が弱々しい声で答えた。煙草を吸っていたことが学校に知れることもまずいのだが、それ以上のことをしてしまった。それを自覚しているのだ。



 「この翌日、この喫煙スペース付近の公園で男性の遺体が発見されました。何者かによって殺害され、その犯行時刻は九時四十分頃。その時間、あなたたちは公園にいましたよね? 防犯カメラの映像に映っています」



 咲良は持っていたもう一枚の用紙を封筒から取り出してテーブルに置いた。



 「はい」


 「亡くなった男性は原茂樹さん。何者かに押されて転倒し、後頭部を地面にぶつけてそのまま亡くなった。被害者を押したのは、あなたたちで間違いない?」


 「こんなことになるとは思ってなかったんです。ただ、悪戯する様子を動画に撮って坂野さんに渡すつもりだったのに」


 「彼もすべてを認めた。あなたたちも、罪を認めて向き合いなさい。失われた命はもう戻ってこないの。そのことを胸に刻んで、これから精一杯生きることね」



 紅音が彼らに問いかける言葉を彼らの背後にいる楠木は、生気を失ったような顔色で話を聞いていた。


 名門高校の生徒が起こした殺人事件は幕を閉じた。


 花壇で発見された血痕は二見孝也のもので、悪戯を動画に収めるために仕掛けたカメラを回収する際に焦って指先を切ったらしい。


 二見と菊谷は綾瀬中央署に連行され、進学校である光正高等学校の生徒が殺人容疑で逮捕されたことは楠木をはじめとする教職員の間で情報が共有された。


 生徒や保護者に知らされることはなく、彼らは未成年のため実名報道がされることもない。


 まだ未成年の彼らは少年法が適用されることになり、実際に殺意がなかったということから刑はそこまで重くならないだろう。


 被害者の家族であれば納得ができないこともあるだろうが、それがこの国の定める責任の取り方であり、公僕である警察官はそれに従う他ない。送検した後は検察の仕事だ。


 解決した咲良自身も、達成感を味わうことはできなかった。


 あとは彼らが真剣に罪と向き合ってくれることを祈るのみだ。




 「お疲れさん」



 捜査一課に戻った咲良に裕武が自動販売機で買ってきたコーヒーを差し出した。



 「すみません、何度も」


 「海渡ばりの名推理だったじゃないか。まさかこんな短期間で結果を残すとはな」



 確かに今回の事件に関しては、いつもより核心をついていたように思う。それは忌まわしい能力によるもので、坂野を知ったのも偶然コンビニに入ったことが原因だ。


 次回からは、こんな強運に恵まれることもないだろう。咲良の残した結果は自分で言うのも悲しくなるが、まぐれだ。



 「紅音さんはどちらに?」


 「海渡と話してる。さっき大阪から戻ってな」


 「帰ってきたんですね」



 沖田時乃が遠く離れた大阪にて遺体で発見されてから一週間が経った。海渡はあれからずっと大阪にいたらしい。


 彼なりに何か重要なことがわかったのかもしれない。



 「女性警官の件なんだが・・・」



 裕武は万が一にも紅音が近くにいないことを確認してから話し始めた。



 「綾瀬中央署管内の交番に夕月という名前の警官はいなかった」


 「調べたんですか?」


 「ちょっと気になってな」


 「でも、他の管轄の警官が公務中にあの場所にいることなんてないですよね」


 「だろうな」


 「じゃあ、あの人は一体誰なんですか?」



 裕武は自らの考えを伝えるべきか悩んだ。彼の考えがもし、本当に正しいとしても、それは非現実的なもので、信じる人間は愚かだと笑われてしまうかもしれない。


 しかし、彼の中でその考えのみが、このありえない出来事を説明するのにもっとも説得力があることもまた事実だった。



 「三鷹夕月。班長のお姉さんかもしれない」


 「え、お姉さん?」



 とうとう言ってしまった。


 咲良が頭上にたくさんのクエスチョンマークが飛んでいることは想像に易い。だが、そうでなくては説明がつかない。



 「夕月さんはまだ二十代半ばくらいでしたけど、紅音さんより歳上なんですか? だとしたら、すごく若いですね」



 紅音も容姿は若くて綺麗だが、少なくとも二十代には見えない。姉妹で姉の方が見た目が若いこともあるだろうが、それにしても若すぎる。



 「三鷹さんはもうこの世にいない。十五年前、殉職したんだ」


 「ちょっと待ってください。私が会った夕月さんが幽霊だって言うんですか? しっかり話もしたんですよ? 幽霊と会話なんて今まで経験がないです」


 「俺も信じられないよ。でも、その警官は班長に似ていたんだよな? それに、三鷹さんは刑事に憧れていた。俺が新人だった頃、三鷹さんは教育係だったんだ。彼女のことはよく知ってる」



 そんなことってありえるの?



 咲良の脳内をぐるぐるとあらゆる考えが巡り、夕月のことを思い出した。触れることはなかったけど、あんなに自然に話ができる幽霊なんて今まで会ったことがない。


 だが、綾瀬中央署管内に夕月という名前の警察官は存在しない。であれば、彼の説明がもっともしっくりくる。



 「班長と俺が初めて会ったのは、お姉さんが亡くなったときだった。今でもあの日のことは覚えてる」



 裕武は缶コーヒーを一口含んでため息をついた。三鷹夕月が亡くなったときのことを思い出しているのだろう。


 夕月に何があったのか。


 紅音と裕武のふたりには、どんな苦しみがあったのだろうか。



 「柴田くん」



 海渡を連れて紅音が捜査一課に戻ってきた。


 裕武はすぐに表情を切り替えて紅音の方向に身体を向ける。



 「何話してたの?」


 「事件のことを。今回は一条が大活躍だったので」


 「お姉さんが解決したんだってね。やっぱり俺の思った通りだ」



 ひさびさに見た海渡は、相変わらず緊張感のない雰囲気で微笑んだ。


 確かに電話で咲良が解決するようなことを言われた記憶がある。それも夕月のことで頭の外に押し出されそうだ。



 「柴田くん、ちょっといい?」


 「はい」



 紅音は海渡と裕武を引き連れて捜査一課を去った。


 三人だけで話したいことがあるらしい。そこに咲良がいることは許されない。彼らの関係に踏み込むには、まだ浅すぎる。


 コンビニ前で話したあの警察官は本当にすでにこの世にいない三鷹夕月なのか。彼女に再び出会うことはあるだろうか。もし、そうだとしたら、どうして彼女は咲良の前に現れたのか。


 事件が終わっても、また新たな謎が降ってくる。


 咲良は残っていた缶コーヒーを飲み干した。

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