14. 迂闊な冒険

 咲良と紅音は東京都内の進学校を訪ねた。裕武は署で待機しており、坂野の対応をしている。


 今回の事件は咲良がここまで導いた。だから、最後の決着も彼女に任せると裕武は身を引いた形だ。


 校門で警備員に警察手帳を示して、校内に足を踏み入れる許可を得た。


 最近はセキュリティが万全で、用紙に名前や連絡先を記入しないと敷地内に入れないようになっている。それは、警察の人間であっても例外じゃない。警察官のふりをして立ち入る人間がいる可能性があるからだ。


 ここは都内有数の中高一貫校である光正こうせい高等学校。私立高校で、東京大学をはじめとした国内の一流国立大学への進学者数が日本一を誇る。


 並大抵の努力では入学することが許されない、生まれ持った才能と能力、さらに周囲の人より努力ができる人間のみが、この学校に通うことができる。


 ここにいるだけで、咲良がしてきた勉強などとは比べものにならないほどの努力をして、その結果選ばれた人間であるというのに、なぜあんなことに手を染めてしまったのか。


 昨日、坂野を綾瀬中央署に連行して聴取を行った。彼はもう誤魔化すことができないと覚悟してすべてをさらけ出した。


 路上の防犯カメラと喫煙スペースのカメラに映っていたのは、この学校の生徒で、二見ふたみ孝也たかや菊谷きくやすばる。両名とも二年生の生徒だ。


 彼らは勉強ばかりの日々に飽き飽きして、何か刺激のあることがしたいと思っていた。


 そんなとき、坂野と出会った。


 坂野は自らが運営するオンライン動画のチャンネルのネタを探していたとき、二見と菊谷のふたりが協力すると申し出た。その内容は、通行人にドッキリを仕掛けるというものだった。


 だが、通行人に怪我をさせるような悪質なものは動画にできないと坂野はふたりに伝えていたのだが、あろうことか彼らは夜の公園で散歩していた原茂樹にドッキリを仕掛けた。


 その結果、茂樹は倒れて頭を地面にぶつけた。やりすぎたと瞬時に理解した彼らは、重症の被害者のために救急車を呼ぶこともなく逃げ出した。


 進学校の生徒である彼らのせいで命に関わる怪我をしたことが知られれば、警察が捜査をして罪に問われる。


 これまで築いてきたエリート街道を閉ざすことになるのだ。それだけはなんとしても避けたかった。


 焦った彼らは坂野にあったことを伝えたが、彼は危険なことはしないように伝えていたことを理由に関係ないと言い張った。しかし、動画のネタを探して彼らに協力してもらったことは事実だ。


 坂野は公園で数ヶ月前から起こっていた悪戯のせいにすることを思い付いた。それを行っていたのは二見でも菊谷でもない、どこの誰かもわからない赤の他人だから、警察がそちらを追ってくれれば坂野に疑いが向くことはない。


 坂野は偶然やってきた刑事の咲良に話を訊かれ、それを好機だと捉えた。悪戯の証言をして警察の捜査を間違った方向に導き、万が一のため二見と菊谷にも口裏を合わせて事件の夜のアリバイを用意するように伝えた。


 彼らが友達同士でお互いに一緒にいたと話せば、それはアリバイになる。警察はそれが本当か確認のために捜査をするが、適当にどこかにいたと言ってそこには他に誰もいなかったと言えば確認のしようがない。


 頭のいい彼らなら、うまく逃れる方法を思い付いていたかもしれない。


 これから、咲良と紅音は彼らの言い分をすべて否定して、犯したことの重大さを知らせなければならない。


 それが、警察官としての使命であり、大人としてまだ未成年の彼らに示すことができる正義だ。



 「失礼します」



 教職員室に顔を覗かせた紅音に気付いて、近くにいた女性教員が扉のそばまでやってきた。


 容姿で人を判断するのはよくないことだとわかっていながらも、この場所にいる人たちがエリートに見えた。進学校の優秀な生徒を指導できるほどの教師もまた、学生時代エリートだったのだろう。


 対応してくれた女性教員も、育ちがいい印象だ。



 「綾瀬中央署の三鷹です。責任者の方はいらっしゃいますか?」


 「お待ちください」



 突然学校に警察がやってきたとなると、驚くのも無理はない。まさかこの学校に犯罪者がいるなんて、誰ひとりとして信じないはずだ。


 私立学校は学費が高額だが、その分設備がよくて校舎の内装は綺麗だ。掃除を行う専門の業者とも契約しているらしい。咲良や紅音が通っていた公立の高校とはレベルが違う。


 それでも、学生時代は嫌々ながらに勉強をして、クラブ活動をしたり放課後に友達と遊んだりして楽しかった思い出がたくさんある。


 果たしてこの学校の生徒はどんな生活を送っているのだろうか。少なくとも、咲良の学生時代のような勉強時間なら、食らい付いていけないことはわかる。



 「お待たせしました。副校長の楠木くすのきです。どうぞ、こちらへ」



 女性教員に呼ばれて現れたのは、五十代ほどの男性だった。彼は咲良と紅音を応接室へ案内し、対面するソファに座って向かい合って話すことになった。



 「当校へはどのようなご用件で?」


 「この学校に通う生徒二名がある事件に関係しているという情報が出ています。実際に会ってお話ができれば、と伺いました」


 「ある事件とは、どれのことでしょうか?」


 「四日前の朝、綾瀬中央署管内の公園で男性の遺体が見つかった事件です。ご存知でしょうか?」


 「ええ、ニュースで観ました。その犯人がうちの生徒であると?」


 「その可能性があります」



 本人の自供が得られるまで、あくまで可能性として話を進める必要がある。万が一にも冤罪を生まないためだ。今回の場合、その可能性は極めて高いが、常に先を見越して行動しなければならない。


 楠木はハンカチで額に滲む汗を拭った。


 由緒ある光正高校で逮捕者が出たとなると、外部への印象が悪くなる。それは、次年度の受験者数の現象に繋がり、一流大学との繋がりがある高校にとって、非常に悪影響を及ぼす事態だ。


 情報社会の現代において、どれだけ素晴らしい歴史を持っているものでも、たったひとつの悪しき出来事がすべてを台無しにすることだってある。


 それは、国や都によって運営されていない私立学校にとって致命的な失態だ。



 「二年生の二見孝也くんと菊谷昴くん。この二名にお話を訊かせていただけませんか?」


 「わかりました。今は授業中ですので、休憩時間に入ったらこちらにお連れします。それまでここでお待ちください」


 「ご協力感謝いたします」



 紅音は丁重に頭を下げて感謝の意を見せ、咲良もそれに倣って同じ動作をした。楠木は重い腰を上げて応接室を去った。



 「ふたりは素直に罪を認めるでしょうか」


 「殺意がなかったとしても、命がなくなったことは事実よ。高校二年生なら現実を受け止める責任がある」


 「そうですね」



 真剣な表情を見せる紅音の横顔を見て、咲良は裕武との会話を思い出した。


 夕月という女性警官の話を彼女に伝えてはいけない。その理由はいずれわかるだろうか。


 応接室に授業の終わりを告げるチャイムが響く。



 「咲良ちゃんは生まれたときから霊感があったの?」


 「物心ついたときから見ていたと思います。それがなんなのか理解できないままに話しかけていたという話を母から聞いたことがあります」



 まだ理解していなかった頃はよかった。それがこの世のものではない、他の人に見えないものだとわかってから、その目に映る光景が恐怖に変わった。


 そして、それを他人に悟られないように振る舞うようになり、今でも見たくないものに変わりないが、見えるからといって自らの能力を恨むことはなくなった。


 その反動で勝気な性格になり、交番勤務のときにトラブル解決に立ち会って咲良が喧嘩をして始末書を書かされたこともある。



 「私も見えたらよかったな」


 「え?」



 紅音の呟いた言葉に顔を向けると、「なんでもない」と微笑んだ。


 扉がノックされ、楠木が戻ってきた。その背後には、顔色の優れない生徒がふたり立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る