12. 意図的な誘導

 警視庁綾瀬中央署捜査一課が原茂樹の件で捜査を開始してから三日が経過した。


 三鷹班は咲良を含めた半数が防犯カメラの映像の検証を、残りの半分は外で聞き込みに当たったが、いまだに決定的な情報は手に入っておらず、捜査は暗礁に乗り上げた。


 咲良は提供されたコンビニの防犯カメラをひたすら遡って見続け、坂野が証言した悪戯のせいで怪我をした人が絆創膏を買いにきた日を探し続けた。


 しかし、その映像は見つからず、夕方以降にふたり組のそれらしい人物がコンビニに現れることもなかった。


 そもそも悪戯をしているのがふたり組なのかもわからないし、このコンビニを利用したことがあるのかもわかっていない。もしかしたら、今やっていることは完全に的外れなのかもしれない。


 そう考えると心が折れそうになった咲良だったが、裕武に言われたことを思い出して自らを奮い立たせた。


 黒い服のふたり組が路上の防犯カメラに映った時刻が午後九時四十分。そのふたりが犯行後に走り去ったのだと仮定すると、茂樹が発見される翌朝まで公園を通った人間はいないということになる。


 単に暗くて気付かなかった可能性もあるが、この条件で目撃証言は得られないだろう。


 諦めてはいけない。


 咲良が再びモニターに集中しようと両頬を叩くと同時に、紅音から電話がかかってきた。彼女は裕武と一緒に聞き込みに出ている。



 「はい、一条です」


 『咲良ちゃん、新情報。事件のあった日の夜、駅前の喫煙スペースで黒い服のふたり組が煙草を吸ってるところを見た人がいた。時間は九時前後、動画がどうとか、そんな話をしてたみたい。喫煙スペースが映ってる防犯カメラの映像も手配した。聞いた話によるとそのふたり、かなり若そう。未成年かも。すぐに映像が届くと思うから、見てみて』


 「わかりました。ありがとうございます」


 『あとひとつ。悪戯の件なんだけど、偶然被害を受けた人を知ってるって人が見つかったから、紹介してもらった。話を聞いてくる。なんだか、悪戯の件はこの事件と関係ないように思えるのよね』


 「関係ない?」


 『ええ、まだはっきりとわかってないけど、悪戯をしていた犯人像が映像のふたりとは一致しないというか。まあ、何かわかったら連絡するわ』



 紅音との通話を終えると、咲良は警察のデータベースにアクセスし、共有フォルダにアップされた動画ファイルを開く。それは、紅音が手配した事件のあった夜の映像だ。


 ここにきて捜査は大きく進展しそうで咲良の心が踊った。人が亡くなっている状況なので喜ぶことはできないが、被害者のためにせめて犯人を見つけて相応の罪を償わせたい。


 駅前の喫煙スペースはそこまで広くなく、分煙が叫ばれる時代に沿ったまだ新しい空間だった。四方を透明なパネルで覆って、屋根と出入り用の扉が付いている。


 事件の夜、八時三十分から動画の再生を開始した。紅音が言うには、容疑者は九時前後に喫煙スペースにいたとのことだ。


 咲良は早送りをしつつも、それらしい人物を見つけては一時停止をして注意深くそれらの人物を観察した。この時間でも喫煙スペースは大勢の人が利用している。駅前という立地のよさのせいかもしれないが、煙草を吸わない咲良にそのよさはわからなかった。


 いた。


 午後九時二分、黒い服のふたり組が喫煙スペースの扉を開けて中に入った。はっきりではないが、ふたりの顔を確認することもできた。


 咲良が路上に映ったふたりの映像と喫煙スペースの映像を比較すると、服装は完全に一致、身長や体格も同じ人物であることが確認できた。


 やはり、このふたりは見た目にも若い。まだ高校生か、大学生。未成年である可能性も高い。煙草を吸うことが許される年齢かも怪しい。


 残念ながら音声は保存されていないので、彼らが何を話しているかはわからないが、姿を見ているだけでも大声で笑っていることはわかった。


 そこから五分ほどして、ひとりの人物が喫煙スペースに入った。


 咲良はモニターに顔が付くほどに身体を前に倒してその人物をよく見る。金髪の男は手を挙げてふたりの男に挨拶をすると、彼らと一緒に煙草を吸い始めた。


 間違いない。この男は、現場近くのコンビニで働く坂野だ。事件の翌日に話を聞いたとき、彼は事件の夜にシフトが入っていなかったと言っていた。


 咲良は動画のスクリーンショットをとってプリンタで印刷し、動画を閉じると勢いよく席を立って綾瀬中央署を飛び出した。向かう先はあのコンビニ、坂野に話を聞くために。


 この時間にシフトが入っているかはわからないが、いないときは店員に連絡先を聞けばすぐに話はできるだろう。


 咲良は事件の全容が薄らと形を持ち始めたことに興奮を覚えたが、もし海渡がいたら、すでに事件は解決していたかもしれない。


 彼はまだ大阪から戻ってこない。


 沖田時乃が死亡した件の捜査が思っていたより難航しているようだ。彼をもってしても解決が難しいこともあるのだと、親近感を持った。


 咲良は息を切らしてコンビニの前に到着した。


 すると、前回と同じ女性の制服警官が立っていた。前回見間違えかと思ったが、彼女は間違いなくここに存在している。


 そもそもあんなにはっきりと見間違えをすることなどない。



 「お疲れ様です」



 咲良は女性警官に挨拶をした。彼女もこちらを見て頭を下げる。



 「あの公園の事件の捜査ですか?」


 「そうです。なかなかうまく進みませんが」


 「体調には気を付けてくださいね」


 「はい、ありがとうございます。申し遅れました。私は捜査一課の一条咲良です」


 「三鷹班ですか?」


 「あ、はい。そうです。どうして?」


 「やり手の班長だとか」



 そうか。交番勤務でも同じ管轄なら顔を合わせることはある。


 紅音の凛々しい姿を見て、印象に残っているのか、もしくは、噂が管轄内に広がっているのか。知っていても不思議はない。


 彼女はまだ若い。


 二十代前半か半ばくらいで、なんとなく雰囲気が紅音に似ているような気がする。咲良は彼女に名前を訊ねることにした。



 「あの、お名前を伺ってもいいですか? 今後またお会いすることもあると思いますし」


 「ゆづきです。夕方のお月様と書いて夕月。秋にちなんで名付けられた名前です。春の咲良さんとは反対ですね」



 そう言って彼女は美しい笑顔を見せた。本当に綺麗な女性だ。咲良もこういう女性でありたかったと思ったが、他人と比べても仕方ない。人は自分にないものを羨んで生きるのだ。



 「私もいつかは刑事にって思ってたんですけどね」



 夕月はすでに刑事を諦めてしまったような悲しい目で咲良を見た。


 彼女の年齢ならまだまだいくらでも機会はある。諦めるには早すぎる。



 「なれますよ、きっと。いつか一緒に捜査できる日まで、私も頑張ります」


 「ありがとう。私も頑張ります」



 咲良は夕月に別れを告げると、コンビニに入る。レジにいるのは中年の女性で、坂野はこの時間シフトに入っていないようだ。


 女性に警察手帳を示して坂野の連絡先を教えてほしいと伝えると、女性は「坂野くん何かしちゃったの?」と半笑いで問いかけたが、咲良は「訊きたいことがあるだけですよ」と下世話な詮索を受け流した。


 ついでに女性店員に悪戯について訊いてみることにした。



 「この付近の公園で悪戯があったことは知っていますか?」


 「ああ、あれね。私は昼だけのパートだけど、話は知ってるわよ。突然背中を押されるみたいね」


 「背中・・・その話は誰から?」


 「坂野くんよ。転んで腕とか顔を怪我した人が絆創膏を買いにくることがあるって」



 背中を押されて?



 咲良は自分が見た茂樹の記憶を思い返す。彼は後ろ向きに倒れて後頭部をぶつけたことによって亡くなった。それは証拠能力のない咲良の脳内映像だけでなく、死因でも明らかになっている。



 そう、悪戯をするなら前から堂々と向かっていくより、背後から忍び寄って押す方がいい。前からなら反撃を喰らう可能性もあるし、顔を見られるかもしれない。なら、どうして茂樹のときだけ前から押した?



 咲良の脳をあらゆる思考が駆け巡った。


 何かが動きそうな、もう少しで痒いところに手が届きそうな、そんな気持ち悪さがある。


 咲良が女性店員から坂野の連絡先を聞いた後、紅音から着信があった。


 その電話が、咲良の手を痒いところまで伸ばした。

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